第75話 償いへの希望
―― SID:1 ――
魔物にSIDのステータスがある?
SID:1……『1』だとッ!?
アダム……? あのアダムだと言うのか!?
こいつが!?
俺は、そのステータス表記を見た瞬間、今まで味わったことの無い程の衝撃に見舞われた。
SIDは、俺が生み出した者達、それとその者から生まれた者達のみが持つステータス表記だ。
皆の精神を死後に魂とすべく、世界の構造を作り変えた時に気が付いたのだが、この世界には元々、魂の雛形とも言うべき物が存在し、俺の認識能力にもその片鱗が最初から見えていたという事が分かった。
俺の持つ万物への認識能力は多岐にわたり、皆の身体能力はもちろんの事、心の強さや賢さ、因果に関わる基準さえも数値化してみる事が出来る。
しかし、それらはどれも可能性的に同じ数値や記述を持つ者が存在しうるのだ。
だが、SIDだけは違う。
それは雪の結晶の如く、同じ物は何一つとして存在しない魂の形に、順番に番号を割り振っただけの物に過ぎない。
魂の指紋とも言えるナンバリングID。
それがSIDだ。
その1と番号付けされた物が、今、俺の目に映っていた。
何故? どうして?
と、混乱した思いが頭の大半を占めたが、一方で冷静な思考領域が、この世界に最初に生まれた人間、1番と割り振られた番号をもった魂にある記憶と、それに関連する因果情報を調べ上げる。
そして、俺は彼が経験した地獄を垣間見た。
それを知った瞬間、俺は、自分をめった刺しにしたい気持ちと、過去の過ちへの深い自責の念に埋もれ、全身の血と力が消え失せ目の前が真っ暗になったかの様に感じ、その場に崩れ落ちた。
おそらく、普通の肉体を持ち合わせていたら、胃の中の内容物を全てぶちまけ、昏倒していたに違いない。
「主様……? 主様ッ!?」
その様子を見たエルフィー達は声を上げ、俺への傍へと駆け寄って来る。
先程、一瞬ではあるが俺の発した怒気により、強い恐怖と不安を皆は感じ取った。その所為で、未だに全身の力が入らない様子である。
しかし、それでも皆は自身の体に鞭打ち、震える足で俺の元へと来た。
「何があったの主様? え、ど、どうしよう!?
顔が真っ青になってる!」
「まさか、怪我でもされたのか!?」
「ど、どうする? 俺が運んで、安全な場所までお連れした方がいいか?」
しかしながら、俺が今まで見せた事のない表情と状態を見たリーティア達は、狼狽え右往左往してしまっている。
いくらショックを受けたとはいえ、俺がこんな状態を見せては、皆を不安にさせてしまう。
と、アダムの事で一色に染まり重く沈んでいた俺の心に、他の皆への思いが少し戻って来た。
「怪我は無い様だけれど……一体、何が……
主様、如何されたのです? 御気分が優れないのですか?」
「……いや、大丈夫、だ。
少し、驚く事があってな……」
俺の背に手を当てて心配そうに尋ねるエルフィーに、俺はそう答えて起き上がった。
「主様、本当に大丈夫なの? まだ、顔色が悪いよ……」
「主様ぁ、お水をどうぞ。
お飲みになって、落ち着いてください」
と、リーティアは心配そうに俺を気遣い、シルティアは鞄から出したコップに水を注いで差し出してくる。
アダムは、こんな温かな他者の心にも、一杯の水さえも飲む事が叶わず、自らを……と、そんな事を思いながら、シルティアの差し出すコップを礼を言い受け取ろうとした時、俺はハッとした。
俺が先程、アダムに何をしたのか。
それを受けたアダムが、次に何をするのかが予想出来たからだ。
急ぎ、下層に居るアダムの状態を確認すると、やはり悪い予感が当たっていた。
トラウマなどと言うのも生易しい、魂に刻まれた傷と記憶により、再度アダムは世界を拒絶し、自身を食い始めていたのだ。
アダムが纏っていた魔属性のフィールドは反転し、自身の体へと牙をむき、外ではなく内へと押し潰す様に喰い進んでいた。
そして、取り込んだ物をそのまま魔力へと変換し、さらにその効果を強め加速させている。
「まてッ! 待つんだアダム! それは止めろ!」
俺は叫び、立ち上がると、がむしゃらにアダムの元へと向かった。
『違うんだ! 俺は、お前を拒絶したりしない!』
俺はアダムの直ぐ側へと瞬間移動をし、その体へと飛びつく。
だが、アダムの拒絶の意思による魔法効果が、その外側を全てを弾き返す物へと変貌させており、俺はその力に弾かれ壁へと体を強く打ち付ける事となった。
まずい……これでは、神語であろうとも外からでは声が届かない。
それに無理やり止めさせたとしても、それでは意味がないし、アダムの意思と魂を救う事も出来ない。
しかし、このままでは、アダムは自身の魂さえも喰って、ただの魔力に変換してしまう。
そうなっては手遅れだ。
俺は即座に考えを纏め、自身の体を世界と隣接し存在する異層次元体へと変化させると、アダムの体内へと入り込んだ。
内部は、濁った紫色をしており、全てを喰らい魔力へ還元する魔法で満たされている。
その中を進み中心部へと行くと、そこには長い年月を隔てて石と化した骨の欠片らしき物が一つ浮かんでいた。
『私の声が聞こえるか?』
俺は、その骨の化石に宿るアダムの魂へと語り掛ける。
すると、今まで外への拒絶と喰らうという感情しかなかったアダムの意識に、僅かながら乱れが生じた。
よかった……まだ、反応するだけの心の力を残していた……
『すまなかった……いや、謝罪の意味もお前には分からないのか。
