13 かくしごと 下
「そういえば、ウォルト殿下は何をなさっていたのですか?」
頭を振って考えを追いやり、私は話題転換するためにウォルト殿下に声をかける。
わざわざ気配消失の魔法まで使って人の目を避けていたとなれば、それなりの用事があった筈だ。
私がそう言及すると、ウォルト殿下は途端にバツが悪そうな表情になった。
モジモジと手を擦り合わせて、実に言いにくそうに口を開いた。
「実は、宮殿を抜け出したくて……」
そう言うとウォルト殿下は俯く。
一国の王子が簡単に宮殿を抜け出せるはずがない。しかも今は暗躍する存在がある。建国祭が近いとあって宮殿の警備はより強固になり、あちこちに騎士の姿がある。
ましてや第三王子が密かに宮殿を抜け出せばどうなるか。それは分かりきったことだ。
自分が何をしようとしているかの自覚があるだけに、ウォルト殿下はこっそり抜け出そうとしていたらしい。
「なぜそんなことを?」
俯くウォルト殿下に私は静かに声をかける。
「フィオン兄様の姿が見えなくて。いつも兄様はふらっと居なくなったかと思うと、下町の散策に行かれるんです。だから私も、その……」
段々と声の調子が落ちていくウォルト殿下。
姿が見えなくなったフィオンを追いかけて、宮殿を抜け出そうとしたということか。
「ウォルト殿下はフィンのことが大好きなんですね」
健気なことだ。フィオンは第三王子に随分と慕われているらしい。あの夢の中で見た在りし日の二人は仲睦まじい様子だった。
幼い頃から本当に仲の良い兄弟だったのだろう。
「はい。フィオン兄様は凄いんですよ! 王国で最強と謳われる第三騎士団の団長で、剣の腕は王国では敵う者はいません。竜騎士としての竜の操縦術の腕も随一ですし、その上強力な『竜の眼』の加護を持っており、とにかく多才なんです!」
キラキラと青銀の眼を輝かせて語るウォルト殿下。兄が誇らしいと言わんばかりのその表情に、私も思わず頬が綻ぶ。
「でも……」
しかし。先程とは打って代わりウォルト殿下は再び俯くと、今度は沈鬱そうな表情を浮かべた。
「一番上の兄様も頭脳と政治に優れ、いずれはお父様を超える名君になるだろうと言われています。私だけなんです。魔法ができても、所詮はそれだけ。兄様達は歴代の王族と同じく素晴らしい『竜王の加護』を持っていますが、私にはその『加護』が発現しませんでした。私は、出来損ないの王子なんです……」
ウォルト殿下は静かに項垂れる。
「『加護』を持たない王族なんて聞いたことがありません。今までそんな者は居なかったんです。お父様とお母様はいずれ加護は発現すると言ってくれますが、歴代の王族は十歳前後ですでに『加護』を得ていたんです。私だけ出来損ないだから、兄様も……フィオン兄様は僕のことをきちんと見てくれないのかも……」
再び声の調子が落ちていく。
セインブルクの王族は頭脳と才能に愛された多種多彩な一族と有名だ。
第一王子は『炎竜王の傲慢』を受け継ぎ、明晰な頭脳と政治力を併せ持つカリスマと言われている。
第二王子は類稀な美貌を持ち、強力な『竜王の目』の加護を得た凄腕の剣の持ち主。
第三王子は魔法の才に恵まれた生粋の魔法の使い手。
唯一の王女は『水竜王の手』の加護を得た治癒に優れた手を持ち、また音楽では稀代の演奏の担い手として高い評価を得ている。
セインブルクに入ってから伝え聞いた噂。王子と王女はそれぞれが専門の分野で評価を得ているが、第三王子の『加護』は確かに明かされていなかった。
その理由は、彼がまだ『加護』を発現していなかったからだったのか。
俯いたまま声を発さなくなったウォルト殿下。
その頼りない小さな背中が、かつて『地味姫』と呼ばれていた自分に重なった。
王族でありながら、なんの能力も持たず、平凡な容姿と魔力でただ王族のお荷物として存在していた頃の自分と、重なってしまった。
「――出来損ないなんかじゃ、ありませんよ」
気づけば私はひとりでに言葉を紡いでいた。
私の声につられてウォルト殿下が顔をあげる。
今にも泣きそうな顔をしている彼と目が合うと、私は静かに笑いかけた。
