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歩み寄り―make some cocession―

 絶対、絶ぇぇえええっ対これは死んだわって、そう思った。もう二度と目が開かないだろうって、そう思ってあの時目を閉じた。閉じたはずだった。

「……っく……」

 背中が、割れてるみたいに痛い。いつもと違うベッドの感触に寝心地が悪くて、つい体を捻ってしまったようだ。捻った箇所がすさまじく痛んで、思わず声が出る。あれ、痛い? てことは、私まだくたばってないってことぉ? 意識が浮上してくると同時に、何者かが近づいてくる気配がする。

「ああ――全く、おい。また俺に血の滲んだシーツの処理をさせる気か、このお嬢様は」

 誰かの、しかし確実に聞き覚えのある(何つうか不快な感じだ)声は、まだ私が目覚めた事に気付いていないらしかった。その声の主がベッドを覗き込んでくる気配に目を開けると、バッリチと目が合ってしまった。そのグリーンの瞳と。

「うわ!? ……あー、驚いて変な声出しちまった! なんだ、お目覚めですか? セニョリータ」

「う……ぁ?」

 いつの間にか着替えさせられている。ま、血塗れドレスじゃとてもベッドインできそうもないけどね。未だ状況も掴めず、うめき声を上げながら働かない頭で考える。ええと、とりあえずは生きていて、んでもって何故かイーサンに看病されてて。というかあなた、自分を殺そうとした女なんかの面倒見ちゃって大丈夫なの? 放っておけばいいものを。だめね、頭が働かないのか、状況が異常すぎるのか。全くわけがわからないわ。とりあえず何か言おうと出た言葉は、やっぱり軽口だった。

「……背中が痛くて、散々、よ。私達一体どんなプレイをしたの?」

 イーサンは呆れたような表情を見せつつも、どこかほっとしたような溜息をついた。

「SMプレイよりかもっと物騒なやつじゃないか? 目覚めてて第一声が軽口とは、本当に貴族のレディとは思えないお嬢さんだ」

「本業はこっちですもの、バーン」

 指を立てて銃をつくり、イーサンの眉間を撃つ仕草をしてやる。あーしまった、思いのほか腕、上がらないわね……。何気なく上げようとした腕が、力なく垂れ下がる。これじゃあ満足にワインも飲めないじゃないのよ。

「最低。ディナーもまだ無理、ね。はぁ」

 一体どのくらい前の事かわからないが、ダンスパーティで食べた食事が思い出された。あれは、美味しかったなあ。料理のことを思い出すなんて、私ったらお腹すいているのかしら。頭上にあるイーサンの見えない顔が、ふっと綻んだような気配がした。

「その点は心配するな。俺が食わせてやる」

「あらそう……はぁあ!?」

 あらそうなの、と納得しかけて目の前の男が明らかに理解不能な事を言っていることに気づいた。何ですって? この私が、人に食事を食べさせてもらう? しかも、あなたに!? 

「自慢じゃあないけれど、人の施しは受けずに育ってきたわ」

 私は殺しを覚え始めた頃から、人の施しは身を滅ぼすものだと、そう言われて育ってきた。実際、甘い密に誘われてこの世を去った同胞を何人も見ている。今もその考えは変わらない。

 イーサンは眉根を寄せて少し考え、それがお前達(殺し屋)の生き方か、と訊ねてきた。心なしか寂しげな表情なのは気のせいかしら。

「そうよ。だから他人からの施しは受けない」

「……嫌なら別に」

 あ、そっぽ向いた。え、拗ねたの? イーサンの表情は、まさにそう表現するのがピッタリだった。なにソレ。突拍子もないし、ギャップがありすぎてビックリするじゃないのよ。

「お前のディナーはしばらくなし、ってだけだ」

「……」

 そっぽを向いたまま、呟くように言う。というか、もはやお前呼ばわりなわけね。そりゃ、勝手に敷地内で刺されて勝手に血まみれになって、面倒は沢山かけたのでしょうけれど。何だか溜息が出るわ。

「わかったわ。でも何もあなたじゃなくてもメイドか執事くらいいるでしょうに」

「今はお前の体力がない。面会拒絶中だ」

 ああ、そうなのね。んであなたは許可が出ているわけね。伺うような視線が向けられる。返事を待ってるの? 何、私の口からお願いしますと言わなきゃならないわけ? 信じられない! 

