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二章 骨董屋の女主人




 バンッ!!「こらっ!そこで何してるの!!?」


 住居部と思われる障子が勢い良く開き、中年女性の怒鳴り声が響き渡る。


「やばっ!見つかった!」

「逃げるぞ!」


 体力だけはある境を先頭に俺達は走る。しかし何歩もいかない内に、手を引いていた柚芽の脚が浴衣の裾に絡まって縺れた。


「きゃぁっ!」バタンッ!「柚芽、大丈夫か!?おい境!!?」


 悪餓鬼は薄情にも、俺達を置き去りにさっさと玄関を抜けて行ってしまった。あのチキン野郎―――!明日、絶対学校中に『女を見捨てた裏切り者のレッテル』を貼ってやるからな!!


「あんた達!」

「っ!す、済みませんでした!!」


 咄嗟に転んだ柚芽を両手を広げて庇いながら、頭を限界まで下げた。これはもう完全に俺達に非がある。しかし同級生はただ俺にくっ付いて来ただけだ。謝り倒して、どうにかこいつの警察行きだけは阻止しなければ!

 男みたいに大柄な四十代の女主人はブンッ!手を大きく横に払った。

「どきなさい!」

「嫌だ!悪いのは全部俺だ!殴るなら俺だけにしてくれ!」

「あんたなんか殴って何の得があるんだい!?その子、怪我しているんでしょ?見せなさい、手当てしてあげるから」

「え?」

「立てる?」

 呆気に取られた俺を他所にバンッバンッ。浴衣に付いた砂埃を払い除け、細い膝小僧に顔を近付ける。

「あちゃ、やっぱ擦り剥いているね。上がって、消毒するから」

「だ……大丈夫です、これぐらい……」

 まるで小鳥のような弱々しい声。まさか緊張しているのか?幾らデカいと言っても同性だぞ。もしかして柚芽の奴、意外と人見知り?

「駄目、放っといて化膿したらどうするの。ほら、遠慮しないで」

 逞しい腕に追い立てられ、強引に縁側へ上げられる。

 どうやらそこは大広間兼居間らしい。茶を啜りながら龍商会饅頭を食う二人の爺さん達に、ちょっと向こうに寄って、と頼む。空いたスペースに手早く座布団を二つ敷き、座って楽にしてて、救急箱取って来るから、言って有無を言わせず奥へ消えた。勿論、俺達に逆らうなんて選択肢は無い。

 柚芽は痛むのか、膝を伸ばして横向きに座った。覗いた傷口から血が滲み出し始めている。

「そこで転んだのか、お嬢ちゃん?おや、掌にも血が」

「触らない方がいい。それと、君ももっと脚を崩したらどうだ」正座していた俺へ告げる。「すぐに痺れてしまうぞ」

 小さな珍客に爺さん達は興味深々の様子。同じ老人とは言っても、髪や肌の状態から二十歳近い年の差があるようだ。

「ところでお主、何を持って―――!!それは……」

 古い方の爺さんの目が、俺の腕の中の物に釘付けになる。

「拾ったんです、庭で。お返します」

 面倒臭がりの従業員達の事は言わずに差し出す。アルバムを受け取った老人の額に一層深い皺が現れた。

「お店の物ですか?」

「……あ、ああ。こちらこそ礼を言わんとな。わざわざ届けてくれてありがとう」

 バタバタッ。女主人が木製の救急箱片手に戻って来るのを見て、アルバムを素早く自分の座布団の下に隠した。

「ゴメン遅くなって。―――はい、じゃあ消毒するね。少し滲みるよ」

 薬の染み込んだガーゼで傷口を押さえる。「っ!!」息を詰める柚芽の背中を擦り、怪我してない方の手を握ってやる。

「庚……」

「ちょっとの間だ。子供じゃないんだ、我慢しろよ。あの、こっちの手もお願いします」

「OK」

 慣れた手付きで消毒を終え、それぞれ丁度の大きさの絆創膏が貼られる。

「はい、お終い。他に痛い所は無い?―――そう、良かった。あ、少し待っててね!」

 五分後、盆に乗せられた二つの湯呑みが目の前の机に置かれた。煎茶の良い香りが鼻を刺激する。

「折角来たんだ、饅頭も食べて行きなよ。賞味期限が近いとかで近所周り大量に貰ったんだ。うちも一番大きいのが五箱も配られてね。親御さんの晩御飯が入る範囲で減らしてくれると嬉しいんだけど」

