序章 二人は図書委員
※この話は『神殺し篇七 想い出はただ静かに過ぎる』と『神信じ篇三 紅の狂鬼』~『神信じ篇四 惑い使徒はかく語りき』のスピンオフです。本編を読む前に、そちらを御参照頂く事を推奨します。
「本気で言ってんのか?」
「あったりめえだろ!庚、お前龍族のくせにビビってんのか?」
学年一の餓鬼大将、曲林 境はそう言って下品に笑う。
「貧乏でその上臆病者。授業が始まったら皆に教えてやらないとな」
得意気に意味不明な事をほざき、数日磨いていない乱杭歯を剥き出した。臭い。
境の弱い者イジメは初等部中に知れ渡っているので今更だが、それでも迷惑には違いない。こいつの取り巻き共に四六時中囃し立てられるのも不愉快だ。
「俺は臆病じゃねえ!幽霊なんて怖くも何とも」
「なら今夜六時、中央公園に集合だ。来ねえと嘘吐きも追加して明日言い触ら」
せせら笑っていた奴の表情が固まる。我がクラス一の才女、霧下 柚芽が階段を降りて来たせいだ。このゴリラは彼女に気があり(正に美女と野獣!)、お近づきになろうと日々無駄な努力を費やしている。
「おう柚芽。図書室行くのか?俺も今丁度何か借りようと思ってた所なんだ。いやー、本っていいよなー、勉強になる」
「………境さん」
冷たい声にジト目。早くも導火線に火が点く寸前、危険な癇癪を起こす前兆だ。だが、名前を呼ばれてすっかり舞い上がった奴には全く見えていない。
「おう」
「図書室にコミックは置いていません。それと、今週は整理期間で先生と図書委員以外立入禁止です。一昨日のホームルームで連絡があった筈ですが?」
「あ、そう、だったっけ……?あはは、俺すっかり忘れてたぜ」
嘘吐け。爆睡して聞いてなかっただけだろう。
彼女の腕の中の数冊を見、奴の目が再び輝く。正真正銘の阿呆だ。
「それ持って行くのか?重いだろ、運んでやるよ」
「結構。それより庚を連れて行っていいですか?先生から一緒に本棚の整理をするよう言われていますので」
「俺も手伝うよ。力仕事は得意なんだぜ、見ろよこの力瘤」
高々と挙手するのと同時に、無表情な彼女から発する舌打ちが聞こえた。おいおい、あんな音ヤクザ映画ぐらいでしか聞いた事無いぞ。
「結構」
教科書を半月でボロボロにする野蛮人が図書室に入れると思っているの?猿は大人しく猿山に帰れば?と視線で罵る。
「そんな事言わないでさ」殺気に本能的な身震いを起こしながらも、奴は言葉を紡ぐ。「少しでも柚芽と話したいんだよ。いいだろ?」
駄目に決まってる!ああ、柚芽のヤバい目付きと言ったら!このまま行けば確実に『喫茶店』の二の舞だ!!
拙い。廊下の片側は全て窓硝子だし、ほんの一メートル先は下り階段だ。しかも現在位置は三階。俺みたいな龍族ならともかく、脳味噌スポンジ人間ではどちらから投げ落とされても骨の一、二本では済まない。俺自身は被害者の怪我など一切興味無い、ぶっちゃけ血反吐ぶちまけて首折れろだが、加害者の方はそうはいかない。
「拒否します。それに私に必要なのは『整理』が出来る人間です」
「それこそ俺に適任じゃないか。なあ庚?」
何で話を俺に振るんだこのボケ!どう贔屓目に見ても、手前は散らかす方専門だろうが!その空気の読まなさ加減は最早ゴリラにすら失礼だ!!
