四章 再会
境が一ヶ月の謹慎処分及び成績不良に因って無事落第し、すっかり平和になった残りの初等部生活も早終了。七月末に行われた最終試験も二人共無事パス。勿論成績一位は柚芽だった。因みに俺は十位。そう勉強熱心な訳ではないが、いつも順位はこれぐらいだ。
終業式が済んだ夏休みのある日。親父から商店街の割引券と幾許かの金を預かり、俺は二、三日分の献立を買いに街へ出た。
「あ、あんた!」「げっ!?」
馴染みの八百屋への道中、目の前に立っていたのは例の骨董屋の女主人だった。確かにここは店から近いが、選りにも選ってこんな真っ昼間に正面衝突するとは。
「知り合いの子かい、アイザ?」
「うん。あ、これ、この間頼まれた物です」
そう言って、彼女は金物屋のおばさんに四角い木箱を差し出す。
「流石天宝商店さんは仕事が早いね。はい、これで足りる?」紙幣を数枚手渡す。「ありがとう、また頼むね」
「こちらこそ。今後も御贔屓にして下さい」
笑って手を振った後、くるりと俺に向き直る。
「そっか、今って確か夏休みだね。偉いね、お使いの途中?随分買い込んでいるけど重くない?」
指摘通り、籠の中は既にパンパンでズッシリ。龍族で元々力は強いとは言え、正直腕が痺れそうだ。そう言うと彼女はさっ、と右手で籠を取った。主婦の腕力?いとも容易く持ち上げる。
「家まで運んであげるよ。他に買う物は?」
「特には」
「分かった。じゃあ案内して」
断っても付いて来る気だな。しょうがない、アパートの前で追い返そう。
ところがそう上手くはいかなかった。俺の住処を見るなり女主人は今にも壊れそうだと言い、住んでいる部屋をしきりと気にし始めたのだ。
「あんたみたいな子供がいるのに親御さん、何でこのボロ屋から引っ越さないの?」
「実は俺の昔の養育費の借金で、家に金があんまり無くて……」
乳幼児期の龍族は変身能力を身に付けて社会に適応出来るまで隣街、天芙の専門施設に入れられる決まりだ。俺の場合は約四年半そこにいた。養父の話ではローンの完全返済まで後十年は掛かるらしい。
家庭事情を説明すると、そうだったの……親御さんも大変だね、女主人は同情の声を上げた。
「だから他所に移るのは当分」
「上がらせてもらうよ。鍵開けて」
「え」
「アタシも今日は休みだし、二人で頑張り屋のお父さんのために夕飯作っておこうよ、ね?」
言うなり鍵を引っ手繰り、ドアの鍵穴に挿し込む。
「あ、ちょっと!!」ガチャッ。キィッ。「ギャッ!!?」
親父と俺が脱いだ服が畳のそこらじゅうに落ち、朝の分の食器が流しで溜まり、最近窓を開けていないため空気も埃っぽい。一日の中で一番悪い底辺の状態を見られ、住人として居た堪れなくなった。
「ちょ……幾ら男所帯でも酷過ぎるでしょこれは!!?」
絶叫した女主人は、部屋を飛び出しボロ階段を駆け降りて行く。下から響いてくる大声から察するに、大家と乾燥機能付き共同洗濯機の交渉をしているようだ。戻って来て山のような汚れ物を籠に入れて担ぎ上げ、再び出て行こうとして振り返り様「あんたは食器の片付け!」
「は、はい!」
反射的に応えつつ、まずは買って来た食材を冷蔵庫に仕舞う。そうしてから浸けてあったコップ等を洗い始める。その間に彼女は長身を活かし、大家から借りて来た叩きで部屋中の高い所に溜まった埃を落とす。それが終わるとこれまた借り物の掃除機を掛け、雑巾を固く絞って畳の隅々まで拭き清める。最後に手の空いた俺と窓をピカピカに磨いた。
「ふぅ……取り敢えず、掃除はこれぐらいでいいかな」
一息吐いた彼女は、冷蔵庫を自分の家のように無造作に開け、ぎゃっ!又も悲鳴を上げた。
「これも、こっちも全部消費期限切れているじゃない!どうして捨てないのよ全く!!庚、手伝って!」
「あ、はい」
そのまま生ゴミ出しと庫内掃除に突入。約三十分後、備え付けのボロ冷蔵庫は、見違えるようにピカピカになっていた。
「あんたの父親、この様子だと野菜炒めとカレーぐらいしか作らないんでしょ?しょうがないなあ」
言うなりポイポイッ!じゃがいも三つと果物ナイフを放り投げられた。「わっ!?」
「それ剥いてて。出来たら玉葱も一個お願いね」
二つのコンロに鍋を置き、手早く人参をピーラーで丸裸にしていく。俺が芽と皮を取った芋及び玉葱は、肉屋で只同然に貰ってきた屑肉と纏めて一口大にされ、鍋へぽん。醤油、砂糖、味醂を加えてぐつぐつ煮られ、台所に良い匂いを漂わせ始める。その間に隣で茹でられたほうれん草が笊に上げられ、予め作られていた鰹と昆布の出し汁をひたひたになるまでかけられた。
(美味そう……!)
溢れる唾を飲み込みながら、俺は闖入者の隣で料理の行く末を見守った。