神話の終わり、静かな始まり
意識が白く霞む。
意思は明確だ。前へ、ただひたすらに前へ
立ち塞がるものは切り伏せ
彼方より狙うものには報復を
最早幾多の命を刈り取ったか記憶に有らず
進んできた道は、血と肉で舗装された戦場路
私は何処へ行けば良いのか。
何時まで進めば良いのか。
背負う命を放りも出来ず、
歩んだ先には
『何も無い』
「中尉殿?」
意識がクリアになる。
呼ばれた方を見てみれば、見慣れぬ光景。
頭の回転が遅い。状況をうまく飲み込めないようだ。
今の状況とは関係の無いことばかりが頭を飛び交う。
先ほどまで見ていた光景もその一つだろう。
それは白く霞がかっていても、今でもはっきりと思い出せる。
あの白い…
ん?
ここは?
徐々に頭の中が落ち着き、声をかけてきたであろう青年に漸く意識を向けることが出来た。
危ない危ない、今の状況は危なかったなぁ…
周りが。
「申し訳ありません、お眠りの所を」
あー
そうか、眠り。
私は眠っていたんだった。
自分で納得する。
まさかここまで気が抜けているとは。
特にストレスの類いは感じてないと思っていたが。
あちらでは思ってた以上に気を張っていたらしい。
つい先週。そう、つい先週まで、私は最前線にいたのだ。
とは言っても、主戦たる戦争はもう一年近く前に終結していて、残敵掃討の雑事を押し付けられていたんだが。
しかも、残敵とは言っても民間人の家宅捜索みたいなもんで、あまり気分のいいものでもなかったしなぁ…
それでようやく本国に帰れることになって、帰ってきてみれば『貴官は戦死認定されておりますが…』と来たものだ。
詳しく聞いてみれば、半年前には出されていたらしい。
半年前。
妙な心当たりが有りすぎる。
そもそも、同僚部下一同が帰国出来て、何故自分ができなかったのか。
理由としては一枚の命令書な訳だが、今考えれば一人残されるっておかしいのではないか?
戦死扱いされている時点でおかしかったのだろう。
詳しい話は後程上司から聞くつもりだが。
今は兎に角ヤバイ。
何がヤバイかって。
銀行口座まで凍結されているから、お金がない。
お金がない上に軍籍も失くなったから、軍の施設を利用できない。
これは…今までで一番ピンチなのではないだろうか。
それで結局、頼りの上司どのにアポイントメントを、取ろうとしたら、軍の高官過ぎてすぐには取れないとのこと。
不貞腐れてベンチで駄弁っていたら、いつの間にか夢の中へ旅に出ていたらしい。
「すみません、お疲れの所を…」
「いや、大丈夫」
恥ずかしい。
普通に恥ずかしい。
イビキを立ててなかっただろうか?
よだれは?
軽く身嗜みを確認するが、薄汚れている己の格好を再確認しただけだった。
これは…浮浪者一歩手前では…?
なってしまってはしょうがない、とばかりに気を取り直して、私は青年に向き直る。
「もう呼び出しかな?」
「はっ、少将閣下が今からお会いなさると…」
少将?
大佐でなくて?
「了解した。案内を頼んでも?」
「はっ、畏まりました」
にこやかに敬礼する青年。
二十を過ぎたくらいかな?
若いなぁ。
現場は知らないだろうが、はるか昔の記憶で知る、学生の雰囲気を持っていた。
彼の先導で、広場から目の前の巨大な政庁へと入っていく。
往来は多い。政庁の正面玄関も豪勢で、石造りの高級ホテルを彷彿とさせる。
中に入れば、三階吹き抜けの、これまた金がかかってる内装が私の居心地を悪くさせる。良くも悪くも貴族的、といえばいいのだろうか。
エレベーターで三階へ。ここでどうやらエレベーターを乗り換えるらしい。重要区画へは一階からの直通は出来ない様だ。
防犯かね?