だが、これだけは頼む。自身を喰らうのは止めてくれ……』
――……何故?……――
――……これしかない……――
――……他は痛い……――
生まれたばかりの精霊達と同様に、アダムの意識と感情が一緒くたに混ざり合い伝わってくる。
しかし、それは無垢で純粋な思いであったが、どれも俺の胸に突き刺さる感覚であった。
『そんな事は無い。
私に触れてみなさい。
大丈夫だ……』
俺は自身の体を実体化させ、右腕の障壁を全て消し去り、怯える小動物へと向ける様に、骨の化石へと手をそっと差し伸ばした。
すると、しばらくアダムの感情が停滞した後、周囲のスライムの体がゆっくりと流動し、俺の差し出した右手へと弱々しく触れてくる感触を与えて来た。
――……痛くない熱さ……――
――……痛くない固さ……――
――……他にもあったんだ……――
アダムは、俺の右手を溶かしながら撫で、その感情には初めて喜びが生まれた。
代わりに、俺の腕には、熱さにも似た痛みが激しく襲ってくる。
だが、こんな物はアダムが感じてきた物から比べれば、産毛で撫でられているに等しい……
『ああ、そうだ……私だけではない、外にも沢山あるんだ……
美味しい物も……暖かな気持ちも……楽しい事も……
だからな、全てを嫌がる事は無いんだ』
俺はアダムの魂に向けて、世界がどう変わったか、どんな者達が居るかを伝え、そして諭し、その答えをじっと待った。
アダムが、このまま眠りたいと言うのであれば、その願いを叶えようという諦念が俺の中にはある。
しかしだ
少しでもいい……
食欲だろうが、怒りだろうが、嫉妬だろうが、何かを求めてさえくれれば……
そこから、希望に繋げてみせる!
と、俺が心の中で祈った時だった
――……見てみたい……――
――……食べてみたい……――
――……触ってみたい……――
アダムは、そう答えてくれたのだった。
『そう……か……
では、私と共に、そこへ行こう』
俺はアダムの答えを聞いて涙が溢れた。
あれだけ、世界にも俺にも裏切られ、酷い仕打ちを受けたにもかかわらず、それでも求めてくれた……それだけが、嬉しかった。
俺はアダムの魂の宿る骨の欠片を、残された左手で優しく包み込む。
そして、その魂へと新たな命を与えた。
事を終えて、俺がアダムだった物のスライムの残骸から出てくると
「あ、出て来た!? 主様ー!」
「主様っ! よかった……ご無事でしたか。
あれの内部に行ったと分かった時は心配しました」
と、エルフィー達が近くまで来ており、出迎えてくれた。
「心配をかけた様だな。私なら大丈夫だ」
「いえ、ご無事なら何よりです……――ッ!?
そ、その手は!?
主様!?腕はどうされたのです!?」
と、エルフィーは、ほっとした表情から一転、俺の右腕を見て血相を変えて尋ねてきた。
俺の右腕は、二の腕から先がほぼ骨と化しており、それがボロボロになったローブの裂け目から見えていた。
アダムの事に気を取られるあまり、自身の事を失念してた……
内に着ていた衣類は自前の物だからいいが、ローブとこの神体を傷つけてしまったのは悔やまれる……
「……これは、アダムを助ける時にちょっとな。
まぁ、気にするな。この通り、普通に動く」
そう言い、骨の右手をワキワキと皆の前で動かして見せると
「え……? う、動くと言われましても……」
「なにそれ……主様、キモイ悪い」
と、皆は戸惑い、最後の素直なリーティアの言葉は少しグサッと来た。
たしかに不気味ではあるか……
どうしようかな……?
元通りに戻しても良いが……いや、この神体を作ってくれた皆には悪いが、やはり、これは戒めとしてこのままにしておこう。
だがまぁ、皆を気味悪がらせるのは心苦しいので、適当な物で隠すか。
そう考え、俺はアイテムボックスにあったプレートメイルの腕部を取出し、右腕に装着した。
「ところで、アダムとは何……誰なのですか?
主様が消える前にも言っておりましたが……」
「ああ、それはこいつだ」
エルフィーがアダムの事を聞いてきたので、俺は比較的損傷を受けていない左手側のローブを捲ってみせる。
その中には、もこもこの産着で包まれた一人の赤子がスヤスヤと眠って居り、俺はその子を左腕で抱えていた。
肌は小麦色で、髪は柔らかな黒髪。
髪から覗く耳は少し長く、前髪の一房が銀髪に染まっている。
そう。俺はアダムをエルフの赤ん坊へと生まれ変わらせたのだ。
少々、生まれさせ方と色々な物の影響を受け、エルフや人と違う特徴が出ているが、これがアダムである。
「この子が……? なぜ、赤子がこんな所に……
主様が生み出された子ですか?」
「それは……昼食の時にでも話そう。
そろそろ昼になるしな。
ここで、のんびりしていては、向こうで待たせて居るサーリ達にも悪い」
俺はそう言い、島へと繋がる空間ゲートを開いた。
さて、なんて説明した物やら……
しかし、今回の出来事はコロと精霊達に助けられたな。
おかげでアダムの存在を逸早く発見できたので、何とかなった……
おそらく、アダムがあのまま成長を続けて地表に現れ災害と化していたら、俺は皆の安全の事だけを考え、即座に消滅させていたかもしれない。
危うく、取り返しのつかない事になる所だった……
俺は空間ゲートを潜ろうとしているコロを一撫でし、コロはふんふんとアダムの匂いを軽く嗅ぐと、光の枠の向こうへと軽い足取りで歩いて行ったのだった。
GP:47




