十四「予兆」
「ジャーン、ここが僕の部活の主な活動拠点である、要するに僕の部活の、魔術研究部のアットホームな部室だよ」
最初のジャーンという音感から感じられる軽快な印象とは真反対の、抑揚のない声で彼女は己の部室を紹介した。先程のわけのわからない、自称部活の部室とは大違いで、やはり部室というのはこうだよなと、不思議な納得感が流れ込んできた。そう、さっきまで俺はただの物置にいたのだと思わせたらしめる景観がそこには広がっていた。
俺の想像通りの、想像力の乏しい俺はどちらかと言えば想像していたのは科学部的な雰囲気のものだったが、ともかく、いかにも『研究』に特化してる部屋だった。
ホワイトボードにはおおよそ俺のような凡人には理解できぬであろう、というかそもそも理解できるようなご丁寧さは添えられてはいないであろう、複雑な文字列が描き殴られているし、ところどころに赤で修正が加えられていることから、かつてここで熱い討論が繰り広げられていたのであろうと妙な感慨に浸ると共に、そんな場所に俺が足を踏み入れるなど、彼らに対する冒涜に値してしまうのではないかと、今更ながらに俺の場違いさが思われた。
無造作に散らばっている書類等々なども、いかにもそれらしい物品だ。
「いま、文化部か俺の血を欲する性に合わねえぜ、と思ったかもしれないけど、なんと意外なことに、この部は区分上運動部なんだよ。外には実演用にもう一つ僕たちの活動拠点があるんだ」
ラトロの中の俺の人物像がもはや俺の知らない人になってしまっているのは、さておいて、それは確かに俺のイメージとは違かったので興味が唆られたのだが、いかんせんさておいた内容の方が、さておいておいてなんだが、俺には気になってしまった。
というかそれよりも優先度が高くもたれるべき、部活としての、部室としての違和感があった。
「今日は残念なことに部活は休養日でね。君を太陽のごとく飽和してくれる温かい人達を紹介できないのは残念だけれど、恐らく明日に回そうとしたら君は、行けたら行くだとか、前向きに善処する、だとかほざいて、そして永遠に来ないんじゃないかと、これまでの経験則に基づく予測装置が予想結果を最速でたたき出したのでね、わざわざ部室の鍵を借りてくる羽目になったのさ」
「それはそう」
「ちょっと早くしなさい。もうそろそろ時間じゃないの?」
そうメリルが急かしたが、「まあまあせっかくの機会なんだから遊んでいこうよ」と、べーレが宥めている。
ぞろぞろと大勢が押し寄せたはいいが、俺のような自堕落な人間はその場の空気にそれとなく弾き出されているし、べーレのような見慣れない器具などに絶えずソワソワしている人間は浮いているし、メリルのような脳筋野郎、野郎じゃないか、では改めて言い直して脳筋少女には研究など鼻で笑われるほど似合わないし。
一人知らない場所に迷い込んだ子供みたいにアワアワしているアンナは目の保養になるし。
その中で案外ゼウシズは様になっていた。最初からそこに居たかのような研究者っぷりの佇まい。入る部活はここであったのだろう。
「────麗な石はなんですか」
「ああ、それかい。それはね魔法結石さ。魔力を蓄積できる優れものでね。次作ろうと思ってる作品に組み込もうと思ってるんだ」
質問を投げかけたのはムニだった。そうか、ムニもいたのか。なぜだかこの部屋に入っていたのは俺と、ゼウシズと、ベーレと、メリルと、ラトロと、アンナだけだと思い込んでいた。それにしたって気が付かないものだろうか。最近こんなことが多い気がする。
そこに存在していたはずなのに認識出来ないような──
「その石はとても面白い代物でね、触って魔力を送り込むと、光の輝き加減でその人の魔力総量が分かるんだ」
「ふーん、私やってみようかな」
べーレが興味本位で、不用心にもその石に触れた。この瞬間石が眩く光を放ち、
「ふおおおおおおおお」
情けない声が痙攣したべーレからも放たれたので、俺はなるべくコイツが俺の妹だと気取られないように、他人を装うことにした。こんな馬鹿が俺の妹ではありませんようにと、半ば願望込みで願うが、しかし悲しくもこの中に俺とべーレが兄妹だと知らないものはおらず、その努力と願いは無駄となった。
普通あの説明を聞いたら誰だって触るのが憚られるはずなのだが、危機察知能力の衰退の代わりに、こいつは好奇心が発達しすぎている。
魔力は体力と似ている。
