第75.5話 先へ進む翼
※エルフィー視点のサブ話
「あれが次の階層への道みたいね……」
私達の前にはレイディアの頭上に浮かぶ光の精霊の放つ光に照らされ、下層へと続く坂道が見えていました。
坂道の先は強い圧迫感を伴う暗い闇が広がり、肌に纏わり付くような新たな魔物の気配も感じます。
「どうする?このまま進むか?」
「んー、どうしようかな……エルフィー、今何時?」
坂道の先を見つめていたレイが、このまま進むか引き上げるかを皆に尋ねると、リーティアが私に今の時間を尋ねてきました。
「えっと……二時半ね」
私は左手にある万象の指輪から時計の機能を呼び起こすと、指輪の魔石の上の空中に14:32と現在の時刻が浮かび上がり、それを見せて答えます。
リーティア達は私と行動する事が多いので、この時計の数字や時間の長さの事も分かっています。
主様から授けて頂いたこの万象の指輪には、こうした日常生活用の物から各種戦闘に至るまで、様々な用途に使える魔法の術式が込めてあります。
制限があるとすれば、二つの能力を同時には呼び出せないと言った程度ですが、それも自身で発動する魔法や他の装備と併用すれば、私自身の脆弱さを除けばさしたる問題にはなりません。
「そろそろ、おやつの時間かぁ。
それじゃ、ちょっとだけ探索してから帰る?」
「そうねぇ、そうしましょうかぁ」
とのリーティとシルティアの決定で、私達は下へと降りていく事になりました。
下層へと続く長い坂道を、光精霊の光に導かれるように進んでいると、途中で私達の足音が妙な物へと変化しました。
それはまるで、地面に張っている薄氷を踏むかの如き、パキリ、パキリと音を立て、それと同じような感触も足から伝わってきます。
「なんだ?この地面は?」
先頭を行くバハディアとレイの二人は立ち止まり、その音を立てる地面へと目を向けます。
光で照らし出されたその地面は、黒曜石の様なガラス質の薄い層で覆われており、それが道の途中から地面だけではなく壁も天井も覆っていました。
「罠……でも無いな。色と土が変化しているだけのようだ」
と、それらをぐるりと見回したレイは言いました。
彼の言う通り、これが罠やゴーレム系統などの魔物由来の物であれば、私達の強化してある眼にその形跡が映るはずですが、それらの物は見えません。
つまりは、ただの鉱物という事です。
「前にぃ、主様に連れて行ってもらった所みたいにぃ、ここから環境が変わってるのかもしれないわねぇ」
「この先に部屋全体を弄るゴーレムでも居るんじゃない?
そこそこな強さの魔物の気配も感じるしさ」
「そうかも……しれないわね」
私はシルティとリーティの言葉に同意しましたが、下層へと続く道の途中からこんな変化が起きているのを見るのは初めてです。
「まぁ、用心して進むか。そろそろ下に着きそうな所まで来てるしな」
そう言い、バハは歩みを再開し、私達もそれに続きました。
進むにつれ、足元の感覚は氷が分厚くなったかの様に、固い岩の上を歩く感触へと変化していきました。
これが、ただのダンジョンの性質による物なのか、魔物による物なのか、と考えながら私が足元を見ながら歩いていると
「ん? 先が広くなっている?
いきなり部屋に出たのか?」
と、レイが前方を見ながら言いました。
その声に私も暗がりの先に目を向けると、下層へと続く坂が終わりを迎え、そこから先が広大な空間になっているらしい、その一端が見えました。
次の階層に到着して直ぐに部屋へと出る事は偶にありますが、今、私達の先にある場所は部屋とは言い難い広さ感じさせます。
その感覚は間違ってはいなかったようで、私達が警戒を強めながら、その入口へと進むと、光の精霊の放つ光では部屋の反対側が照らし出せない程の広大な空間と闇が広がっていました。
「うわぁ……すごい広い……
何、ここ? あの森になってた所よりも広いんじゃない?」
「魔物も居ないし、特に何も無いようだが……
たしかに広さだけは、あそこよりも凄いかもしれんな……
む? 天井に棘みたいな物が大量に生えてるぞ?
