第71話 浮かび上がる魂と落ちる魂
新たに作られた大祭壇での精霊誕生イベントは連日盛況に終わり、一通りの属性の精霊を俺は生み出した。
それから数ヵ月が経過し、皆も精霊の存在に慣れ、精霊達も皆の日常風景に溶け込み始めた。
そして、またこうして、いつもの平穏な日常が――
「主様ー! またファナちゃんがいませーん!」
「なにぃ!?」
ファナと言うのは風精霊の事だ。
大気に宿る魔力を糧とするので、今日みたいに気持ち良い風が吹いていたりすると、その風に乗って揺り籠の中からふらふらと飛んでいってしまい、迷子になる事が多い精霊である。
そして、一人ぼっちになっている事に気が付くと、どうして良いのか分からなくなり泣いている様な感情に染まるのである。
昨日も、そんな状態で島の外で漂っている所を発見し保護したばかりだ。
サーリの報告に急ぎファナを探すと東の上空を漂っているのを見つけ、俺はそこへ向けて風属性の魔力を伸ばした。
すると、その魔力に引き付けられる様にファナは俺の手元へと飛んで来た。
――……パパ?……――
――……よんだ?……――
「今日はサーリと一緒にいなさいと言っただろう?」
――……風……――
――……きもちよかった……――
「そうか……それはよかった。
だが、昨日も言った様に、何処かへ行く時は、誰かに言ってから出掛けなさい」
――……そうだった……――
――……なんでだろ?……――
――……言わなきゃダメ?……――
「そうしないと、私もサーリも心配するだろう?」
と、多少は会話らしい事が出来る様になったわけだが、まだまだ子供なので色々と大変だ。
ファナ以外にも色々と問題を起こす精霊は多い。
光精霊は、天気の良い日に少し目を離した隙に、何時の間にか成層圏近くまで行ってて慌てて迎えに行く事になったし。
火精霊は森で小火騒ぎを起こし、危うく火事になりかけたし。
土精霊は砂場で遊んでいた子供達を砂で生き埋めにしそうになった。
雨が降れば水精霊ははしゃぎまくるし、嵐の場合はそれに雷精霊までもが参加し、夜になれば闇精霊が寝ている者達に纏わりつき、うめき声を上げさせている。
精霊を視認出来て、その面倒を見れる者が限られる事もあり、俺もその対応に追われる日々が続いていた。
「もう、ファナちゃんたら。
今日は主様のお邪魔をしたらダメだって言ったでしょう?
すみません主様」
「なに、かまわんさ。
ちょうど一段落付いたところだ」
俺の所まで小走りでやって来たサーリに、腕の中のファナを渡す。
今日は特別に作らねばならない物が有り俺が忙しかったので、こうして彼女にベビーシッターの様な事を頼んでいたのだ。
サーリの持つ聖属性の魔力は、全ての精霊にとって気持ち良い物と感じるらしく、彼女は全ての精霊達に懐かれている。
聖属性のみを放出できる者が未だに少なく、複数の精霊の相手を頼めるのが今日はサーリだけだったのだ。
彼女は、頭の上に光の精霊を乗せ、左手に闇の精霊を持ち、足には土の精霊をくっつけている。そこに風精霊まで加わり、その姿はまるで曲芸師の様だった。
「それで、今日は何を作ってるんです?
屋根と柱と……あそこのは、ベッドですか?」
「これは……ガウ達に用意した寝床だ」
サーリは俺が朝から作っていた物を見回すと尋ねると、俺はそう答えた
木製の柱四本に支えられた、同じく木製の簡素な屋根。
四方の壁は無く周囲は開けており、その中央には木枠の中に純白の雲を敷き詰めたかの様な大きなベッドと、近くには簡素なテーブルと棚を置いてある。
「ガウさん達にですか?
