第65話 ビフォー・アフター・エンチャント
てなわけで、急遽エルフィーが帰還し部屋の中を整えている間、俺とサーリは部屋の前で少し待たされる事になったわけだが、それは数分で終わった。
どうやら、さほど散らかっていた訳では無いらしい。
「お待たせいたしました。どうぞ、お入りください」
と、ドアを空けて招かれた部屋の内へと入ると、そこは前に訪れた時とは装いが大分変っていた。
何という事でしょう……
以前は、ただ大量に部屋数を確保する為だけに設計され、飾りつけなど皆無だった部屋は、エルフィーの手により生まれ変わりました。
うちっぱなしのコンクリ壁の様な固く暗い色だった土壁は、若草色の壁紙の様な物で覆われ、天井に新たに据え付けられた木材と銀とを使ったシャンデリア風の魔法ランプから降り注ぐ光が部屋全体を柔らかに照らしています。
床には磨き上げられた床板が敷き詰められ、その上は控えめながらも優しい弾力性をもった乳白色の絨毯が覆い、来訪者の足を固い土の床から守ります。
部屋の中に唯一用意してあった家具と言うのも憚られる寝られればいいだろと言わんばかりの干し草が盛られていただけだった寝床は、今では立派な木材と敷布団と艶のあるシルクのシーツを備えた立派なベッドへと変貌し、そこで横になる者には質の良い眠りを提供する事でしょう。
増えた家具はベッドだけではありません。
いくつかある木製の棚には、ダンジョンでの戦利品である様々な素材や魔石が所狭しと並び、簡易ながらも箪笥やクローゼットもあり、そこにも彼女が手掛けた衣類などが収められています。
部屋の中央にはしっかりとした作りの低めのテーブルがあり、綺麗なテーブルクロスも敷かれ、その上に乗った色鮮やかな花の飾られた小さな花瓶が良いアクセントとして映えています。
もちろん、そのテーブルを囲む様にクッションも完備されていて、存分にくつろげる安らぎ空間となっております。
部屋の片側はダイニングキッチンの様になっており、魔石を利用したコンロやオーブン、冷蔵庫と思われる物まで完備してあり、棚にも各種調理器具や食器が綺麗に整頓され並べられています。
もう、あの閉塞感が漂う場当たり的に作られた見すぼらしい土の部屋の面影は消え去り、文化的にも、質的にも、数世紀は進んだ部屋へと進化を遂げました……
……うわぁ
俺が天界に頑張って作ったワンルームの部屋よりも良い部屋になってるぅ……
しっかりと飾りつけもされいて、人を招く事も、心安らかに生活を送る事も、双方を両立させるデザインセンスを感じる……
俺の様な「手の届く位置に物が有ればいいだろ」ってセンスとはまるで違うな。
と言うか、ここまで綺麗に整理整頓と飾りつけが成されていて、何を整える必要が有ったのかの方が謎だ。
「えーっと……エプロン、エプロンー……あったー」
俺がエルフィーの部屋の内装に驚いている最中、サーリはそう言いながら特に驚いた様子も無く、普通に箪笥の中身をがさごそと漁り、そこからエプロンを取り出していた。
まぁ、鍵を渡されているくらいだし、彼女は何度も来ているのだろう。
「そういえば、キッチンをお使いになられるのでしたね。
エプロンは……、バハに作った物が有りますが……
主様の御身体ですと、サイズが合わないかもしれません」
と、エルフィーは俺達が此処に来た目的を思い出し、俺の着るエプロンを見繕おうしてくれた。
だが、この竜人の神体は、元となったレイディアやバハディアよりも一回り大きく作られた事もあり、サイズ的に合う物が無い様だ。
それに、彼女達に合わせて作られたキッチンも、この大きい羽やら太い尻尾やらが付いた体では狭そうだな。
「ふむ……少し待っててくれ、体を変えて来る」
俺はそう言い、エルフの神体へと身体を変えて戻ってくると
「どうぞ、こちらをお使いください」
と、バハディアのだと言う、桃色に染め上げられたエプロンを渡され、俺が使う事となった。
この色はリーティアの趣味かね?