使えば息は切れるし、生まれつきの要素はどうしたって関係するけれど、頑張れば総量だって増やせる。しかも魔力を蓄積するということは、その結石が己の魔力総量より多い限り、永遠に、尽きるまで吸われ続けるということにほかならず、いうなれば疲れてもう体力も限界で走れないのに、それでも休まずに走り続けているようなものだ。
だから魔力総量が少ない者が迂闊に触れば地獄のような思いをすると、ラトロの説明からよっぽどの馬鹿でなければ汲み取るはずだったのだが。
「はあはあ、こ、これ、なんなの、はあ、めっちゃ持ってかれたんですけど」
「当たり前だよ。そこら辺の石は最高級の魔法結石で、一般に売ってるものなんかとは比べ物にならないほどのものなんだから」
息を切らしたべーレの持つ石の色を見てみると、本来黒かった石の中心が微かに赤くひかった気もするが、気の所為と思えるくらいにはそれは儚い光だった。
「知ってるわ私。この石は魔力の密度が多ければ多いほど綺麗な赤色になるのよね。私の剣にも一個だけ埋め込まれているわ」
「はあ、はあ、お兄ちゃん。私では力不足だったようだ。どうかこのやるせない無念を、私の矜持のためにも晴らして欲しい」
「巻き込むんじゃねえよ」
「納得いかない!私だけこんな罰ゲーム受けなきゃいけないなんて、神が人の上に人をつくるはずないわ。全ての幸福と災難は平等に降り注ぐはずなのよ!そうじゃなきゃ辻褄が合わないわ!」
これほど鬱陶しいと思ったのも久しぶりかもしれない。日常での絡みはなんとか許容範囲だが、実害の及ぶものは断固として拒否せねばなるまい。
「妹の無念を晴らしてやりたいのは山々だけれど、これは私たちがどうのこうの口を出せる問題じゃないわ。あなたがやらなきゃいけないことよ」
メリルの追撃を許してしまった。不味いぞこの流れは、断ち切らなくては俺がこの得体の知れない石に触って、無意味に魔力を吸われてゼェゼェいう羽目になる。「無駄」というのが一番俺の嫌う言葉なのに。それにべーレに嵌められる形になるのも許し難く、「無駄」に匹敵する俺の忌み嫌いなことランキング上位の変わらぬ顔ぶれ。
よし、先んじて手を打ってしまおう。
「待て待て、じゃあジャンケンで負けたやつがこれに触るってことで」
「ええーー」
「怖いですぅ」
不満たらたらとの様子が、なんとも気に食わないが、いちいち突っかかってしまっていても際限がないのは分かりきっているので、さっさとジャンケンに進めてしまおう。
「いくよー。俺に勝った人から抜けていってね。最後なまで俺に負け続けた哀れな負け犬が罰ゲームだよ。ジャンケン──」
「ちょっと待ってください」と一時停止を催促する可愛らしい俺にとってのエフブンノイチゆらぎであるアンナの声が、俺の悪に染まった何事があろうと屈しないという、固い決意を、夏に放置したかき氷のようにいとも容易く溶かしてしまった。
「なんかスムーズすぎて騙されそうですけど、それってウィル君負けること無くないですか」
「本当じゃん。お兄ちゃんせこいなー」
「なに自然に先生ポジでことを進めようとしてるのよ」
糾弾したのがアンナというのもあって強く言い返せない。これがべーレとかであれば即効で実力行使に出ていけていたのに。
「ズルは感心できないなー」
やばい。このままじゃ悪巧みを働いた者に粛清をとかなんとか、旗を掲げて謀反を起こされてしまう。
「じゃあ気を取り直して。最初はグー、じゃんけん──」
******
俺は目の前の石に、筋違いなのは分かっているが責める視線を送っていた。それくらいしかこの誰に向けるべきか分からない怒りや、苛立ち、やるせなさ諸々を送る相手がいなかったのだ。
この時点でジャンケンの結果は明らかだろうが一応描写しておこうと、というか理不尽さを共有した俺の我儘だ。
数が多いので長期戦にもつれ込むだろうと見越していたの俺だったが、そんな構えは次の瞬間不必要となる。
満場一致に場に出されたグーの中に、俺の方向から出された他とは異様な空気をまとったそれは、さながら仲の良かった国民の中に隠れこんだキリシタンが暴かれたような、そんな衝撃をその場の全員に与えたと思う。常日頃から他人の、集団の同調圧力に屈することを嫌い、周りと違うことを好き好んでやってきた、一匹狼気取りの俺に相応しい結末、いや、天罰だったのかもしれない。
だからって初手で一人負けというのはやりすぎではなかろうか。