いつも、その辺で皆と寝てますけど、なぜベッドを?」
「それは――」
と、サーリが疑問を口にした時だ
「主様ーー!!」
と、今度はヒューガの慌てた声が聞こえたのだった。
「いや、ただ転んだだけですよ主様」
ヒューガに案内されて行った先で、ガウはそう言いながら尻餅をついた様に地面に座り込んでおり、その隣では彼の妻のキュイがしゃがみ込み、ガウの足に手を当てて心配そうに見ていた。
そろそろだとは分かっていた……
ガウもそうだが、最初に生み出した獣人達は、もう寿命が近いのだ。
いくら世界樹の葉などで健康を完璧に維持出来ているとは言え、それでも老化は止める事が出来ないし、肉体には限界がある。
唯一の救いは、痴呆などの症状が出て無い事と、痛みを伴うような最後にはならないだろうという事くらいだ……
ガウは必死に立とうとするが、足どころか全身に力が入らないのか、起き上がる事さえままならない様子だった。
「あなた、無理はしないで」
と、キュイは、もがくガウを窘める。
まだ彼女の方がガウより幾分元気ではあるが、しかし、それでもガウと同様に体には上手く力が入らない様子が見て取れた。
「そうだぞ、無理はするな。
ちょうど、お前達二人の為に作った寝床が完成した所だ。
そこで、ゆっくりと休むと良い」
俺はそう言い二人を魔法で優しく持ち上げ、先程完成したばかりの終の棲家となるであろう所へと連れて行き、ベッドの上へと並べて寝かせた。
「これは、おぉ……なんとも言えぬ感触ですな」
「まるで雲にでも乗っているみたいですねぇ」
と、二人はベッドの感触を気に入ってくれた様だ。
「その寝床は、お前達の意思で調整出来る様になっている。
楽な体勢を思い浮かべれば、それに合った形と固さに変化させる事ができるぞ」
そう説明すると、二人は子供の様にベッドの機能を試し、しばらくの間楽んだ。
「はっはっは……これは、快適と言うのでしたか?
気持ちの良い物ですな。地面に寝るより、ずっと快適だ」
「それで……主様。この、夫や私の状態は老いに依る物なのですか?」
キュイは、しばし隣に寝そべりながらはしゃぐガウを呆れ顔で見ていたが、真面目な物へと表情を変えると、そう尋ねて来た。
「……そうだが、それだけでは無い。
老いの行き着く先、『寿命』に近づいている証拠でもある。
お前達獣人は体が強い反面、逆にその肉体が保てる時間が他の種族より短くなっている。その為、他の種族の者達よりも早く、その症状が出始めた」
「寿命……ですか。
何度か事故や怪我で死ぬ者を見た事はありますが、老いでも死ぬ事になるのですね……
なんとなく、感じてはいました。
体のあちこちの感覚が薄れてきていましたし、力を込めようにも、だんだんと力が入らなくなってましたから」
俺が説明した内容を聞いたキュイは、諦念じみた顔でそんな事を言う。
「それで、死ぬと……どうなるのです?」
と、隣ではしゃぐのを止め静かに聞いていたガウも、そんな事を尋ねてきた。
「……お前達の体は朽ちる事になるが、『魂』という存在になる。
そして暫し休んだ後……遠い未来、記憶などは、その魂の奥底に沈んで感じにくくはなるが、また誰かの子として、この世に生まれて来る事になるだろう。
それは、お前の遠い子孫かもしれんし、違う種族としてかもしれん」
嘘だ。
今まで事故で亡くなった者達の魂なんて見た事が無いし、生まれ変わりなんて者も誕生していない。
俺は、ただ、死の恐怖を少しでも和らげる事が出来ればというだけの事で、仏教の死生観の様な事を口にしていた。
「魂……それは、なんとも楽しみですなぁ。
今度は……竜人に生まれてみたいもんです」
俺の説明を聞いたガウは、少しワクワクした様な表情になりそんな事を言う。
「竜人にか? 何故だ?」