赤系統が好きだもんな、あの娘は。
おそらく、普段はこれをバハディアに着せて、料理を手伝わせているのだろう。
「それでは始めるか」
「「はい」」
そうして、ダンジョン用糧食の試作が始まった。
「それで主様、何を使うんですか?」
「今回は、生地にこれらを混ぜて焼く」
三人でエプロンを着込みキッチンに並ぶと、さっそくサーリが尋ねてきたので、俺は4つの粉末の入った瓶を出して並べた。
「これは、紅茶の茶葉に抹茶……
こちらは香りからして、コーヒーと……カカオですか?」
「うむ。そうだ」
と、エルフィーは並べた瓶の中身を即座に言い当てた。
カカオマスは、発酵が可能になった事もあり、数千年前にようやく作る事が出来た俺の苦心作だ。
「こーひーにかかお?
良い香りがしますねー……うえッ!?」
と、サーリは物怖じしない性格な所為か、なんの警戒も無く瓶の中身を不思議そうに指に着けて舐めた。
「にがいー……これ、凄く苦いですよ主様ぁ……」
言葉通り、とても苦そうな顔をして涙目になっている。
サーリの前では香辛料系の物は、うっかり出さない様に気を付けよう……
彼女に、それらはそのまま食すのには向いてない事を説明し、エルフィーにその他に必要な材料を用意してもらうと
「主様、ダンジョンでの食事用のクッキーとの事ですが。
栄養価も考えると、このナッツ類や大豆などを砕いた粉末も使ってみてはいかがでしょうか?」
と、エルフィーは他にも良さそうな材料も用意してくれた。
「ふむ。確かにそれも良さそうだな。
色々と組み合わせて作ってみるか。
それにしても、この粉末はどれも随分と肌理が細かいな……」
彼女の用意した粉末状に加工された素材を見て見ると、どれも細かく綺麗に砕かれてサラサラの状態になっている。
小麦粉は俺が倉庫に用意して置いた物のままな様だが、これらはどうやって作ったんだ?
製粉関連の技術は、まだ皆が使っているのを見た事が無いが……
「それですかー? 凄いんですよ!
エルフィーさんが凍らせて、ばーってすると綺麗に粉になるんです!」
と、サーリが説明してくれたが、よく分からん。
「魔法でフリーズドライを行いまして。その後、砕いて製粉してみました」
「なるほど」
即座にエルフィーが答えを言ってくれたので納得がいった。
食べ物を凍らせてから真空状態に置くと、カラカラに干からびると言うあれか。
完全に水分が抜けた食物は脆くなり、簡単に粉々にする事が出来るし、栄養の面でも変化しにくいという便利な技法だ。
ともあれ、色々と素材が混ぜ合わせやすい状態になっているのは助かる。
「さてと、エルフィーの用意した物に関しては問題無いが……
私の用意した物は、入れ過ぎると少々まずい事になる。
この四つは、最初は風味が感じられる程度に分量は抑えて作ろう」
俺は二人にそう言い、穀物やナッツ類や砂糖と塩を混ぜた粉に、少量の紅茶と抹茶とインスタントコーヒーとココアの粉末を混ぜて数種類のミックス粉を作った。 その粉をバターや牛鹿乳と混ぜて生地を作り、それとは別に植物性の油のみを練り込んだ生地も用意し、分厚い長方形に整える。
この後、俺の場合は冷やして寝かせたり焼いたりといった時間のかかる工程は魔法で強制的にするのだが、今回はサーリが作る事が目的でもあるし冷蔵庫もあるので普通の方法で行う事にした。
「主様、あんな苦いのを混ぜて大丈夫なんですか?」
生地を冷蔵庫へと入れたサーリは、俺にそう尋ねてきた。
まぁ、そう思うのも仕方が無いか。
原料のままだと、どれも苦いだけだからな。
「大丈夫だ。今回、混ぜた量は香りが感じられる程度だからな。
そこまで味にも変化は無いだろう」
俺は安心するようにと答える。
てか、この娘は作ってる最中に、全部の粉を味見してたな……
そんな事を思っていると
「主様。待つ間、ミルクココアを作っても宜しいでしょうか?