トラップ……ではないな。ただの石だ」
と、内部へと足を踏み入れたリーティとバハが言いました。
バハの言う棘とは、地面や壁と同じ様な材質で出来た大小様々なつららの様な物で、それが天井に無数に生えています。
「あれは……鍾乳石?」
私はその天井からぶら下がる棘の様な岩々に、主様から授かった知識から形容する物が頭に浮かびはしましたが、その知識の中の物と形が似ていると言うだけで、別物のように感じます。
たしか、鍾乳石は土壌に含まれる、水に溶けやすい石灰成分などが溶けだして洞窟内に出来る物だったはず……
であれば、あんな黒い物が出来る物なのでしょうか?
ダンジョンという場所であれば、それも――
と、私が考え込んでいた時でした
「魔物の気配はするが、近くには居ないようだな。
偽装しているのも隠れているのも見えんし、もっと奥に居るのか?」
「そうかもしれないわねぇ。
あの天井のつららみたいなのってぇ、レイとリーティのブレスで天井とかを撃つと出来る物に似てるわぁ」
と、レイとシルティの会話が耳に入って来て、私の中で幾つかのピースがカチリッと嵌るように閃きが起きます。
ここに近寄るにつれ黒曜石のようなガラス質へと変貌した床や壁、それが溶けてぶら下がり鍾乳石みたいな形状を物を作り出している天井、それらがこの広大な部屋全体に広がっていて、気配は漂ってくるのに近くには居ない魔物――
「シルティ!全体防御! 全力で!」
私は彼女にそう叫び、万象の指輪へと魔力をつぎ込み、今使える中で最高の防護結界を私と皆を囲む様に展開します。
その数瞬後、遠くで何かが光ったかと思うと、その直後、私達の視界が真っ白に染まりました。
私の張った万象の指輪による『消滅術式防護結界』が私達の許容できる可視光以外の物を全て遮り、なんとな事なきを得ましたが、遠くから私達へと向けて放たれている白色の光線は凄まじい威力です。
その余波だけで辺り一面を紅蓮の炎が包み、私に一拍遅れてシルティが張った分厚い氷の壁も瞬時に蒸発させて、あのガラス化していた地面や天井も溶かし灼熱のマグマ状態へと変貌させました。
「これはぁ、ちょっときついわねぇ……
エルフィー?どのくらいもちそう~?」
と、自身の氷での防御があっさりと破壊されたシルティアは声を漏らし、周辺の熱を嫌がる水精霊のシヴァを撫でながら私に尋ねてきます。
「そんなに長くないわ。あと2、3分ってところね」
私は張った結界に吸われていく魔力の量から残り時間を推測して答えると、それを聞いた皆は絶句しました。
この結界は外からの危険な物のみを排除する効果を持った結界で、その結界に触れる危険物の量やエネルギーが多ければ、それに比例し魔力の消費量も多くなります。
「このままじゃ動けないし、外にも出れそうにないね……一旦帰ろうか?