三階で降りて吹き抜けを見渡せるサロンから奥へ。
軍人が警備する豪奢なドアを潜り、高級軍人が勤務する区画に入った。
絨毯の質感からして違うね。
廊下も広くなった。
受付と言っていいのか、派出所兼受付みたいな部署がすぐにあり、廊下の角にはそれぞれ警備の軍人が立っていて、これまた視線がジロジロと。
私の今の格好はボロボロの空挺隊用オーバーコート。
このような場では目立ってしょうがないな…
場違い感が有頂天である。
顔を軽く伏せて、青年の後に続く。
ようやく上の階に続くエレベーターの中に。ふぅ。
こんなん敵の魔術と銃弾飛び交う戦場の方がまだマシかもしれん。
ヤバイ。
そのまま肩を小さくして青年についていくと、機密区画に入ったからか話しかけてきた。
「中尉は今まで前線に居られたんですか?」
「ん、え、まぁ、そうだなぁ」
話していれば気が紛れそうだ。
だがなぁ、守秘義務は特に無いが、何とも言葉にしにくい。
なぜなら
「もうすぐ終戦して1年は立ちますが、残党どもはかなり多かったのですね」
「まぁ、そうなるなぁ」
あんまり声を大にして言いにくいが、半年近く終戦を知らなかった身としては、なんとも言葉に詰まる質問である。
おまけに終戦と知らされた後に任された仕事は、他人の家の家捜しと。
なんと言うか、ここ最近は人に説明し辛い状況が続いていたな、と改めて思う。
「現地と此方の情報の齟齬で、中尉が亡くなられていたと勘違いされたんですね」
「あぁ、多分なぁ」
言葉を濁したお陰で自分なりに回答を解釈した様だ。
それに、情報の齟齬は普通に有りそう。
平民に関するデータはあまり検証されないからな。
ぶっちゃけ、中央の連中は私たちのような平民を喋るロバ程度にしか思ってないだろうか。
「此方になります」
と、青年が指し示したのは豪華で頑丈そうなデカイ扉だった。
その威容に気圧される。
え、これ入っていいの?
「…ここか?」
私の質問に青年は笑顔で答えた。
んー、昔の執務室はもうちっとこじんまりとした、そう、休憩室みたいな扉の存在感だったのに。
「失礼します」
と青年がノックと共に声をかけると、中から『入れ』と言う声が聞こえた。
聞く限りでは昔と変わらないと言うか、知っている人物で安心したと言うか。
「ノール・ランディ、ただいま帰還しました」
青年がドアを開けて、側に退く。
それを横目に私は、自分の名前を告げながらその執務室へ入った。
どうやら青年はここまでのようだな。
結局、彼の名前を聞きそびれた。
ま、良いか。
会うことも無さそうだしな。
「どうかしたのかね?」
「いえ」
一瞬意識を残したが、すぐに室内の気配に向き直ると、壮年の男が呆れたような感じて問いかけてきた。
伸びた背筋が本人の厳格さを表しているようだな。
この人物は端から見れば軍の高官としては若すぎるとという印象を受けるだろう。
実際、彼より若い佐官を見たことはなかった。
しかし中身は昔から老練傑物、前準備を怠らず油断もしない、敵に回すと一番厄介なタイプであった。
「…彼とは十は離れて」
「いやそんなんじゃないんで」
余計な気を回さんで宜しい。
目線でそう訴えると、僅かに笑みを浮かべながら方をすくめた。
久し振りだからか、昔のようにして構わないという意思表示のように冗談から向かえる上司どの。
確かに、少将まで上がった人物に一介の少尉ふぜいが来やすく声を掛けるのは難しいのである。
まぁ私には関係ないが。
ただね、今のは余り気持ちの良い冗談じゃないよ?
しかし大佐老けたねぇ。
映画俳優みたいなブロンドのお髪を撫で付けた、いかにも官僚って感じの成りだけど。
体型は昔のまま。かなりスマートである。
「お久しぶりで」
「そうだな、三年ぶりか。お前は相変わらずだな」
「大佐は随分お老けになられたようで」
「本当に、相変わらず、失礼な奴だ」
ため息をつきつつ、懐かしいやり取りに互いの空気が綻ぶのを感じる。
この上司との付き合いは割りと長い。
軍務につく前から、と言うより保護責任者として対応してもらった時期もある。
それだけ恩は感じていたりするがな…
軍務に付いてからは、彼の尉官時代から共に戦場を転々としていた。
…懐かしい思い出だ
。
今の人生の半分を過ごした戦場は、もう無くなってしまったが。
彼も新しい戦場で戦っているようだしなぁ。
出きれば私も、新たな門出を向かえたいもんだ。
あ、結婚じゃねぇぞ?
