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椎名ユズキ先生の『この瞬間、私は恋に落ちた』を考察してみた

作者: そらいろさくら

初めて人様の作品の考察を書いてみました。


椎名ユズキ先生のご許可を得られたので公開いたします。


ぜひお読みくださいませ!


どうも、そらいろさくらです。


今回は、椎名ユズキ先生の作品『この瞬間、私は恋に落ちた』を考察していきます。


まずは、タイトル「この瞬間、私は恋に落ちた」について


「この瞬間」がいつなのか?これは結構、重要な要素ですが、ひとまず置いておきます。


ここでは「私」に注目します。


詩本編では一人称は使われておらず唯一使われているのがタイトルの「私」です。


この作品は全編「私」の独白の形式で綴られています。


それでは早速本編を見ていきましょうか。




この世に偶然なんてないって、あなたはいったよね。


全ては必然なんだって。


じゃあ、運命なんてないのかしら?




冒頭3行で私は頭を抱えました。


「え、どういうこと?」それが最初の感想でした。


普通「偶然なんてない、全ては必然」と言われて


「運命なんてないのかしら」とはならないのではないでしょうか。


「運命」は普通、何者かに(神様に?)よって決められたことが決められた通りに起こるという考え方だと思います。


例えば、「あの人に出会えたのは運命だった」といった場合、「出会い」は最初から決められていた。「必然」だったと捉えるのではないでしょうか。


だからこの文章を読んで混乱しました。


どういう意味だろうと考えて考えて


ようやく、ひとつの答え(らしきもの)にたどり着きました。


ここでいう「運命」とは「私とあなたの運命」もっと正確に言うと「私とあなたが恋人になる運命」のことではないでしょうか。


実際、本文中の「運命」のまえに「私とあなたの間に」という語句を補うとしっくりくると思います。


ではなぜ省略されていたか。


ここが椎名先生の非凡なところです。


一部を省略することによって大きな疑問を読者にもたせ作品世界に引き込む。


つかみとしては最高です。


続きを見ていきましょう。




小首を傾げ考える。


胸に手をあて考える。




「小首を傾げる」「胸に手をあてる」は、ともに慣用表現ですが、イメージしてみて下さい


小首を傾げ、手を(両手を)胸にあてて考え事をしている女性を。。。


めっっっっっっちゃ可愛くないですか?!!!


すみません。取り乱してしまいました。


ここで「私」が考えている内容は何かというとズバリ、「私はあなたに恋心を抱けるか」と「あなたは私に恋心を抱けるか」そして「もし二人が互いに恋心を抱いたとしてそれは結ばれるのか」です。


「私」と「あなた」との間に運命はあるのかという疑問ですね。


中でも一番大事な疑問が「私はあなたに恋心を抱けるか」です。


この時「私」は「あなた」のことで頭がいっぱいになっています。


それでは続きを見てみましょう




トクントクンと胸の音がする。


トクントクンと恋の音がする。




胸の音は手から伝わってくる物理的な鼓動、恋の音は「あなた」で頭がいっぱいの「私」がその鼓動に対して意味を与えた表現ですね。




あなたに会いたくなったよ。


無性に会いたくなったよ。




ここは「私」の素直な気持ちですね。2回繰り返されることで想いの強さが伝わってきます。




外は春の風が暖かく頬をくすぐる




ここで「私」は考え事から一旦離れて現実世界に意識が向かいます。


「私」は部屋の中にいて窓から入ってくる「外」の風を感じます。


「外」は文字通りの「外」でもあり「私の内面」に対しての「外」でもあるのでしょうね。


そして「くすぐる」という表現。これは「あなた」に対する「私」の思いが、なんだかくすぐったいような、そんなニュアンスを含んでいます。




恋に落ちたよ。


恋に落ちたんだよ。




ここがこの詩の一番の読ませどころですね。


シンプルな言葉で、、だからこそ強く伝わる。いいですね。素敵です。





恋の風はあたたかい。


春の風のようにあたたかく気まぐれで。


そしてちょっぴり悪戯好き。




ここは個人的に一番好きな場面です。


「春の風」を「恋の風」に喩えて、そして「恋の風」を「春の風」になぞらえて綴られていきます。


「春の風」はタンポポの種子を飛ばして遠くに運ぶというイメージを持ちました。


あたたかく気まぐれで悪戯好き


どこに飛ばすかは気まぐれで、思いもよらない場所に飛ばして人を驚かせる悪戯好き


でもその驚きは人を優しい気持ちにされるとてもあたたかいもので。。。


「恋の風」は「私」の心のなかに「あなた」への恋心を運んできて


でも「あなた」と会えない「今」のタイミングで運んできて、それはちょっぴり意地悪で。。。


という感じでしょうか。


そして最後の一文です。長い空白のあと、こう結ばれます。






ねぇ、逢いたいよ






先程は「会いたくなったよ」と「会う」の方の漢字が使われましたが最後は「逢う」が使われています。


気持ちの強さ、切なさが伝わってきます。


ここで、最初の方で書いたタイトルの「この瞬間」はいつなのかについて個人的な見解を、、、


「この瞬間」とは「コロナ禍」のことではないかと思います。


もちろん「コロナ禍」の期間の中のどこかの瞬間で、、という意味合いです。


「私」と「あなた」は遠く離れた場所に住んでいて「緊急事態宣言」の発令中で容易には会えない


そんなときに「あなた」に恋をしてしまい、切なく苦しい思いと「あなた」のことを思って幸せを感じる思いの両方が「私」にはあって、その微妙な心の動きを表現したのがこの作品、ということではないでしょうか。


以上で椎名ユズキ先生の『この瞬間、私は恋に落ちた』の考察を終わります。


最後までお読みいただきありがとうございました。



これはあくまで私個人の考察になります。

椎名先生の作品のほうもあわせてお読みいただければ幸いです。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしい! 実にお見事な考察です。萌えキュンの巨匠、椎名ユズキ先生の作品をここまで深く考察されるとは恐れ入りました。 この詩は大好きな作品だったのですが、何がどう良いのかその魅力の秘密に…
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