あ、ちょ、だめイフ! そっち行っちゃダメだってば」
リーティは周辺のマグマの海と化した景色を竜人のもつ金の眼で見回すと、結界の外の熱量が耐えれる物では無いと判断したのか、リターンクリスタルでの撤退を提案してきます。
その際、火精霊のイフは水精霊とは逆に、結界の外へとふらふらと出て行こうとして彼女が慌てて引き留めました。
「その前に、この攻撃をしている奴の姿だけでも確認しておきたいが……」
ダメだな。光も魔力も気も眩しすぎて見えん……」
レイは私の結界へと照射され続けている攻撃の先を目を凝らして見据えますが、その先に居る魔物までは見えないようです。
私も、なんとか正体だけでもと探ってはいましたが駄目でした。
「うーん……レイのではないな。
リーティのブレスを太くすると、こんな感じの物になりそうだが……
なあ? この結界は内から外へなら魔法とかは撃ち出せるんだったよな?」
バハは魔物の攻撃の様子をつぶさに観察し、そんな事を私に尋ねてきました。
「ええ、それは出来るわ」
彼の行おうとしている方法なら上手く行くかも?と私が考えながら答えると
「なら――」とバハは言い私達の前へと進み、彼は闇のブレスを放ちました。
彼の撃った闇のブレスは、結界の正面で堰き止められていたビームの様な魔物の攻撃を一瞬で消し去り、狙いも正確だったようで、その黒い光とでも言うべき線は、攻撃される前に感じた発生地点へと真っ直ぐに伸びていきます。
ですが、私の読みは甘かったようで、闇のブレスは相手の魔物に届く直前に白色の光で出来た防御結界に阻まれたのが見えました。
「――防がれた……だと?」
バハもその様子を見て驚きの声を漏らします。
私としても予想外でした。
バハの闇のブレスは攻撃の威力としては私達の中で最高の物の一つだからです。
彼のブレス攻撃を防ぐ事が出来た魔物は、今まで見た事がありません。
でも、まったくの無駄という訳では無く、おかげで魔物の攻撃が止まり遠くに居るその魔物の姿が確認できました。
地面から立ち上る熱気による陽炎の所為で視界は揺らめき細部までははっきりとはしませんが、赤熱した地面に照らされて見えるその姿は、まるでダイヤかクリスタルで出来た甲羅を背負った赤い亀の様な魔物です。
距離としては1kmくらいは離れてますが、それでもかなりの巨体である事が分かります。
「大きいわねぇ……亀って言ったかしらぁ?
川とかで見た事があるわぁ」
「バハのが防がれるんじゃ、私のでもダメそう……
あっ、甲羅が光った」
と、リーティが言葉にした通り亀の魔物の甲羅が光を放つと、頭を此方へ向けてその口を大きく開き、再び極太の熱線を浴びせてきました。
こういうのを怪獣……と言うのでしょうか?
結界の外は、足の踏み場もない溶岩の海で、天井からはその溶岩の雨が滴り落ち、空気も肺を焼くほどの高温と岩石が溶けた事による毒気に満ちています。
範囲的には私達を囲む一区画程度ですが、それでも結界の外へと出るのは困難ででしょう。
「こいつは、結構やっかいな相手だな……」
「そうね……ともかく、今日は帰りましょうか。
私の魔力も限界だし、そろそろ主様のお手伝いに行かないと」
と、私達は周辺を見回し今日の探索は切り上げる事にして、リターンクリスタルで帰還する事にしました。
「主様、ただいまー。今日のおやつはー?」
「おかえり。今日は、たまごボーロだ」
と、リーティは着地しながらいつも通りの台詞を言い、主様はそれにいつものお優しい声でお答えになられました。
たまごボーロ……たしかシンプルな焼き菓子だったはず。
主様は皆にたまごボーロを配りながら、時折アダムさんにも2~3粒渡して食べさせておりました。
背負っておられるアダムさんが離乳食を食される様になった事もあり、主様はアダムさんでも食べる事の出来る物を作る事が多くなられた気がします。
私達は、いつもの様に主様のおやつ配りを手伝ってから、夕食の準備に向かう主様からアダムさんを預かり、大理石のテーブルへと行きます。
「これ卵が入ってるっぽいけど、アダムは普通に食べるね」
「そうね。アダムさんは他のエルフの子と違って、好き嫌いが無いから」
リーティは、おかし配りの手伝いついでに大量に確保したたまごボーロを麻袋の中から取出し私の腕の中のアダムさんへと食べさせると、そんな事を言ってきました。
赤ん坊の内は、食べ物に対する種族毎の好き嫌いが激しく出る物なのですが、アダムさんの場合はそれが無く、なんでも美味しそうに食べます。
「それにぃ、成長も早いんじゃないかしら……?