「お前の生存は去年の段階で分かっていた」
行きなり本題から入るらしい。
まぁ、その方が早くていいか。
「ええ、まぁ。そもそも私だけ現地での待機は大佐のご命令で?」
あの命令書にはこの司令部の印は押されていても、この目の前の上司の印は無かった。
どういうつもりだったのか、どういう事情があったのか。
さわりでいいから知りたいもんだ。
「今は少将だ。面倒であれば略称で構わん」
「これは失礼。で、閣下、どうなんでしょう?」
「・・・調べた限りでは、私への嫌がらせと、お前たちを危険視した一部の勢力に因るものだ。お前たちの部隊の解散、そして部隊員の切り離し工作を含めて、な」
慇懃無礼に返した私に、閣下が眉間にシワを寄せて吐き捨てる。
それは私の態度に対してと言うよりも、やはり私が現地に留められた内容に因るものだった様だ。
私としても素直に納得は出来ない。
現地で半年を過ごすことになったのは、まぁ良い。
だが何でここまで横槍が入れられた?
私は閣下の直属扱いだった筈だ。
部隊の解散も含めて、ちと後手になりすぎじゃないかい少将閣下?
「私たちの部隊の解散も含めて、閣下の指示は?」
「私の指示など無い。現地司令官より、治安維持のための要請には従うよう命令書は送ったが、任期が終わり次第、臨時編成のまま帰還を指示していた」
「・・・なる、ほど」
閣下は敵が多い。
それは前から分かっていたけども。
立場が上に行くにしたがって、嫌がらせのレベルが洒落にならなくなって来てるね。
敵が誰かは…閣下の顔を見れば分かってるってツラだが、おそらく今は手が出せない相手なんだろう。
「戦争後期、ベルへホルン陥落前からか。後方の輜重隊本部はともかく、本国は戦費の増加を快く思っていなかったことも一因だ。お前たちを公に評価する財源が惜しかったのだろう」
ベルへホルン。敵国の首都にして、私が半年間駐在することになった都市だ。
戦争の影響で物価も高く、占領政策も国同士の思惑で遅々として進まない状況であった。
そんな状況を私も理解していたから、駐在に対してそこまで疑問を覚えなかったのだ。
「戦争に参加すると決定したのは本国では?」
「政権が変わっているからな。前の政権の責任なのだよ、彼らにとっては」
「ファ○ク」
「おい」
でもそれで何で半年も待機させられなアカンので?
現状は閣下にとっても理解できていた筈。
他の部隊員が帰国している状況で私だけ帰ってきていなかったら、対応してもらえたのでは?
私のそんな疑問が顔に出ていたのか、彼は続ける。
「ベルへホルンの治安維持自体は懸念事項であった。それにな…」
「なんです?」
「戦後復興基金の設立に、自主的に資金の供出があったと、いう流れになっていた」
供出?
誰に、は今言った『戦後復興基金』とやらか。何に使うかは想像に固くないけども。
じゃあ誰が、となると…
「まさか…」
「怒る気持ちは解るが、抑えろ」
いや、扱いがぞんざいなのにも程があるだろうよ。
差し押さえる工作のために帰ってくるなと?平民には何したって良いと思ってるよな、この国。
「流石に嫌がらせにしてはやり過ぎじゃないですかね?」
「お前だけではない。戦地で行方不明になったもの、戦死した者の遺族年金も軒並み対象になっていた。冗談ではないぞ…」
それに戦死した者の遺族が納得するのか?
遺族年金制度が機能していないとなると、暴動もあり得るのでは…?
