十二「彼女は望んだ」
目の前のベットに居心地悪そうに座っているのは奴隷の少女──名前はバニア・ルースというらしい。
使用人に一時的に世話を任せたのだが、言われた通りには動くが、どうにも隅で肩を狭くして縮こまっているなどして凄く気を使って生活しているようだし、なにより出された食事も、オドオドするだけで一切手をつけないという。言葉も頑張って発しようとはするものの精々掠れた「あっ...」という言葉と、最初に絞り出した名前以外がバニアから出ないため使用人も困っているようだった。
俺が拾ってきたんだから責任もって世話をしなければならないと、決意改め相対したはいいものの、バニアは目をうつ伏せて酷く緊張しているだけだし、理由は明確ではないが俺はバニアを見ると罪悪感のようなものを覚えてしまい、どう話しかけてみればいいのか皆目検討がつかずに膠着状態にもつれ込み現在に至る。
このバニアの緊張が──恐怖にも近いものが、奴隷としてどのような凄惨な扱いをうけてきたかを物語っている気がして、こちらも胸が痛む。安心させてやりたい。「俺たちはそんな扱いをしないから安心して」と手を取って言ってあげたい。けれどもそう言葉を紡ごうとすると俺の心の奥で誰かが、お前にそんな資格などないと囁くのだった。
俺はこの子に何か最悪を押し付けようとしてた気がしてならない。そんなことないはずなのに。何か忘れてはいけないことを都合よく忘れている気がする。
俺はバニアを奴隷としての立場から救ったわけだが、バニアは本当の意味で解放されてはいない気がする。見えない枷が今もまだバニアを縛り付けている幻影を見てしまう。
もっとバニアのことを知る必要がある。家族がいるのならその家族の元へと無事に送り返してやり、バニアがこれまで不幸だった分の人生を取り戻す幸せを掴んで欲しい。
そう思うと同時にバニア以外にも、同じような待遇に置かれているものも沢山いるはずで、これまで目を逸らしてきたのに、いざ目の当たりにしてみれば可哀想だと憐れむ自分の心に偽善を感じてしまった。
そんなもの感じてもどうしようもないのに。
巡り会った運だ。目の前のバニアだけでも幸せにしてあげたい。でもなぜだろう。助けるというよりも罪滅ぼしという気持ちの方が強いのは── 一体なぜなんだろう。分からない。
「バニア、お前に家族はいるのか」
俺は精一杯目を合わせようとしたけれど、バニアは、まるで脅されているかのように体を強ばらせて顔を伏せたままだった。それだけでなく、俺の言葉を聞いてより一層硬くなってしまった。
──おそらく彼女の家族は
黙りこくった俺をどう捉えたのかバニアは
「ごめんなさい」と言った。
その「ごめんなさい」という言葉だけがやけに流暢に、バニアの口から出たのが酷く切なかった。
「おにいーちゃぁん。美少女拾ってきたってホント?お持ち帰りしたんだったら私にも教えてくれてもいいじゃーん」
そして、 その場の空気も全部ぶち壊して登場したのは我が愛すべき愚妹のべーレであった。
「おい大きい声出すなよ。怯えちゃうだろ」
「あらー可愛い。」
俺の警告お構い無しに一目散にバニアの元に駆け寄り、目線を落として声をかけたかと思えば舐めまわすようにバニアを観察し始めた。バニアは驚いたのかビクともしない。
もう一度止めようと思ったけどやめておいた。俺じゃ何も言えなかったけど案外べーレは適任かもしれない。
「お名前、なんていうの」
「────バニアです」
「いまからご飯一緒に食べに行かない?」
隣に座ってべーレがバニアの手を取った。バニアは一瞬肩を震わせて恐る恐るべーレの顔を見たが、べーレはとても穏やかな、本当に穏やかな優しい笑顔を浮かべていた。
「────わ、わたし、た、食べなくても大丈夫なんです」
「──誰も怒らないわよ」
今でこそちゃんとした服を着ているから隠れてはいるが、助け出した際には見るからに体は痩せこけていて、とても十分に食べているとは思えなかった。
そんなこと言ったやつをぶん殴ってやりたい。
「私べーレっていうの。私バニアのこと色々知りたい。でもとりあえず食べましょう。バニア、ここに来てから何も食べていないんでしょう」
べーレがベットから立ち上がって手を差し出し、、バニアにも立ち上がるよう促した。
バニアは困惑しながらも立ち上がろうとし──
そのまま体勢を崩して倒れてしまった。
俺が咄嗟に手を掴んで、頭が地面に激突するのは避けたものの、バニアは膝を擦ってしまったようで少しだけ血が出ていた。
「すみません」と直ぐに立ち上がろうとするが、またもやバランスを崩したので俺が受け止めた。
「大丈夫?私がご飯持ってくるからバニアはここで待ってて。あと怪我もしたのね。薬も持ってきてあげる」