どんどん大きくなってる気がするわぁ」
シルティの言う通り、アダムさんはすくすくと成長し、今では10kg以上はある感じがしますし、他の一歳児の子より一回り体が大きいのも確かです。
太っているという感じではないので問題は無いと思いますが……
これは、そろそろ離乳食も終える時期かもしれませんね。
しばし私達がアダムさんを囲み、一緒におやつを食べながらダンジョンでの出来事を話していると
「しかし、あの大亀はどうしたら良いんだ?
あんなだだっ広くて、遠くから攻撃してくるんじゃ、近寄るのも一苦労だぞ」
「それにあれじゃ、空飛んで戦うしかないかもね。
天井は高いし広いから、大丈夫だとは思うけど……
でも、他の方法でも攻撃してきそう気もするなぁ」
「ん? お前達は、もう最下層近くまで行ったのか?」
と、夕食の準備を終えられた主様が来られました。
「最下層? あそこがダンジョンの一番下の方なの?」
「クリスタルの甲羅を背負った大きな赤い亀が居るんだったら、そのはずだな。
その数階下が最下層になる。
しかし、となると……ふむ」
と、主様はテーブルに座る私達を見回すと、私に視点を固定しました。
「私に何かございますか?」
「んー……あれの相手をするとなると……
お前だけが戦闘についていけないのでは、と思ってな」
私が尋ねますと、主様はそう仰りました。
「え? エルフィーがですか?
でも、あれの攻撃を防げたのは彼女だけですよ?」
と、主様の御言葉を聞いたレイは不思議そうに聞き返します。
「おそらく、お前達は、あの大部屋に到着して直ぐに攻撃を受けたのだろう?
そして足止めを受け、その場から動けなくなった。
あの魔物と戦うのであれば、その時点で手詰まりとなるのは分かるな?」
「はい」
そうです。
主様の仰る通りで、私は初期判断を誤り、結界の維持に魔力の大半を使う事になって他の魔法が使えない状態になりました。
あの場合は周辺が灼熱地獄になる前に、皆に全力での回避行動を伝えるべきだったのです。
「では先ず、何が必要かは分かるか?」
「回避に必要になる速さ……その動きに耐える事が出来る体ですね」
私は主様の質問にそう答えました。
「そうだ。
あの亀自体の動きは遅いが、攻撃に関しては多様でどれも早い。
竜人や獣人の体であればそのままでも頑強で、気の補助を使えば、あの亀の攻撃を回避する為の動きが可能になるし、その動きの負荷にも耐える事が出来る。
だが、気の扱いを苦手とするエルフの体では少々厳しい」
と、主様は説明をしてくださります。
やはり、主様は私の悩みに気付いておられました。
その肉体的な脆弱性が、今、私が直面している壁なのです。
その事もあり、私は防御という方法を優先してしまったのです。
気による肉体の強化は、無意識な状態でもほぼタイムラグ無く発動し反射的にその力を発揮できるのですが、私が得意とする魔法の場合はそうではありません。
魔力が豊富に有っても、それを必要な分だけを用意し、効果とイメージを明確にし、それを細部まで凝らして魔法として発動するという工程を挟む分、発動までの時間差が大きいのです。
気は単純な事しか行えないので、多様性では魔力に劣ります。
ですが、回避や急速な動きに対応できる瞬発力が高いのです。
単純な力や素早さ、表面的な防御力といった部分は、魔法で強化出来るのですが、内部の構造的な弱さまでは今の私では補えません。
音速に近い速度までの動きが出来ても、それに体が耐えられないのです。
前に試した時に、急加速までは上手く行きましたが、方向転換の際に意識が飛び、そのまま地面や木々に激突する所を主様に助けていただいた事があります。
「だがまぁ、何もお前が前線で戦う必要は無いのだがな。
リーティア達への補助魔法や囮としての働きは可能だろうし、他にもやり様はいくらでもある。
それに、そろそろ、あの――「おぎゃあぁーーー!!」」
と、主様がご教授下さっておられると、私が抱いていたアダムさんが突如泣き出してしまいました。
この泣き方は、たぶんお腹が空いたのでしょう。
「――む? もう腹が空いたのか?