サーリも、それを飲めば多少は疑念が晴れるかと」
と、エルフィーが良い提案をしてくれたので、俺達はミルクココアを飲みながら残りの工程をする事となった。
さっそく、サーリにミルクココアを飲ませてみると
「はふぅ……これは美味しいですねぇ……
てっきり、香りが良いだけの苦い物だと思ってましたけど、甘さが加わるだけで、こんな風になるなんて……
これはクッキーの方にも期待が持てます」
と、そこそこ薄目に作られたミルクココアでも好評だった。
その後、寝かし終わったクッキー生地に焼きむらが出ない様にと串で穴を空けて、素材ごとの見分けも付く様に簡単なマークも書き、既に温めてあったオーブンに入れて十数分ほど焼いて、ようやく試作第一弾が完成した。
皿に並べ、冷めるのを待ち試食を行うと、どれもなかなかの出来栄えだった。
味に関してはそれほど差は無いが、香りはしっかりと感じられるし、その香りと若干の色の違いのおかげで、味にも違いがある様に錯覚する。
様々な穀物とナッツ類をミックスしたおかげで、食べごたえも増している感じもするな。
「ふむ……悪くは無いな」
しかし……試食用なので小さ目に作ったのだが、この見た目と味の感覚と食感は、昼食などを手早く軽く済ませたい時にコンビニなどで買うカロリーのお供とそっくりだな。まぁ、用途も似た様な物か。
二人にも感想を聞くと
「焼き加減は大丈夫な様ですね。
香りだけでも十分ですが、味もしっかりと変えるのであれば、もう少々分量を増やしても良いかと思います」
と、エルフィーは、しっかりと分析した事を答えてくれたが
「これは、ミルクココアと合いますねぇ」
と、サーリは当初の目的を忘れたかの様に、お茶うけとして美味しそうに食べていた。
「……分量に関しては、もう少し様子を見て増やしていこう。
元気が出る成分とはいえ、興奮作用が出過ぎるのも危険だからな」
「カフェインなどですか……
確かに、慣れていない方々には、効果が強いかもしれません。
分量は慎重に決めた方が良さそうですね」
俺とエルフィーが生地に混ぜ込む分量の話していると、その話を試作品を食べながら聞いていたサーリは
「そうでした! あやうく、忘れる所でした。
この、ココアとこーひーですか?これで元気が出るんですか?」
と、自身の目的を思い出したらしい。
「この分量では、まだ感じられる程の効果は期待できないな。
だが、他にも食べ物を介して活力を与える方法はある。
サーリとエルフィーなら、それも可能なはずだが……
やってみるか?」
「はい! ぜひ!」
俺が別の方法が有る事も教えると、サーリは興奮気味に返事をしたのだった。
これは、もしかして少し効果が出ているのだろうか……?
それはさておき、別の方法とは付与魔法の一種。
いわゆる、エンチャントである。
魔法効果を物体に浸透させて、それを使ったり摂取した者へと、様々な効果を発揮する事が出来る技法だ。
ダンジョンへ初挑戦する者達に記念として贈っているキビボールも、これを活用して作っている。
この二人なら補助魔法を習得していて自在に操れているので、それを物体に込める事も容易だ。
ただ、ちょっと多めに魔力を消費するだけだな。
二人に、その方法を教えて試させてみると
「こんな感じで宜しいのでしょうか?」
「主様、私のは出来てますか?」
「んー……うむ。成功の様だな」
と、効果は弱い様だが、二人とも無事にクッキーに肉体強化系のエンチャントを施す事が出来た。
「それと、これは『賞味期限』と似た様な物だが、食べ物の様に状態が変化しやすい物に使う場合は、その効果が十分に発揮できる時間も限られる。
なので、早めに使うか食べる様に心がけなさい」
金属などの安定した物質へのエンチャントの場合は、その効果が薄れるのに、かなりの時間を要するが、食べ物などの有機物の場合はそうも行かないのだ。
「どのくらい、保つんですか?」
「そうだな……今作ったのだと、1日程度だろう」
「それじゃ、急いで皆の分を作って配りに行かないとですね!」
と、俺がサーリに答えると、彼女は張り切り昼前までに数十人分のエンチャント付与された糧食クッキーを作り上げ、ダンジョンの上層階に居る者達へと配りに行ったのだった。
そして、この事が後ほど、ちょっとした問題を引き起こす事になった――