「この前、バハディアに無理を言って背に乗せてもらったのですが。
なんと言うか、やはり自身の力で、空を……草原の様に駆けてみたいと思いまして。何もない空を自由に……どこまでも駆けるのは気持ち良さそうだ」
「あなたったら……
バハディアの背から降りた時、怖くて膝が振えてたじゃありませんか」
ガウの理由を聞いたキュイは、また呆れ顔に戻り隣の彼を見る。
「あれはっ、こ、この老いの所為で足に力が入らなくなっていただけだ」
「そうですか? 声も震えてる様に聞こえましたけど?」
二人のそんな会話を聞いていたら、俺も笑みがこぼれてしまった。
寿命や死の事を説明しながら若干気落ちしていたのだが、これでは、励まさなければならないはずが、逆に励まされている様ではないか。
「ははっ、なるほど。
そうだなぁ……竜人への生まれ変わりは約束できないが、お前が生まれ変わったら空を駆ける方法を教える事にしよう。
さてと、バウとチーの寝床も作らねばならないのでな、私は行くとする。
ここにある物は二人で自由に使ってくれ。そこの棚を開ければ、食べ物と飲み物が何でも好きなだけ取り出せるようになっているし、その寝床は常に体を綺麗にしてくれる機能を備えているので、安心して寝てなさい」
そう言い、俺がその場を離れようとすると
「ありがとうございます主様。
あぁ、あの、もう一つお尋ねしたい事が」
と、ガウが引き留めて質問をしてきた。
「ん? なんだ?」
「どの位で……私は死ぬのですか?」
「そうだな……あと、十日程だ」
恐らく、それくらいの日数で、彼の心臓は停止するだろう。
「そうですか……
それだけあれば、皆と話しをするのには十分な時間が有りそうですな」
「まぁ、無理はするなよ?
私は夕方頃にでも、また来る。
他に聞きたい事が有ったら、その時にでも言ってくれ」
俺はそう言い、その場を離れると、明日にでもガウと同じ状態になるであろうバウとチーの終の棲家を作りに行ったのだった。
その十日後。
推測通り、ガウは最後の時を迎えようとしていた。
日は地平線の向こうへと消えていき、ガウとキュイの寝所の近くでは大きな篝火が焚かれ、二人の元へと最後の別れを惜しむ者達が列を成している。
俺は、その光景を少し離れた所から見つめていた。
ガウを皮切りに、最初に生み出した獣人の四人は、今日から数日間の内に息を引き取る事になるだろう。
その四人やその他の寿命が近い者達と、ここ数日間の間、俺は様々な話をした。
何かして欲しい事はないか?
恐怖はないか?
思い残す事は無いか?
と、心の内を色々と聞いた。
四人に続き、寿命を迎えるであろう者達の心のケアの為にも必要な事であったし、皆の死に対する思いを知らねばならなかったからだ。
ある者は、残される家族の事が心配だと答え、またある者は、来世でのやりたい事やなりたい者の事を語った。
そして一貫して皆の中で共通していた事は……
俺への信頼だった。
それ故に、皆の心には死の床につきながらも恐怖は無く、そして安心と希望に満ちていた。
だが、それらは皆が知らないのを良い事に、俺が語って聞かせた幻想からくるもので、虚構の安心と希望だ。
太古の宗教や神などの存在は、こんな風にして生まれたのだろうが、それでも思う所はある。
最後の時に、心が絶望や不安に苛まれているのではなく、安らぎに満たされている状態に出来た事には満足している。
だが、それを行っている俺自身の心は晴れてはいなかった……
「……ふぅ」
「どうなさったのですか?」
俺が思わず溜息をつくと、背後からエルフィーに声を掛けられた。
「いや、我ながら詐欺師の様な事をしているなと思ってな。
少し自分に幻滅していた所だ」
「それは……転生や死後の事でしょうか?