どれ、先にアダムの夕食を済ませてしまうか」
主様はアダムさんの泣声にお話を中断なさると、小ぶりの深皿に入ったミルク粥を取り出されました。
前よりも固形物が多めに入れてありますね。
どうやら、主様もアダムさんのお食事を離乳食から普通の食事へと切り替える事を考えておられたようです。
「主様、わたしが食べさせてもいい?」
「ああ、いいぞ。柔らかい物から口に運んでやってくれ」
リーティは主様から皿とスプーンを受け取ると、粥を一匙掬いアダムさんの口元へと差し出します。
アダムさんも、スプーンが目の前に来ると泣き止み、それを咥えると美味しそうに口をもぐもぐをさせて食べ始めました。
時を同じくして、アダムさんと同様に空腹の者達が私達の近くへと集まり始めていました。
「主様。サーリも帰って来たようです。
他の者達も集まり始めておりますし、夕食を配り始めた方が宜しいかと」
それに気付いたレイは、そう主様へ注進します。
「む? ……そうだな、そうするか。
まぁ、亀の魔物の話は明日の朝にでもしよう。
二人とも、アダムの事を任せてよいか?」
「はい。お任せください」
「はーい」
私とリーティが返事をしますと、主様はレイとバハ、シルティとサーリの四人を連れて、いつもの日課にお戻りになられました。
私はアダムさんの口から零れる粥を拭き取りながら、夕食を配りに行く主様達の背を見つめながら、自身に足りない部分の事を考えていました。
その夜。
私は雷精霊のトールを精霊の揺り籠へと入れて寝かせてから、一人でダンジョンへと来ました。
階層としては私が単独で踏破できるギリギリの所で、目の前の部屋の中には蜘蛛の頭からカマキリの上半身が生えた様な魔物の群れが居ます。
魔法的な攻撃はしてきませんが、物理的な攻撃力と素早い動きはトップクラスに近い魔物の一つで、大きさも私の倍以上はあります。
その魔物を、私は回避訓練の練習台として選びました。
体を透明化するか遠距離からの攻撃であれば楽に倒せる相手ではありますが、私はそれをせず、万象の指輪から『堅固の魔法鎧』の能力のみを発動し部屋へと足を踏み入れ、部屋の中を足を止めないように駆け抜け、一匹一匹ミスリルの細剣で倒していきます。
戦闘中に私が皆に先んじて動けている事の大半は、状況の把握と予想からに依る物です。
ですが、それは根本的に相手の攻撃を見るか感知してからでは間に合う物ではありません。
人対人、もしくは既に経験済みの魔物が相手であれば、それも有効なのですが、初見であり強い魔物と対する場合では、単純な反射神経、それに追従できる肉体、この二つの方が必要になります。
私もこうして鍛えてはいますので、反射神経に関してはそれなりの自負はありますが、それでも集中している時のリーティ達には及びませんし、肉体に関しては言わずもがな……
あの四人と同等に動く為には、普通であれば主様の仰る通り、魔力では無く『気』と呼ばれる力の方が有用なのですが、私には種族的にその気の量が少なく直ぐに枯渇してしまいます。
ですので、私は魔力で代用する他なく、これは、その為の魔法の制御と発動速度を鍛える為の鍛錬でもあります。
「ぐぅ……ッ」
横手に居た魔物の鎌の様な腕を紙一重で交わした時、左腕から手にかけて裂けるような痛みが走りました。
攻撃を受けたわけではありませんが、どうやら血管が破裂したみたいです。
高速での戦闘中、少しでも集中を切らし闇魔法での慣性制御が甘くなると、動きが鈍るだけではなく、こうして重力方向のずれから内臓や血管へとダメージが蓄積する事になります。
