七章 希望に満ちた新学期
夏休みが終わり、中等部に入って一週間。
いつもの図書室で引っ越しの話をすると、意外にも柚芽は酷く驚いた。因みに二人共相変わらず図書委員だ。
「じゃあ、今はあの店に住んでいるの?」
「ああ。結構住み心地良いし、ばっちゃ達も色々気を回してくれる。おまけに飯も凄え美味いしな。越して良かったよ」
「ばっちゃ?」
「アイザさんの事だよ。最初は名前で呼んでたんだけどさ、他人行儀だからおばちゃんでいいよって言われて。で、短くしてばっちゃ」
「何か、もっと年寄りっぽくなった気がするけど。ま、本人がいいなら別にいいか」
一ヶ月振りに会う彼女は、そう溜息を吐きながらも何処か上の空。
「ところで、そっちは一回ぐらい家族旅行とか行ったのか?俺は手伝いで店に立ったり、何回か他の星へ行ってたけど」
天宝の収益の殆どは出張買い取りと、年四回発行する目録での通信販売だ。店頭での販売は日曜だけ。それでも一日に必ず何人かは客が、中には遠方の星からわざわざ来てくれる常連さんもいる。例えば、
『新顔か、大女?何処の餓鬼だ?』
『餓鬼とか言うんじゃないよシャーゼ。この子は両の息子。これからもちょくちょく店に出すから、あんまり変な事吹き込まないでよね』
『宜しくお願いします』
売り子らしく頭を下げると、一応礼儀はなってるな、ばっちゃと同年代らしき銀髪男は呟いた。
『フン、まあいい』紙袋を彼女へ突き出し、『いつもの鑑定だ。熊男を呼んで来い』
『ごめんなお姉さん。今日の不首尾でこいつ、さっきから凄くイライラしててさ。まぁ、いっつも機嫌は悪いんだけど』
男の肩に乗った赤狐が弁明すると、ばっちゃは苦笑しつつ頷いた。『知ってる』
『全く、付き合わされるこっちの身にもなってよね』
後ろにいた同じ赤の髪の女が呟き、くれぐれもこんな大人になっちゃ駄目よ僕、有り難い忠告をくれた。
―――でも、あの三人は例外中の例外だな。専ら鑑定ばっかで店の物一切買わないし。
「まぁ、ね。塾も週に三日だし、ずっと家と街の図書館を往復するのも飽きちゃうわ」
「そうだな。バカンスは何処行ったんだ?」
「……オルテカよ」
「?あそこ、観光出来る所なんてあったっけ?」
遮光遮熱ドームに覆われた“赤の星”の首都は、ごみごみとビルが密集するオフィスシティだ。一歩郊外に出れば、空きビルにホームレスや不良が屯するスラム街もある。人工物ばかりの密閉された空間のため空気はかなり不味く、他の星の人間が長くいると喘息を引き起す程環境は悪い。
「色々ね。もういいでしょ?私より庚の話を聞かせて」強引に会話の流れを変えようとする。どうも触れられたくない話題らしい。「シャバムでは何をしたの?」
「何って、金持ちの家で鑑定したりとか。あと依頼品の調達。俺は知識が無いから荷物運び専門だけど」
何年も付き合いのある客は、あら可愛い新人さんね、と気安く話し掛けてくれたり、これからも頑張りなよ、帰り際に励ましてくれたり。昨日の依頼人なんて俺が本好きと知るや、要らない小説を段ボール一杯譲ってくれた。お陰で当分読む物には困らない。
「へぇ、真面目に手伝いしていたんだ。でも大変じゃなかった?夏休みは沢山宿題もあったのに」
「却って早目に出来て感謝したいぐらいだよ。いつもは割とギリギリまで残っているけど、今年は余裕だった。後は暇な時に爺さん達の蔵書借りて読んだり、ばっちゃに付き合って茶道教室行ったりしてた」
「茶道?小母様が?」
あれ、呼び方が変わった。そうか。同じ屋根の下で暮らしている、つまり実質母親みたいな物だもんな。
「いや、近所の人に一回どうかって誘われて付いて行っただけ。ばっちゃは性に合わないって言ってたけど、俺が結構気に入ってさ。取り敢えず点て方は覚えたから、今度小遣いで家用の抹茶を買おうかなと」
「意外……でもないかしら。庚って前から落ち着いていると言うか、老成しているもの」
自分でも同年代と比べるとテンションが低いとは思う。しかし今更考えてもどうしようもない。持って生まれた気質は、そうコロコロ変えられるものではないだろう。
「良かったら今度、ここで一杯点ててくれない?」
「あれ、抹茶好きなのか?いいぜ、多分来週か再来週になると思うけど」
「構わないわ。待ってるから」
友人相手に不味い茶を飲ませる訳にはいかない。責任重大だ。本番前に家でちゃんと練習しとかないと。あれ?でも確か、柚芽は根っからのコーヒー党……まあいいか。本人が飲みたいと希望しているんだし。
時計をチラッと見、俺はばっちゃお手製弁当を机の上に広げた。