刻 -Hundemarken-【X'masSS@ひろかな】
「はー、おなかいっぱい。ごちそうさま!」
ダイニングテーブルの椅子にもたれながら、国枝香奈は、満足げに腹部を撫でた。
「ご満足いただけたのなら幸いです」
夫である浩隆が、食後の食器を手を片付けながら返してくる。
「でも、まさかクリスマスの食卓に、純和食が並ぶとは思ってなかったけど」
今年の12月25日は週半ばの平日。にもかかわらず、いつの間に仕込みを済ませていたのか、きっちり定時で仕事を終え帰宅した自分を待ち構えていたのは、まるで七宝のごとく輝く懐石膳だった。
「昨夜も今夜も、きっとどこもかしこもターキーにチキンばかりだろうからね。あえてその手の素材を避けて買い物をしてみたんだよ」
むしろお買得だったし、としっかり主夫の様相まで醸し出してくる彼に、香奈はふふっと笑った。
「お酒も美味しかったわね。ヒロのことだから、グリューワインとか、向こうの風習を持ち出して来るんだとばかり思ってたのに。北東北の酒蔵の『しぼりたて』なんて、一体どこから見つけてきたの?」
「ああそれはね……実は商店街の酒屋さんに見繕ってもらったんだ」
「えっ、そうなの?」
「うん。ほら、カナちゃん行きつけのお肉屋さんの斜向かいにあるお店だよ」
「ああ、そういえば」
「品揃えも豊富そうだったからずっと気になってたんだけど、なかなか入る勇気が出なくてね。でもこの間、そこのおかみさんと店の前でバッタリ会ったから、思い切ってオススメを聞いてみたんだよ」
ふうん、と返しながら想像する。初対面とはいえ、彼のようなイケメンにあれこれ尋ねられたらきっと悪い気はしない――むしろ商魂も手伝って色々紹介したくなるというものだ。顔面偏差値のファインプレーのおかげで巡り会えた逸品、身体に回ったほどよい酒精。むき出しの手のひらは、改めて見ると桃色に色づいていて、首元や頬だけではなく、それこそ全身がほかほかと温まってとても気持ちが良かった。
「あー、なんか幸せだなぁ」
心底の幸福感に包まれながら天井を仰いでつぶやく。
「ご満悦だね」
「うん。今これ以上なく満たされてる感じ」
「そう? ならこれは今更必要ないかな」
食器をシンクに置いた彼がキッチンから戻ってくる。その右手に白い小さな包みを携えて。
「なぁに? それ」
「クリスマスプレゼントなんだけど、弱ったな、贈るあてが無くなりそうだ」
こちらの出方をうかがう口調。瞬間湧き上がった物欲を試すかのようなそれに、ちょっとだけムッとしながらも答える。
「せっかく用意してくれたんだから、貰ってあげてもいいわよ」
わざとらしく上から目線を気取ると、ふふ、と小さな笑みと共にそれが差し出された。
「では、どうぞ」
「ありがとう。開けてみてもいい?」
「うん」
巻かれた赤いリボンを解き、包みを外して蓋を開ける。すると黒の敷布の上に、2本のネックレスが並んでいた。
「これって」
「『Hundemarken』」
「え?」
「チタン製のネックレスなんだけどね。カナちゃんの分は、ペンダントトップに加工してもらってるから」
箱の中から一本手に取ると、平座金形のトップを外して先程解いたリボンを通す。するとまたたく間に、真っ赤なベロアと銀の輝きを持つチョーカーが出来上がった。
「こういうアレンジなんかどう?」
「うん。かわいい」
その様相からは、Hundemarken――『認識票』の持つイメージなどは微塵も感じられない。付属のチェーンを通せば、普段使いにも十分対応できそうな品物だ。
「こっちは?」
残りのもう一本。言いようからして、おそらくは彼の分なのだろうそれも、一見するとそうは見えないデザインだ。わざわざこれを誂えた不可解さに首を傾げると、彼はいたずらめいた笑みを浮かべ、それから椅子の背に回ると、手にしたチョーカーを自分の首元にあてがって見せてくれた。
そのとき、目の前を通った一瞬、モチーフの裏側に彫られた刻印に気づく。
「きっと似合うよ」
ゆっくりと背後から近づいたその声は、どこか恍惚としていて。
「あとで着けて見せてね」
「え」
「期待してる」
吐息をするのと同じくらいひそやかに、耳元で囁かれたそれ。
「僕にも、着けてくれるよね」
言葉越しに伝わった誘惑にはっとして、アルコールのせいではなく全身が熱くなる。
そして胸に灯された情動の炎に。
香奈は言葉もなく、渡された銀の光を握りしめて、ただひとつだけ頷いた。
そんなあとだから。
なおのこと、甘く満ちて。
すんなりと、夜に落ちた。
クリスマスの特別サービス!
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