目指すべきは主様の動き……
一切の無駄を省き、そして流麗かつ荘厳な、優しくも力強いあの所作……
届かぬとは理解していても、それでも、少しでも近づき……
そして――
私が一心不乱に攻撃と回避を行い、部屋の中の魔物の半数ほどを片付け、その内の一匹へとどめを刺した時でした。
ミスリルの細剣を魔物の喉元の柔らかい部分へと差し込んで引き抜き、後ろから迫って来た別個体の鎌による攻撃を避ける為に横へと飛ぶと、既に倒してあった魔物の死体の一部に足が当たり体勢を崩してしまいました。
すぐさま足へと掛かった衝撃を逃がすべく側転気味に態勢を整え、少し離れた所に着地をすると、そこには逃げ場がありませんでした。
背後には壁――
正面と両脇には蜘蛛蟷螂――
その三匹の魔物の6本の鎌腕が私の退路を塞ぐように迫ります。
咄嗟の態勢立て直しと、それに必要な魔法制御と体の動きに気を取られ、その先の事を失念していました。
万象の指輪で発動している『堅固の魔法鎧』のおかげで、たいしたダメージは受けないはずです。
ですが、これが防げない程の危機的状況であったなら、私はまた主様の御手を煩わす事になってしまいます。
やはり、私にはここまでが限界なのでしょうか……
と、私が諦めかけた時でした――
頭の中で、チャラララッチャッチャーと、何かを祝福するかのような音が鳴り響きました。
と、同時に『一対の天翼:身体を魔素化させる』との情報も流れ込んできます。
――これは……万象の指輪の制限解除の知らせ?
その新たなる能力の内容を把握した時、私は強い歓喜と深い感謝、そして少しの謝罪の気持ちが沸き起こりました。
『一対の天翼!!』
私は、その気持ちと発動の為の魔力を込めて神語を放ちます。
すると、私の体を前から青白い清浄な光が包み、それが背後へと抜けて行くと、私の背に神々しい純白に輝く一対の翼が現れました。
そして五感の全てが劇的に変化し、体からも力が溢れてきます。
目の前に居る魔物達には、私が光の残像を残し一瞬で消え去ったかの様に見えていた事でしょう。
実際には違います。
私は眼前に迫っていた六本の魔物の鎌の腕の関節部を順に切り落とし、それでもコンマ1秒も経過していない事に気が付くと、他の甲殻に覆われていない部分も全て切り裂き、三匹の蜘蛛蟷螂を解体したのです。
その三体がバラバラになり地面に崩れ落ちる前に、部屋の中に残る他の蜘蛛蟷螂
の全てをも倒す事が出来ました。
私の体は魔力その物となり、持っていた魔力が有れば有るほどに、限界を超えた速度で知覚と思考をし、肉体的な枷が無くなった事で物理的作用を伴わずに動けるようになっていました。
それのもたらす効果は凄まじく、蜘蛛蟷螂に最後の一撃を行いミスリルの細剣を振り抜いた瞬間に、その剣自体が粉々に砕けてしまった程です。
身に纏っていた衣服や防具も移動の際の衝撃でボロボロになっていました。
この能力は……もしかして、私の直面する問題に対して、主様が予め用意してくださっていた物?
私が自身の体に起こった事と指輪に込められていた能力に驚いていると
「ふむ……」
ふと、主様の御声が聞こえた気がしました。
もしや、私の事を見守ってくださっておられた?と思い、急ぎ周囲を見回してみましたが、主様の御姿も存在も近くには感じ取れません。
幻聴?
いえ……見えなくとも感じなくても分かります。
主様の事ですから、いつでも、何処におられようとも、私の身を案じてくださっているのです。
私には、それがはっきりと心で感じ取れました。
四月一日話は活動報告の方に移植しました。