私も参加しようかな。
「分かった段階で相当の範囲に及んでいた。正直、お前を呼び寄せて要らん妨害を受けるよりはと、放置を選んでしまったのは悪いと思っている」
「それで、私のお金は…」
「詫び金も取る予定だ。心配するな」
予定、と言うことはまだ進行中ということか。
閣下が嘘をつくメリットもないから、そのまま受け入れるさ。
結局は、私への嫌がらせとあわよくばお前という戦力との仲違いを狙ったのだろう、と締める我が上司。
貴族社会の身分構造が色濃く残る民主主義初期の弊害なんだろうねぇ。
「それでも時間が掛かったのはな、戦死者が余りにも多すぎた。言い訳に過ぎんがな。お前達魔導師団を含む二個師団、2万5千人の内、一体何人が帰ってきた?」
「・・・・」
ほとんど。
僅か。
300は居なかった筈だ。
とりあえず、今は閣下にお任せしよう。
さて。
「じゃあ、私はどうすれば良いんです?」
「…すまんな」
いえいえ。
例えばここで軍を出奔したとして、果たして他国で味方になってくれる人間がいるだろうか。
隠れて敵対しそうな国や組織には心当たりがあるのだが。
その点、この国ならば敵対者は居るが味方になってくれると信じれる人間も少なくない。
ならば今は色々飲み込んだ方が都合が良い。
それに今辞めると年金が貰えないしな。
あと3年は要る。
「そういえば最後にお会いしたとき、約束しましたよね?」
「・・・前線から外し、閑職で良いから後方へ、だったか?」
「覚えていただいて幸いです」
「・・・確か、警備部の方にまだ余裕があった筈だ」
警備部?それ軍の仕事?
あ、さっき見た警護のお仕事かね?
「警備とかって軍部の仕事なんです?」
「詳しくは警備部で説明を受けろ。増えすぎた士官の雇用対策として出来た部署だ」
「閑職っぽいですね!」
「閑職に転属で喜ぶな、全く。あとお前の復隊手続きもある。一月から二月程度は時間が空くだろう。その間に住まいや諸々を整えておけ」
「お、お金が・・・」
お金がなくて、口座も無くなってて、助けて欲しくて此処に凸って来たんですが。
「はぁ、そんな顔をするな。此れを持って行け」
「何ですこれは?」
手渡されたそれはスマホのような、やや分厚い板切れのような魔道具だった。
「将官用の支払手形だ。小さい店はともかく、大抵の場所で使える。それを持っていけ」
「え、使い放題」
「必要な分だけ使えよ?使い過ぎたらお前の財産から引くからな?」
「うーっす」
昔の様なノリが懐かしい。
思えば閣下とは付き合って15年近いのか。
彼の方も同じ感慨を感じていたのか、目を細めていた。
ふと、何かに気づいたように眉尻を上げると、私を顎でしゃくった。
「あと、体の方も治しておけ」
「治ってますが・・・」
「どう見ても骨格が歪んでいる。方術整体師に伝手がある。そこで歪みを治してこい」
骨が折れれば即回復、肉が弾けても応急措置、そんなことを10年も続けたらそら歪むか。
そこまでかなぁ、と手のひらに目をやれば、かなりいびつに指が延びている。
腕を返せば、少しばかり違和感。
「中々にボロボロですね」
「自分で気付け」
呆れたように、今度はため息を吐くと、メモ用紙に何かを書いて渡してくれた。
「これが?」
「その手形も効く。ただ、修正医療は緩和してもかなり痛いと聞いている。じっくりやると良い」
痛いの耐えるのは割りと得意です。
好きなわけじゃ無いがね?
「・・・それに一応、お前も『女』であろう。身を整えると良い」
「惚れました?」
「帰れ」
「帰る家がありません」
いやほんとに。
施設から戦場で、このかた住所不定を地で行っておりますとも。
「はぁ、ここの4階の臨時宿舎を使え。その手形を見せれば此方に連絡が来るから、それで対応しておく」
「ありがとうございます」
これで助かった。
物乞いしようか迷ってたんだよな。
文化的な最低限度の飯が食えそうだ。
「あぁ、後な」
この国、オルレアン共和国の守護神とまで言われた男が、私を真っ直ぐ見て、言い放った。
「まずは風呂に入れ。匂うぞ」
「酷い」
設定の変化のため、大幅に加筆しております。