バニアにその言葉は届いていなかった。申し訳なさそうにしていたかと思えば、自分の膝の擦りむけている部分を驚いたように見つめているだけ。そして──
──そして彼女は部屋の窓に向かって勢いよく走り出した。
さっきまで立つこともままならなかった少女とは思えない、しっかりとした走りで一目散に窓に到着し、鍵のかかっていない半開きの窓を思い切り全開にした。
そしてそのまま足をかけ、窓の外へと飛んだ。
俺はバニアが何をしようとしているのか分からなかったが、それでも間髪入れずに追いかけ出しておいて正解だった。
バニアはもう飛び出してしまっている。
間に合うだろうか。
ここは3階だ。まともに落ちてしまえば大怪我じゃ済まない──その上バニアは頭から飛び降りている。頭から落ちればこの高さでも十分死んでしまうだろう。
俺は窓枠の上部分を踏んで落下に加速を加えた。バニアは何も抵抗せずに落下している。
やがて俺の体がバニアに追いついた。もう地面は真下に迫っている。バニアを抱きしめて俺が下になるように体を捻って体勢を立て直し──
背中に鈍い衝撃が響いた。体の前にもバニアの分の衝撃が加わり、横隔膜が麻痺して俺は息が出来なくなる。脳と内臓が震えて気持ちが悪い。
遅れて背中に熱さが、痛みがやってくる。焦点が合わなくて今自分がどこにいるのかと意識が混濁している。
そうだ、バニアは大丈夫だろうか。
バニアは俺の胸の中にいた、意識もあるしおそらく大丈夫だろう。
ああ、やっと落ち着いてきた。
べーレが顔を真っ青にして下を見下ろしている。大丈夫だ、怪我は無い。
「大丈夫か?」
「────」
そう聞いた彼女の表情が、俺にはどんな感情を表しているのか分からなかった。
悲しみにも見えたし、落胆にも見えた。驚いてもいたと思う。
余計なことを、と言われている気もした。
どちらにせよ暗い気持ちには間違いなかった。
******
私の力でバニアを救えるだろうか。
簡単だ、奴隷になるという事実があって「誰が」を変えればいい。そうすれば少なくとも彼女は救える。誰かと引き換えに。
結局私は、私が出会った人の幸せしか願えない。ここで書き換えたとして、他の誰かが、本来幸せな人生を送るはずだった人が、不幸になるだけ。けれどバニアが幸せになるならそれでいいじゃないかと思ってしまう私はクズだと思う。
バニアはこうなる運命なのだろうか。
運命、なんて残酷な響きか。
私は使うべきなのか。
過去を変えれば何が起きるか分からない。特にこの子は私が呪いにかかっていた時にお兄ちゃんが連れてきた子。お兄ちゃんは隠しているかもしれないけどバニアはきっと「何か」ある。
もしかしたら直接影響はしなさそうでも、過去を書き換えた瞬間に私が死ぬことだってあるかもしれない。あるいは他の、私の大切な誰かが。
因果はどう絡まりあってるか分からない。
──決めた、私はバニアを救う。
でも能力は使わない。あくまで私自身の力でバニアを救ってみせる。
理由がどうあれ突然死を選ぶバニアから逃げないで、幸せにしてあげたい。
さっきまで、過去を変えたらもしかしてと、つらつらと述べていたら結局は私の保身のためにバニアを救わないのかと思われるかもしれないけど、でも私は決めた。
私が救ってみせる。
それでも救えなかったら、その時は──
バニアは目の前で俯いている。
「どうして急に飛び降りたりしたの?」
バニアは怖がったように俯いたままだ。聞き方がいけなかった。もっと優しく。飛び降りた理由じゃなくて──
「バニアに何があったの?」
「ご、ごめんなさい」
私はバニアを抱きしめた。壊れてしまいそうな脆い彼女に、彼女が泣ける勇気をあげたい。
「話してごらん、全部」
「────」
バニアは長い事黙っていた。私は少しでもバニアの怯えが薄まるように、そして私の思いが届くようにずっとバニアを抱きしめていた。
私は抱いてもらうのが好きだ。相手の温かさを私に分けてもらえるから。小さい頃に、おか──、誰だっけ、お兄ちゃんじゃないし、お投様でもなかった気がするんだけど。
そう長い時間していると、バニアはポツリポツリと吐き出し始めた。
「わ、わたし、のお母さん、とお父さん、が、家が襲われて、た、戦いに、巻き込まれて、守ってくれようとした、んだけど、倒れて、私を逃がしてくれて、」
「うん」
辛いかもしれないけど言って欲しい。バニアの言葉に嗚咽が混じる。
「でも、と、トーカちゃんと、逃げてたら、助けてくれるってい、言った人が、その人に、捕まえられて、と、閉じ込められて」
「うん」
彼女は辛い過去を思い出したせいで、過呼吸気味になっているが、背中を優しく叩いてあげて落ち着かせる。
「く、暗くて、男の人に襲われて、でも、わ、私は怪我が治って、死ねなくて、お腹減っても、ご、ご飯も食べなくても死ねなくて、そ、それがずっと続いて、ト、トーカちゃんはび、病気なのに、た、助けてくれなくて、し、死んじゃって」
