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ショート集  作者: 七氏野
1/11

今日はどんな日

 少年は悩みやすい体質の人間だった。

 小学校に通う少年は、心配性の母親にその日のことを報告するのが日課だった。

「今日はどんな日だったの」

「今日は嫌なことがあったんだ」

 来る日も来る日も、その日課は変わることなく続いていた。

「今日はどんな日だったの」

「今日は良くないことがあったんだ」

 しかし、少年の報告は、最初はいつも嫌な出来事だった。良いことももちろんあり話すのだが、初めはいつも、決まって嫌な出来事からだった。

 少年は、どうしても嫌なことが先行して頭に浮かぶ、そんな体質の人間だった。


 ある日、少年は通学路脇の公園でブランコに揺られていた。

 その日の少年は、いつになく暗い面持ちだった。

 少年はその日、いじめられた。いじめというにはひどく甘いものだったかもしれない。ノートを隠されてからかわれたり、その程度の出来事だった。しかし少年には、その出来事がひどく恐ろしいことに思えた。

「お困りの様子だね」

 俯いている少年に声をかけたのは、シルクハットをかぶったスーツの紳士だった。

「今日ね、いじめられたんだ」

「そうなのだね」

 悩んでいた少年は、その場で紳士に打ち明けた。すると紳士は、少年に提案をし出した。

「その記憶、消してみてはどうだろう」

「どういうこと?」

 少年は不思議そうに首を傾げて問いかける。

「言葉の通りだよ。坊やのその嫌な記憶を、おじさんが消してあげるよ」

「そんなことが出来るの?」

 少年は嬉しそうにそう聞いた。

「でもね、おじさんは嫌な記憶だけ消すことが出来ないんだ。まだへたっぴだから」

 紳士は、少年の目線になるようしゃがむ。

「どうしても、嫌な記憶を消すときに、嬉しい記憶も一個無くなっちゃうんだ」

「そうなの?」

 少年は残念そうな目でそう聞く。

「坊やがいじめられた記憶を消したいなら、そうだな、今日先生に褒められたって記憶も消えちゃうんだ」

「そうなんだ……」

 少年は残念そうに俯いた。

「それでも、いいかな」

 少年はしばらく考え込んで、そして答える。

「それでもいいや、こんな記憶いらないよ」

 そうかい、と紳士は呟いて、そのままシルクハットを少年にかぶせる。大きなシルクハットは、少年の顔をすっぽりと覆った。

「暗いよー」

 少年は不安そうに呟く。少し我慢してね、と紳士は言って、そのまま指をパチンとはじいた。

「さあ、これで終わりだ」

「うーん……」

「嫌なことは忘れられたかい?」

 少年は首を傾げる。

「なんだったっけ。忘れちゃった。なんだか明るい気分だよ」

「そうだね、それは良かった」

「おじさん、ありがとう」

 そう言って駆けだした少年だったが、勢い余って石に躓いてしまった。

「もう、嫌なことばっかりだ」

「そうなのかい?」

 紳士は尋ねた。

「学校行く途中に電信柱に頭をぶつけた。算数の時に当てられたのに間違えた。トイレの後にチャックを開けたままで笑われたりもしたんだ。他にもいっぱい」

 しょんぼり顔で、少年はぼやいた。

「でも、坊やには今日良いこともたくさんあったんじゃないかな」

「でも、嫌なことは気になる。嫌なことなんてなくなっちゃえばいいのに」

 少年は消え入る声で呟く。

「そうだ、もっと消して。嫌なこといっぱい」

 少年ははしゃぎながら紳士に言った。

「いいのかい、良いことも、いっぱい消えちゃうよ」

「そんなの、もういいよ」

 少年はそう答えた。紳士は少しだけ困った表情を見せてから、そのままシルクハットをかぶせた。

 すっぽりと顔を覆われた少年は、今度は嬉しそうな声を出していた。

「じゃあ、始めるよ」

 紳士は少年に問いかけて、また、指をはじいた。




 少年が家に帰ると、母親は問いかけた。

「今日はどんな日だったの」

 少年は、うーんと唸って、そのまま答えた。

「なーんにも、なかったよ」

 え、と母親は声を漏らす。でもその声に少年は気づかなかった。

 少年は紳士の顔を思い浮かべていた。

「また明日も、会えるかな」


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