 環紗で一番売れている土産物、龍商会饅頭。貧乏人の俺でさえ何度も食べた事のある。リーズナブル且つそこそこの美味さの菓子だ。

「ありがとうございます。じゃあ頂きます」

 ぱく、ぱく。もぐもぐもぐ……。うん、偶に大家からお裾分けされるのと全く同じ味だ。少しパサついた生地にギッシリ詰まったこし餡。水分無しには中々咽喉を通らない。育て親の養父、親父なんて一つ食う度にゲフゲフ言っている。

 俺が二個、柚芽が一個食べる間、女主人はしきりと話し掛けてきた。あんた達名前は?家は何処?学校はちゃんと通っている?最近若い子の間では何が流行っているの?等々。交互に答える度、彼女はへーと素直に感心した。

「さっきアタシが見つけた時、もう一人いたよね?あの子は?」

「同じ学年の不良の親玉。俺達、夜だってのに無理矢理連れ回されて」

「怪我した友達を置いて自分だけ逃げるなんて最低だね!今度見かけたら首根っこ掴まえて説教してやる!!」

 女主人は義憤を露わにして机を叩く。幼いとは言え卑劣漢に爺さん達も御立腹の様子だ。

「あんなの友達でも何でもありません」

「右に同じく」

「だろうね。もう誘いに乗っちゃ駄目だよ」

 言いつつ柚芽の帯の後ろを軽く持ち上げて直し、彼女は立ち上がって再び奥へ消える。

「庚、良い人達だね。親や学校の先生達とは全然違う」

 二人に聞こえないよう女学生が囁く。と同時に壁掛け時計がボーン、ボーン……七回の鐘を鳴らした。

「あ、もうこんな時間か。そろそろ二人共帰らないとね。親御さん心配しているでしょ?」

 戻って来た女主人の服からフワッ、と醤油の良い香りがする。夕食を作っている最中だったのか。ますます邪魔をしてしまった。

 親父は晩飯の買い物を終え、家に帰り着いた頃だろう。今日は商店街のコロッケが安い日なので、多分買って来ている筈。

「ああ、あそこのコロッケ美味しいよね。柚芽の所は?」

「多分もう戻って来ている筈よ、時間通りに終われば……」硬い表情で首を横にする。「私がいなくても、どうせ気付きもしないだろうけど……」

 どうも親と上手くいっていないみたいだ。確かに多少気難しく、(些か度を越した)癇癪持ちで神経質だが、思いやりも協調性もきちんと人並みに持ち合わせている。俺が見る限り、積極的に嫌われる要素は無い。確かに学校では暴力事件以来、噂を耳にしたクラスメイト達からは距離を取られがちだが……。

「柚芽、親御さんと喧嘩でもしたの?」女主人が屈んで顔を覗き込む。

「いえ、喧嘩じゃありません。大体、最近は殆ど話なんてしないし……」

 初耳だ。もしかして事態は思ったより深刻なんじゃないか。幾ら思春期だからって、傷付いた彼女を放っておくなんて。

「別に何処の家でもある事です。気にしないで下さい」

 大人みたいな返事に、しかし女主人は首を横に振った。

「……あのさ柚芽。不満があるなら一度ちゃんと話し合うべきだよ。柚芽はどうやら親御さんに蔑ろにされていると思っているみたいだけど、向こうは違う風に考えているかもしれないよ。一回さ、勇気を出して訊いてみない?アタシも付いていってあげるから」

 ギロッ!殺気付きで睨まれても、女主人は眉一つ動かさない。

「あなたみたいなお節介な大人、初めて見ました」

「そう?捜せばもっといると思うけど。現にアタシの友達割とそうだし」

「余計なお世話」

「柚芽」思わず俺は呼んでしまった。「止めろよ、親切で言ってくれているのに。大体、辛いなら図書室で俺にでも愚痴ればいいだろ。学校で毎日会ってるんだ。それぐらいはしてやれる」

