羽ばたきの時
「いつまでも立ち話なのもあれですね」
姫様はそういうと、指笛を吹きました。高く美しいその音は、静寂の森中に響き渡りこだまします。
「ちょっと待ってくださいね」姫様がスメルに許可をとると、どこからともなく、雄大なテンポの羽音が聞こえてきました。
羽音は次第に大きくなり、その音とともに西の空から天馬がやてきました。
天馬は二人の上空で停まると、ゆっくりと降下し、地に降り立つと姫様に撫でをせがむように、頭を押し付けに歩み寄りました。
「紹介します。私の愛馬、アッシュです」
姫様はアッシュを撫でながら紹介しました。
輝くような蒼白い馬体に、純白のたてがみと尾、そして巨大な翼を持ち、図体はふつうの馬より大きく、姫様の身長があと頭一個分高くてやっとアッシュ腰の高さに届くほどです。その風格からは気品と壮大さを感じられ、まるでアッシュの周りの空気が張り詰めるようでした。
アッシュは紹介されると、スメルを見据えお辞儀をしました。
スメルはその超常反応に一瞬気負いましたが、
「スメルです、よろしくお願いします」
その気品と礼儀に敬意を払うようにお辞儀をしました。
それを見て姫様は笑顔がこぼれます。
やっぱり優しい人なんだな。よかった。この人ならきっとあの場を変えられる。
姫様はそう思いました。
挨拶を終えると、姫様はペガサスに座るように命じます。
「この子に乗って、秘密基地に行きましょう」
秘密基地......この子が言うと、遊び場に行くみたいでかわいいな。
でもさっきの目にはたしかに決意が篭っていた。きっとしっかりした組織の基地なんだろうな。
それにしても、乗るって言っても......
「この馬、鞍がないんだけど」
「だって、アッシュが痛いっていうものだから......でも落ちたことないから大丈夫ですよ」
幸い、でいいのでしょうか。スメルは乗馬経験がなく、鞍がどれだけ大切なものかを知りませんでした。危険ですので乗馬時にはしっかり鞍をつけましょう。
「それなら大丈夫なのかなぁ」
大丈夫ではありません。
「さあ、行きますよ、乗ってください」
姫様はアッシュに座ると横のスペースをポンポンと叩きます。
「横乗りなんですか......」
サイドサドルという乗馬方法があります。
サイドはこの場合「横の」という意味。サドルはこの場合「鞍」という意味。
「アッシュって背中が広いんですよね。だから跨げないんです」
跨ぐあの態勢に憧れのある姫様は、少し寂しそうに足をぶらぶらさせます。
しかしスメルが聞いているのはそういうことではありません。
危険じゃないのか。
そう言おうとしましたが、アッシュが「はやく乗れよ」と言わんばかりに睨みつけて来るので、スメルはおずおずとアッシュの背に乗ります。
「じゃあ、行きますよ。ちょっと揺れるんで気をつけてくださいね」
注意って、どうすればいいんだよ。危ないって。
スメルはそう考えを巡らせましたが、解決方法を見つけるよりも早く、姫様はアッシュの横腹を踵で一回叩き、それに呼応しアッシュは立ち上がりました。
スメルは激しい揺れと視界の急上昇に驚き顔を青くしました。
姫様はそれを横目にクスクスと笑いながら今度は二回叩きました。
すると、天馬は大きな鳴き声とともに翼をはためき、飛び立ちました。