「あ、どうした?早く柚芽に俺様の素晴らしさを」
「人に褒めさせるなんて境さん―――最低」
トドメの一言が堪えている間に、俺を半ば引き摺るように柚芽はさっさとその場を退散。安全地帯の図書室へ逃げ込み、内鍵を閉めて一安心。
「毎回毎回馬鹿馬鹿しい事に巻き込まないでよ、庚!!」
開口一番、環紗一危険な女学生は憤慨を表した。
「あんな悪餓鬼と付き合うなんてどうかしている。早く縁を切って!」
「いやでもさ、境に目ぇ付けられたら学校来れなくなっちまう。あいつのせいで不登校になった奴も何人かいるし、適当にでもツルんどかねえと」バンッ!「ひゃっ!!」
腕力のまま本を机に叩き付け、表紙の上で人差し指を神経質に鳴らし出す。カッカッカッ!危ない。今日の柚芽は本気でブチ切れる手前だ。
どうも学年一の秀才が本性を見せるのは、今の所俺だけらしい。こんな今にも人を刺し殺しそうな目をすると知ったら、教室の皆は絶対逃げ出すだろう。『例の暴行事件』を知っている先生方、特に担任の苦労が偲ばれる所だ。
「大体庚の態度が最悪よ!龍族ならもっとしゃきっとしなさい!人間風情に偉そうにされて、本当情けない!!」
「お前は俺のお袋かよ。大体それ種族差別だし……あー、ちょっと落ち着こう。コーヒーでいいか?」
教育委員会の補助金が出たとかで、去年から図書室には瞬間湯沸かし器が一台設置されている。ティーバッグ等は自己負担だが、食堂以外でも熱湯が手に入ると生徒には中々好評だ。弁当派の俺も毎日のように利用している。
先生用のインスタントを少々拝借し、二杯分のホットコーヒーを机に置く。多少冷静さを取り戻したらしく、少し言い過ぎたわ、ごめんなさい、塩を掛けられた青菜のようにしゅんとなる。そうしていると普通の可愛い女子にしか見えない。
「で、今日は何言われたの?」
「ただの肝試しさ。龍商会ビルの近くに、ちょっとボロめの骨董屋があるだろ?あそこの蔵さ、出るらしいぜ幽霊が。まぁどうせデマだろうけど」
「―――その店、昔殺人事件があった所じゃない?」
「え?」
顎に手を当てて、記憶を探るように眉根を寄せる。
「二十年ぐらい前だった筈よ。近くを通った時、母さんが言っていたもの。店の従業員達が無差別に殺害されて……そうだ、確か死体は蔵の中に山積みにされていたらしいわ」
ゾーッ!変身で隠した背筋の鱗が総立つ。
「じゃ、じゃあ……その殺された従業員が、うらめしや~って化け出て……」
「少なくともあの山猿が聞いた噂はそうみたいね」
互いに薄いコーヒーを啜る。ずずず……。
「どうせ柚芽は幽霊なんて信じてないんだろ?」
「今まで見た事無いから真偽が付かないだけよ。はっきり出てきてくれたら信じるしかないわ」
そしてその細腕でブッ飛ばす訳か。解放された時の身体能力を考えると、幾らお化けでも裸足で逃げる気がする。
積まれた本の背表紙には学校のシール。この図書委員、整理週間中などお構いなしに借りていく悪癖の持ち主だ。勿論既にチェックは済ませているだろうが、境の事は決して言えない。
「まさか行く気なの?」
「しょうがないだろ。これも付き合いの内」
自分で言っててなんだが、サラリーマンみたいな台詞だ。
「止めときなさい。面白半分なんてお店の人に迷惑よ」
ご尤も。幾ら俺達が生まれる前の事件とは言え、不謹慎にも程がある。
「でも行かないと、明日あいつにある事無い事言い触らされる」
「勝手にやらせとけばいいのよそんなの。どうせ貧乏人とか弱虫とか、そう言う低能な悪口なんでしょ?精々吠えさせておけばいいわ。どうせあいつ、来年は留年だからクラス別だもの」
「え、マジ?」初耳だ。
「さっき職員室で先生達が言ってた。大体、初等部一年から赤点継続中の人間がどうして中等部に上がれるの?勉強が追い付けないなら、とっとともっと偏差値の低い学校に行けば良いのに。真面目にやっている私達が迷惑だわ」
まだ全然怒りが収まっていなかったらしく、息をするように辛辣な言葉を吐く。
「……大体あんなゴミがいるから、お姉ちゃんは―――っ!」ハッ!慌てて自らの口を塞ぐ。「な、何でもないの!庚には関係無いから!!」
慌ててコーヒーを一気飲みし、噎せてゲホゲホ。
「おい!?」
「は、早く今日の分の整理を始めましょう。行くなら遅くまでは残れないんでしょ?」
口元を押さえて言いつつ、同級生は足早に奥の書庫へ消えていく。その姿が完全に見えなくなったのを確認し、一人嘆息した。
「やっぱ覚えてないのか。まぁ好都合、だよな……」