やはり、無いのですか?」
と、やはりというか、エルフィーには皆に語って聞かせていた事の嘘を悟られている様だった。
「どう……なんだろうな。
ただ、私に見えていないだけなのかもしれんが……
エルフィー、お前は自身の死に対してどう感じている?」
エルフィーの問に俺はそう答え、彼女の思う所を聞き返した。
言葉を濁したかったというのも有るが、俺と似通っているであろう、彼女の考えも聞いておきたかったからだ。
「私はエルフですので、他の方々よりも寿命が長いでしょう。
まだまだ先の事になりそうですし、今は……そこまで恐怖や不安は感じません。
寿命で死を迎えても、達観している状態になっているか……それとも、心や感情の起伏が弱くなっているかもしれませんね」
「そうか……」
「それに、主様の仰った事を聞き、私も安心して死ぬ事が出来ると思います」
と、彼女は驚く答えを付け足した。
「それは……何故だ?」
「今まで主様は、皆の為に、それを全て成してきたではありませんか。
私は見てきました……
世界の終わりとも思える絶望から救われた事。
皆の望みや願いを叶えてきた事。
そして、未来の為に長い時を経て世界を作り変えた事を……
ですから、主様の御言葉であれば私は信じられます」
と、エルフィーは静かながらも確信に満ちた言葉を放った。
そうか……
そうだったな……
俺は今までそうしてきたのだ。
俺には「出来る事」と「出来ない事」の垣根が無いのだったな。
なら――
――嘘だって本当にしてみせよう――
「晴れやかな御顔になられましたね」
「ああ、ありがとうエルフィー。
おかげで、悩みが消えた。
さてと、時間も無い事だし、さっさと終わらせてしまおう」
そう言い、俺は頭上に浮かぶ二つの月の一つへと向けて手を伸ばす。
そして、世界の構造を作り変えた――
ガウとキュイは、周囲の賑やかな思い出話に静かに耳を傾けていた。
俺はエルフィーと二人で、その輪の内に入りガウに話しかける。
「そろそろ時間だが、どうだ?皆との話は済んだか?」
「主様……ええ……もう満足です」
「そうか」
「ああ……そういえば、尋ねたい事が……一つありました」
「ふむ? 何だ?」
「生まれ変わっても……妻や子供達……主様にも……
また……出会えるのでしょうか?」
「それは、お前が生まれ変わってからの努力次第だな。
がんばって互いに見つけ出すほかない。
だがまぁ……強く思っているのであれば可能だろう」
「そう……ですか。それは……よかった……
キュイ……俺は、先に……寝るよ……」
「おやすみなさい、あなた。
また出会う時は、あんな怖い顔で襲ってこないでくださいね……」
「はは、は……そうだな……気を……付ける……よ……
また……な……――」
ガウはその言葉を最後に、眠りに落ちる様に、八十五歳の生涯を閉じた。
皆が静まり返りその様子を見守る中、俺の目にはガウの体から浮き上がる一つの光球が見えていた。
ガウの魂を内包した精霊だ。
どうやら無事に、ガウは精霊として生まれ変わる事が出来たらしい。
精霊としては少々特殊で風と土の二重属性を宿しており、それに、死んだばかりと言っていいのか、生まれたばかりと言っていいのかは分からないが、まだ弱々しく他の精霊並みに思考や活動ができるほどでは無い。
ともあれ、これで魂の創造はなんとかなったか。
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夜の帳の中、満天の星空に浮かぶ二つ月の明りを受けて、その月光を柔らかに反射する純白の神殿があった。
その神殿の中で、神々しさを湛えた像に囲まれ、巨大な獣は眠っていた。
その獣は、何か微かな音にでも反応したかの様に耳をピクリと僅かに動かすと、ゆっくりと目を開け、静かに神殿の外へと身を乗り出す。
神殿から顔を覗かせた獣は、外気を吸い大きく欠伸をすると、月と星々が瞬く空を見上げた。
その時、まるで流れ星の様に、一つの魂が天から北の空へと落ちた。
獣は、儚くも美しい、その光の落ちる先を目で追い地平線へと消えゆくのを見届けると、呟く様に軽く吠えた。
そして獣は神殿の中へと静かに戻ると、瞼を閉じ再び眠りにつくのだった。
GP:48