 告げた途端、それまで気丈だった彼女の黒目が水分で盛り上がった。

「だから庚には知られたくなかったのに……」

「悪い。でも」

 女子の思考なんて理解出来るか。相手がはっきりしている悩みなんて、本人にぶちまけりゃ終わりだろうに。いや、俺だって流石にあの餓鬼大将にそんな真似はしないが、こっちは実の両親だぞ?十二年一緒に暮らしてて話が通じない筈が無い、多分。

「……庚は謝らないで。私が悪いの、ごめんなさい」

 目尻から零れた液体を手で拭いながら謝る。

「少なくとも俺だったら親父とトコトンまでやり合うぞ」

 尤もんな事、この十二年で二、三回しかないが。代わりに些細な小競り合い、主に夕食のおかず争奪戦はほぼ毎日。養う者のくせに仕事で腹が減ったからと、向こうが俺の分にまで平気で手を伸ばしてくるのが原因だ。俺も俺で、好物が親父の皿にあれば隙を狙い箸でブスリ!だから我が家では食事中、絶対ちゃぶ台の前を離れてはいけないと言う不文律があった。




 パンパン!「はいはい。送ってくから二人共、外出なさい」


「もう大分暗い。車を出そうか?」

 若い爺さんが提案したが、女主人は手を振って断る。

「いいって四。自転車でゆっくり行ってくるよ。晩御飯はもう鍋に出来ているから、宝爺と温めて先に食べてて」

「分かった。気を付けてな」

 俺達の背中を大きな手が軽く叩く。再び押し出されるように靴を履いて玄関へ。脇に止めてあった新しめのママチャリの車輪止めを外し、柚芽に後ろの荷台へ乗るよう言う。

「でも危ない」

「しっかり掴まっていれば大丈夫だよ。それに庚を送って行くまでは走らないから」

 荷台は広く頑丈で、初等部最高学年の女子が乗ってもびくともしなかった。

「行こうか。道は分かる?」

「ああ」

 押して進む自転車の横を歩き、時々角を曲がる事十分。

「ここでいい」

 アパートから百メートル程離れた四つ辻で俺は言った。あんなボロ屋、恥ずかしくてとても人様に見せられた物ではない。

「そう?寄り道せずに真っ直ぐ帰るんだよ」

「分かってる。じゃあな柚芽、また明日学校で」

「え、ええ……おやすみ、庚」

 走って遠ざかるチャリを見送り、踵を返して自宅へ向かう。

 地震が来たら崩れ落ちそうな名も無きアパート。その二階角部屋の明かりは点いていた。ギィギィ鳴らしながら階段を昇り、俺と親父の名札が掛かったドアを開ける。


「ただいま」

「おう、また例の悪餓鬼との付き合いか?まあ座れよ、丁度飯が出来た所だ」


 予想通りの揚げたてコロッケが一つと、付け合わせのキャベツの千切り。味に当たり外れの大きい味噌汁の具は豆腐と若布だ。

「「頂きます」」

 ずず……うえ、今日は辛い方か。まるで岩塩を口に突っ込まれたみたいだ。親父も気付いたらしく、同じ器を更に二つ持って来た。そこに二人の汁をそれぞれ半分ずつに分け、薬缶に残っていた湯を均等に注ぐ。一口、これぐらいで丁度だな。

「親父、いい加減計量スプーン買えよ」

「えー、面倒臭え。いいだろ、ちゃんと飲めるんだから」

「目分量のあやふやな奴が言うな!」

 日常的なハプニングはありつつも、夕食は滞り無く終わった。流し台で朝の分と一緒に食器を洗う俺の背中に、親父はデザートがあると告げる。片付けを終え卓袱台の前に戻って驚いた。さっき骨董屋で食べたのと同じ饅頭のパッケージ。親父の職場にも配られていたのか。

「うちの店、人少ないから一箱丸々貰ってきた。当分おやつには困らないな」

「ありがと」

 ぱくっ。本日三つ目の饅頭は、やっぱり水気が無くてパサパサだった。




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