5 春の祝福
「分かりました。ありがとうございます、ノイン様」
「あぁ、ではまたな」
ノイン様はいつものように笑顔で送り出してくれる。
この日常もあともう少しで終わってしまう。そう思うと少し寂しさを感じて、私は何度もノイン様の住む塔を振り返ってしまった。
「そろそろ行かないと」
まだあと一週間はある。これが今生の別れではないのだから。そう心を切りかえて、私は西の区画の外れにある温室へと歩き始めた。
オベウレム城には大きく二つの庭園が存在する。
ひとつは王城の中央に座す『空中庭園』。そしてこの西の区画にあるのが大庭園である。
ティナダリヤ王国は春と美の女神の祝福を受けた妖精女王の一族が治める国。常春と呼ばれる気候帯で年中一定の暖かさが保たれるため、植物の育成に非常に適していた。
そのためそれらに関する技術の発達が進み、様々な植物が生み出され、王国にしか見られないものも多く存在する。
『植物研究室』はそんな植物を管理、育成することを目的とした集まりで、温室と呼ばれるガラスで仕切られた室内で数多の植物を育成、観察し日々の研究に役立てていた。
「こんにちは。ノイン様から聞いて来たのだけれど」
ガラス張りの透明な室内の中で唯一黒い扉を開けながら、私は中へ入った。途端にむっとした湿気と熱気が押し寄せ、額にじっとりと汗が滲み始めた。
声をかけたはずが返事がないので、誰かいないかと辺りを見渡していると、植物の茂みの向こうから声が響いた。ガサガサと茂みを抜け出して、ひょこりと顔を出したのは、眼鏡をかけた黒髪の女性。
「あぁ! ようこそおいでくださいましたシャルル様」
「ニーネ。こんにちは。ノイン様から私を探していると伺って来たのだけれど、どうかしたの?」
私の問いかけに、ニーネは眼鏡の奥で榛色の瞳を嬉しそうに細めた。
「シャルル様、朗報です。ついに蕾がつきました!」
「まぁ! それは本当なの!?」
「はい。今朝方グラツィーが見つけてみんな大はしゃぎで。シャルル様に見て頂こうと探し回っていたのです」
「そうなの。では早速見に行かないと!」
「勿論!」
それは何よりも嬉しい報せだった。
私はニーネの手を握ると、すぐに彼女と一緒に温室の奥へ入った。
全面ガラス張りの温室は適度に陽が降り注ぎ、明るく室内を照らしている。
その一角、特に日当たりが良い場所に鉢植えが置かれてあり、その中に目的のものはあった。
手間暇をかけて元気に成長した若木からは緑の葉っぱが茂り、その合間から蕾が姿を見せている。
まだ小さなそれは、芽吹きの時を待っているかのようにそこにあった。
「小さいけれど確かに蕾だわ! やっと成功したのね!」
長年の試行錯誤が報われたことが嬉しくて、ニーネに抱きついた。突然の行動にニーネはしどろもどろになっている。王女としてはしたない行動ではあるが、興奮を抑えきれなかった。
最大の難関であった問題をクリアした。後は――。
「あとは私が『祝福』するだけね。ここまで来たら勢いに乗らなきゃ。今からしてみるわ」
「え、いきなり本番ですか?」
「ええ勿論。それに妖精たちは皆この花に興味津々よ?」
驚くニーネにそう言って春色の瞳で周りを見渡せば、植木鉢を中心に無数の光の集まりができていた。光のみの顕現は、形を取れないほど極小な魔力しか持たない小妖精たち。
ティナダリヤの王族にのみ受け継がれる妖精女王の春色の瞳――妖精眼。
普段は決して表に姿を見せない妖精を映し、会話を交わすことを可能とするこの眼を持って生まれた私は、それ故にこの眼を封じなければならなかった。
それだけ、この国にとって妖精眼を持って生まれるというのは重大なこと。ひいては王位継承権にすら関わる。
そのため母はこの眼を隠し、私もそれに従ったのだ。
私にとっては厄介でしかなかったこの眼はしかし、思わぬ副産物を与えてくれた。
私は妖精眼で全ての妖精を写し取り、優しく語りかける。
「みんな、この蕾がどんな色で芽吹くか気にならない?」
周りに群がるのは光のみで構成された力の弱い小妖精達だったが、意味を理解したのか、私の言葉に呼応するようにぐるぐる回り始めた。
「じゃあ、チカラを貸してほしいの。この蕾を咲かせるためにあなた達のチカラでこの蕾を『祝福』して花を咲かせましょう」
そう言って眼を閉じると、光が集まって、私の元にチカラが集まってくるのを感じる。
暖かな春の陽だまりのような、優しい光。その全てに慈しみの心が宿っている。妖精たちから受け取ったチカラだ。
それを大事に両手で包み込み、眼を開けた私は、植木鉢に向かってそれを振りかけた。
途端に植木鉢全体が淡い金の光を放ち、輝き始める。
『祝福』を受けた小さな蕾は、時間を速めるごとく見る間に大きくなり、そして一輪の花を咲かせた。
光に包まれ艶やかに咲き誇ったその花は私の瞳と同じ色。
柔らかな花弁を持つ荘厳なこの花は、新しく作られたばかりの品種だ。可憐さと絢爛さを併せ持つこの薔薇は、まさにティナダリヤ王国の象徴として相応しい。
「――〝ティータニア・ローズ〟開花確認。成功しました!」
ニーネの弾むような声を側で聞きながら、ひと仕事終えたことに満足して、麗しく咲く薔薇を見つめる。
王国を去る前にこの花を完成させられてよかった。私は無理でも、エルルカならこの花をつけてデビュタントを迎えることができるもの。
――本来はこの花をブーケにしてアルバートと結婚するはずだったのだけれど。
もうそれも叶わないのよね……。
今しがた咲いたばかりの瑞々しい薔薇を見て、なぜか心が少し傷んだ。
面白いと思ったら評価頂ければ幸いです