「うん」
話してくれてありがとう。
あとは彼女に訴えて欲しい。
「頑張ったのね」
バニアの目尻から涙が伝ってくる。
「言ってごらん。今までいえなかったあなた自身の気持ち」
「──つ、辛かった、か、悲しかった、こわかった」
「──ありがとう言ってくれて」
私が頭を撫でるとバニアは堰が外れたように思い切り泣き始めた。ちゃんとバニアの気持ちをバニアは知れただろうか。
今話してくれた中でバニアが飛び降りた理由も薄らと分かった気がする。自分を残して先に死んでいってしまう人達を、見るのがどんなに辛かっただろう。しかも自信は死ぬ事が出来ずに。
でも、死んでしまうのはダメだ。
きっとバニアの親も、友達もそんなこと望んでない。彼ら彼女らのためにも私はバニアを死なせてはいけない。
「わ、わたし、お母さんと、お、お父さんと、トーカちゃんに、会いたい」
「──死んじゃいけないわ。今バニアが会いに行ってもお母さんと、お父さんと、トーカちゃんは、きっと怒るわよ」
「で、でも、生きてたってな、何もいいことなんてなかった」
「本当に?思い出してみて、長い間苦しんでいて奥底にしまわれてしまったかもしれないけど、あなたの大切な人たちがくれた大切な思い出が、なにがあっても忘れちゃいけない思い出があるはずよ」
「で、でも、もういない」
「あなたの大切な人はね、あなたに生きていることの楽しさを、人生の価値を教えてくれたのよ。そっちよりも乱暴にされた男の人達が与えた生きていくことへの絶望を信じてはいけないわ。
どっちが大事で、どっちを信じるかなんて簡単でしょ」
「でも、だ、だって、もう生きてく意味なんか」
「手伝うわ。一緒に探しましょう。──そうだ、明日街に買い物に行きましょう。今日生きていく意味をそれにすればいいわ。これは約束よ。命令なんかよりもっと良いもの」
「────」
「あなたがやりたいことを教えて欲しい」
「────やめて欲しい。あ、謝るから私をお母さん達のところへ連れてって欲しい。もう、ゆ、許して欲しい。死なせて欲しい」
それでもなお、バニアは生きたいと願わなかった。
ここまでバニアが苦しんでいるのに、決して彼女の気持ちをわかることのできない自分に腹が立つし、なによりバニアが可哀想すぎる。
伝わらなかった。私の力不足だ。お兄ちゃんは後ろで何も言わずに任せてくれてたのに情けない。
変えよう。
彼女が今この瞬間誰よりも不幸だということを確信してしまった。彼女には生きるのが苦痛なんじゃないかと一瞬思ってしまった。死が彼女にとって救いなんじゃないかと思ってしまった。
彼女には幸せになる権利がある。
私は天からの贈り物を使用した。過去の書き換えが起こる。
本来巻き込まれるはずのバニアの過去は書き換えられ、世界線は移動し、バニアの代わりに奴隷として捕らえられた少女が、呪いで死んだ私によって、変えられて、死んだ私は能力を使えなくて、書き換えは起こらなくて、しかし、ここまで彼女が生きていたという事実が、受理されずに、事実が、確定されたにも関わらず、決定的な齟齬が、が、が、が、莉雁屓縺ョ隕∵アゅ?蛻カ邏?↓蜿阪☆繧九b縺ョ縺ァ縺吶?ゅh縺」縺ヲ險ア隲セ縺輔l縺セ縺帙s縲りュヲ蜻翫?莉雁屓縺ョ縺ソ縺ァ縺吶?
リクエストは承認されませんでした。
記憶保持のための媒体が存在しない、あなたが死んだ世界線にとぶことはできません。制約が定められていません。
修正が入ります。
修正しました。
「私、生きてみる」
「それがいいと僕も思うよ。死ぬのなんていつでも出来るんだし」
「あなたがみたのはほんの一部に過ぎないわ、判断するなら全部して見てからしてみるのね。それでも遅くないわ。それよりもあなた可愛いわね。今度私とお買い物行きましょう」
「きっとバニアのお母さんとお父さんとトーカちゃんも、それを望んでいるわ」
上からラトロ、メリル、べーレである。俺の出る幕はなさそうだ。全てを吐き出したバニアはひとしきり泣いた後、生きると宣言した。
ラトロがバニアになにかを耳打ちした辺りから考えが変わったみたいだ。内容は知らないけれど。
遊びに来ていた彼女たちに、どうやら俺の出る幕は奪われてしまったようだ。
メリルが運んできたスープをバニアが口に運んでいた。「美味しい」と黙々と食べている。天からの贈り物持ちだから、食べなくても死なないと言っていたけれど、下手したら数ヶ月食べさせて貰えていなかったのではないだろうか。
枯れたと思った涙が再び出てきている。
よく食べて成長して、その細い体をべーレ所望のガチムチボディに仕上げるこったな。食べすぎて扉につっかえる程の横幅を手に入れたとて、誰も文句は唱えないさ。
やっぱ女子は女子同士で心通い会うもんなのかね。
次はバニアの笑顔が見たいな。
きっと似合う。