そもそも石とハサミを同じ土俵に立たせて勝ち負けを決めること自体間違っていると俺は主張したい。石には石の需要が、ハサミにはハサミの需要がある。根本的に住んでいる世界が違う。加工すれば無限の可能性があり、少年が何気なく友と川に遊びに行き、将来の夢を語り合いながら、水切りを思い立ったときにあれば嬉しいのが石である。
そして、ものを加工する際に役立ち、荷物を運ぶ際にダンボールを固く結びすぎてしまい、大人になってあとからそのダンボールに入ったアルバムを見たくなった時にあれば嬉しいのがハサミである。
同じ審査項目で判断してはいけないのだ。何をもってか勝ち負けと先人はしたのか甚だ疑問であり、それに留まらず俺は憤りさえ覚えている。
適材適所という言葉が当時はまだ一般大衆に浸透していなかったのか。考える側も考える側であるが、疑問を持たずに使う側も使う側である。決め事といえば半ば洗脳のように「じゃあジャンケン」とほざく輩に俺は恐怖を覚え戦慄せざるをえない。みんな違ってみんないいと、謳われる風潮にある昨今、ジャンケンはいささか時代遅れではないだろうか。
しかってだな──
「いいから早くやりなさいよ」
長い現実逃避はメリルによって許されなかった。
渋々と俺はその黒い石へと向き直る。
一呼吸おいて、俺はやっと覚悟を決めた。
そして俺はその石に触る。全く乗り気ではないがここで場の空気を破壊してまで、嫌がろうとは思わない、心優しく、純情な俺の性格が仇となるとは。
「うお」
指先が触れた瞬間に全身に張りめぐる、血管とも神経とも毛色の違う、とにかく何かを循環させるのであろう役割のそれが、止めていた活動を再開し、巡り始める感覚が俺を襲った。そしてそれは放出口を求めて石と触れている指先へと持っていかれる。身体から吸われ続け、失われ続ける感覚に俺は、貧血のような意識の朦朧さを覚えた。
べーレが一秒に満たないまでに息絶え絶えになっていたことから、俺は触ったら直ぐに手を離そうと密かに画策していたのだが──少しおかしなことが起こった。
朦朧とはしたものの、それは座った状態から急に立ち上がった際の一時的な立ちくらみと似たようなもので、次の瞬間には曖昧どころか感覚が研ぎ澄まされていた。
そして感じる。狭い放出口からチョロチョロと漏れ出ている水が、その勢いを増してその口をこじ開け、まるで堰き止めていたダムが記録的な豪雨の影響で破壊されたことにより、放出の抑えが効かなくなったみたいに俺の中からも魔力が溢れ出る。
前にもこんな感覚を覚えたことがある。
その時はよく考えもせずに流してしまったけれども、今、確信した。確信などと大層な言い方をしたが、明確に言語化できる訳でもない。
俺の身体に何かが起きている。
何か、変化が。
一秒、二秒、そして三秒経とうとも俺から石への魔力の供給は止まない。俺はというと、魔力が枯れるどころか、更に俺の中に魔力が送り込まれるような──そう、送り込まれるような。この感覚がおかしいんだ。まるで供給地は俺なんかじゃなく、ただ俺は中継地点であると、今も知らない魔力が体を巡るこの異常が、そう俺に訴えていた。比喩でもなんでもなく、それが事実であるかのように。
最初はニヤケながら俺の挙動を見守っていた周りの奴らも、俺が数秒石を触り続けた様子を見て驚いているのか、段々と赤を帯びる石を何も言わずに眺めている。
まだまだ止まらない。俺は完全に石を手放すタイミングを見失って、他の者と同様に石を眺めていた。更に赤は光を増し、赤に黒が追加され、なにやら熱も帯びてきたようだ。これはもしや──
突如、前方から大声が飛んできた。
「ウィル!その石を外に投げて!」
言われる前に俺は危険を察知し、石を握って大きく振りかぶり、ついで甲子園のピッチャー顔負けのしなやかさとクイックを兼ね備えた投球フォームで、窓の破壊お構い無しに外へと、もはや爆弾と化した石を投げ捨てていた。
窓の綺麗な破壊音が聞こえたと思ったその直後、目の前で石が爆音を奏でて、巨大な爆発と共に弾け飛んだ。
今まで限界までギュウギュウに凝縮されていた空気が解放されたように、居場所の無くなった体積分がこちらへと爆速で逃げてくる。
俺の投擲で破壊された窓が、俺が破壊したことについて言及をくらわなくて済むようにと証拠隠滅を謀ったならば少々やりすぎではあるが、それでも俺がやったとは誰も気が付かないだろう程に、他の窓も今の爆発で全て一様に割れてしまったが、それよりもまず俺が意図的に証拠隠滅を謀ったのではないことは証人がいるはずだ。