「殿下は頑張っていらっしゃるじゃないですか。民のために竜の息吹の魔法の新たな使い方を模索する。禁忌とされた魔法を紐解いて、竜の息吹の魔法を正しい使い方をすることで民をより幸せに導く。それは魔法に優れた才能を持つ殿下にしかできないことです」
カツカツと靴を響かせて歩み寄り、私はウォルト殿下の前に立つ。
「私は殿下からそれを聞いた時、心の底から素晴らしいことだと思いました。一国の王子として相応しい考えだと。『加護』なんてなくても、殿下は立派にセインブルクの王子として役目を果たされている。決して、自分を卑下しないでください」
長い沈黙。
ようやく顔を上げたウォルト殿下は、涙を流していた。
「僕は、兄様達のような立派な王子になれているのでしょうか……?」
「ええ、第一王子殿下にも、勿論フィンにも引けを取らないくらい、素晴らしい王子だと思います!」
何もしてこなかった地味姫と違って、その役目を放棄した私と違って、ウォルト殿下は精一杯自分にできることを、立派に役目を果たしている。そんな彼に、出来損ないだと自分を責めて欲しくない。
「それに、フィンはウォルト殿下のことを誰よりも大切に思っているはずですよ。その右腕の傷。それはフィンが殿下を危険から守った何よりの証でしょう?」
右腕に走る傷を指さすと、ウォルト殿下は反対の手で隠すように傷跡をさする。
「僕の傷の事を聞いたんですか?」
「ええ。フィンや陛下から大体のことは」
本当は夢の中で知ったのだが、それを言う訳にも行かないので適当に誤魔化しておく。
「この事件の後、フィオン兄様はまともに僕に触れようとはしなくなりました。僕のこの傷跡を見る度に、悲しそうな、苦しそうな顔をするようになりました。僕はまたかつてのように兄様と話せるようになりたい……。でも兄様はそうじゃないみたいで……」
トラウマは簡単には消えない。
何よりフィンが恐れていた『竜の眼』の力の暴発と、それによって大事な弟を傷つけてしまったという自戒の意。
そのせいでフィンは大事な弟であるウォルト殿下とかつてのように接することができなくなり、結果として仲の良かった兄弟には大きな溝ができてしまった。
フィンがトラウマを克服しない限り、自責の念もまた消えない。彼もまた王子である。色んな意味で責任感が強い。そのために弟に傷を負わせたという罪を『竜の眼』を完全制御下に置いた今でも拭えないのだ。
しかし、そのせいでウォルト殿下との仲を進展させられないのなら、本末転倒である。
何よりウォルト殿下の気持ちを無視しすぎている。本来は強引で押しが強いくせに、申し訳なさで奥手になるところは彼の悪いところと言えるかもしれない。
「フィンは今、宮殿に居ない。それは確かですよね?」
「え? はい。宮殿には兄様の魔力を感じません。こういう場合、兄様は下町にいることが多いですね」
「確かウォルト殿下は魔力感知でも一流の感覚をお持ちでしたね。でしたらその感覚を私と同調させることは可能ですか?」
突然の私の問いに戸惑いながらも、ウォルト殿下は頷く。
「分かりました。では今から私と手を繋いでその感覚を同調させてください。私が転移を使うので、フィンの所に突撃しましょう!」
「え!? あの、どういうことですか?」
「避けられるのなら、こちらから会いに行けばいいのです。ウォルト殿下はかつてのようにフィンと話をしたいんですよね?」
改めて確認すれば、ウォルト殿下は数秒沈黙して、直後に答える。
心からの彼の本心を。
「はい。また昔のように兄様と本当の兄弟に戻りたいです!」
「でしたら私が力を貸します。フィンの独り善がりを更生させてやりましょう!」
「あの、でも宮殿から勝手に抜け出したりしたら……!」
「勝手に抜け出そうとしていた殿下が何を今更。バレたら一緒に謝りましょう。あ、でも私が転移を使ったことは内緒ですよ? 『――来たれ、導き手』」
ウォルト殿下の手を取り、妖精言語で叫ぶと、視界が真っ白く覆われていく。
その次の瞬間、私とウォルト殿下は宮殿から姿を消していた。
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