俺に冤罪がかけられないためにも、その証人たちの安否を確かめねば。
「大丈夫か皆」
問いかけには応じず、全員が突然のことを脳が処理しきれていないといった様子で立ち尽くしていた。そりゃそうだろう。一人窓の近くに立っていたのも意に介さず、不動で立っているゼウシズは、呆然としているのか、はたまた通常運転なのか。
その固まった空気で、我先にと口を開いたのはべーレだった。
「えっ、何今の」
「...魔法結石は、魔力を極限まで蓄積しすぎると耐えきれなくなって爆発してしまうんだ。とは言ってもそんな心配は不必要なくらいには、あれの容量は大きいはずなんだけれど...」
「あんた、そんなに魔力量多かったかしら」
「いや、そんことはないけど...」
上から、答えたのがラトロ、俺に問いかけたのがメリル、最後に俺である。
「国お抱えの魔術師でも、あれを爆発させるには十人くらい必要なはずなんだ。いったいぜんたい何をしたんだよ、ウィル」
「だから知らないって」
「あれ高いんだけど」
「壊れてたんじゃないのあれ。不良品掴まされたんだよ」
「はあ、みんなで汗水流して、血と涙を流しながら、糞尿撒き散らしながら、必死こいてお金を持ち寄って、せっかく買った結石なのに。みんな号泣して学校中を発狂し回るんだろうな。そして学校の治安が悪くなって、率いては国の治安の悪化にもつながり、秩序は乱れまくって、安寧は遠ざかり、安泰だった今の世は遠い昔の話として語り継がれるんだろうなあ」
ごちゃごちゃうるさいやつやで。俺に弁償しろって言うのか?冗談じゃない、俺の経済状況は世界恐慌以来回復していないんだ。王族の懐がいつでも潤ってると思ったら大間違いだぜ。でも、仕方がないな、場を収めるためにも俺が一歩譲って、
「わかったって、ジュース奢るから。あと前半、体内の液体出しちゃいけないのまで出しすぎだし、未来憂いすぎだし」
「魔法結石買えっつってんだよ、ジュースで事足りると思うな」
「はわわわ、落ち着いてくださいラトロちゃん、キャラが崩壊してます」
ほら、大声を出すと小動物が脅えてしまいますって看板に書いてあるだろうが。
しかしジュースじゃ駄目だったか、それなら、
「ジュースはジュースでもモンスターだぜ」
「なんでジュースの枠組みの中でやりくりしようとしてんだよ。もっと譲歩しろ」
強情なやつだ。これほどまでに話が通じないとは、同じ知的生命体とは到底思えない。人は対話が大事なんだ。俺らが不毛なやり取りをしているとべーレがなにかに気づいてこう言った。
「あっ先生来てる──」
そう告げられてからの行動はとても迅速だった。言葉を買わさなくともアイコンタクトで休戦協定を結び、全員と状況を共有。来る厄災を回避するべく、べーレがおおよその距離と方向と、歩きの速度を脳内でたたきだし、簡略化して近くのホワイトボードに書く。書くと言ってもあとから見た者は落書きだと勘違いしてしまうような、一見なんの意味の持たなそうな図形を書いただけだ。
当然俺以外には伝わらないがそれでいい。俺が先頭に立って、仲間を少しでも死から遠ざけられるように誘導するだけだ。
話し合いなどアイツの前では愚行でしかない。有無を言わさず、容赦なく鉄槌が下されるのを、みすみす受け入れるなんて。
逃げるのは恥なんかじゃない。なによりも大切なのは命だ。命あってこその人生だ。それを理解してないやつはここには居ないだろう。
少しでもリスクを分散させるために、俺の隊と、べーレの隊に別れる。べーレの隊はどうやら準備室に逃げ込み、先生が準備室を通って魔術研究部の部室に到達したその瞬間に、近くの階段から脱出を試みるらしい。
ならば俺らは姿は見られないようにギリギリまで先生を引き付けてから、ベランダから階下へと飛び移ろう。
別れ際にべーレの口元が動いた。
『ま・た』
それだけだったが充分伝わった。
次はどちらも1人も欠けることなく、タイマン部で落ち合おう、という意がその2文字には籠っている。俺はべーレにグーサインを送り、それを返答とした。暇だったから読心術を覚えていたのが、まさかこんな形で役に立つとは、いやはや人生意味の無いと思えることでもやってみるものだと、しみじみ思う。
ここまで約2秒のやり取りである。
ドアが開くのを固唾を飲んで見守る。タイミングを一つでも間違えればその時点でアウトだと思え、と自分を戒めた。
──今だ。
俺は計画を実行に移した。
──引き離された仲間と、また無事に出会うために。
──幸運を願う。