「わかったわよ! ええ食べさせなさいよ、好きにすればいいじゃない?」

 ――こいつ、なんか大きな犬っぽい。そう思った。

「ああ、好きにさせてもらう」

 満面の笑み。これは死亡フラグ……何か、違う気がする。何というか、これイーサンが楽しんでるだけ? いいえ、違う。私は信じてみたいだけなのかもしれない。この男が、弱っている人間に追い討ちをかけるような奴じゃないと。私は、この男を知るために自分の命を天秤にかけていると言うのだろうか。この満面の笑みに、漬け込まれているのだろうか?

 どの道、私はあの時死んでいたつもりなのだ。どっちに転んでも後悔はしない気がする。

「良かった良かった。口から栄養が入らないなら点滴を入れなければならないところだったからな」

「それは勘弁よ。私も良かったわ」

 冷静に返してみたけど、心の中は乱れまくりだ。何ですって。それを早く言ってくれれば、今のやり取りだってもっと冷静にやれていたわよ。余裕の微笑なんかたたえちゃって。やっぱりこいつ、私をからかって楽しんでいるわね? 

「それはともかく、先ずは視診だ」

 私が起きたので、医者にでも見せる気なのだろう。すぐに呼びつけるかと思いきや、ベッドの近くにある小テーブルでサラサラと万年筆を走らせ始めた。ドイツ語だ。

「早く医者を呼んだらどうなの?」

「だからここにいるだろう」

 言われて思い出した。そう言えば、カルロ家って代々王宮の専属医を排出してきた一家だったわね。それで栄えて今や爵位を得ているわけで。

「あぁ、えぇ、そうね……あなた、カルロ家の人間だったわね」

 納得。つまりイーサンも医師の資格があるわけだ。んでもって、この人が私の主治医なわけね。私を助けたのは、医者として見捨てる事ができなかったから? そう考えると彼の行動も納得できる。

「因みに看護資格もあるから、俺一人で病院みたいなもんだ。安心しろ」

「最悪に安心できない」

 それって、これから回復するまで私の生活はこいつによって管理されるってこと!? 脳裏に日常生活の殆どをこの男にゆだねる自分が想像でき、ゾッとした。

「ね、ここカルロの屋敷よね? 女性はいないわけ?」

「カルロの屋敷だから俺しか見れないんじゃないか。アホか貴様」

 な、なんですってー! アホってなによ、アホって!! そりゃ、殺しの道に入ってから勉強なんてやってこなかったわよ? でも、レディに向かってアホはないわよ!!

「あ、アホって!!」

「敵の根城だぞ。見つかったらどうなるか。全く、お前は呆れたお嬢さんだ」

 それってひょっとして、瀕死だった私を助けるために、自分の立場をかけてくれたってこと?

「あなた……あなたがわからないわ」

 遂、思っていたことが口に出てしまう。この男がわからない。私はあなたを殺そうとした(している)のに。この私を、全てをなくす危険を冒してまでまで守ろうとしている?

「俺もお前がわからんよ。なぜ、シェン・チャールズ・ヒューを助けた? お前はそういうタイプじゃないだろう?」

 逆に質問返しされてしまった。イーサンが何かを書いていた手を止め、まっすぐに見つめてくる。私は思わず視線を逸らしてしまった。

「任された仕事を忠実にやっただけよ」

 別に、こいつにミチルのこととか、私が大事なものとかそういう話をしたいわけじゃない。

「違うな。お前は命が危なかったら仕事を諦めるタイプだ。俺のときだってそうだった。なのに、なぜ……」

 自分の内面に入ってこられそうになり、焦る。私は別に、自分を理解してもらいたいなんて思っていないわ。逆に、人に入ってこられるのってこんなに怖いのだと、たった今思った。

「わかる必要はないわ」

「だったらお前も必要ないだろ」

 白状しましょう。自分だって彼が入るのを拒んだくせに、イーサンに拒絶された気がして傷ついている。敵であり、でも何故か惹かれてしまうこの男。その距離が、近づいた気がしていただけだったのかしら。歯がゆい気持で下唇を噛む、と。

「こら、綺麗な唇に傷をつけるな……」

 その長い指があごに触れ、驚いた隙に唇に触れた。そのまま親指の腹でやさしく擦られると何とも言えない気分になりそうだ。

「ん……何が、綺麗な唇よ……」

 人があんまり動けない事をいいことに、好き勝手してくれるわね。憎まれ口を叩いてみても、まだ唇から指を離してくれない。ダメだ、見つめてくるグリーンの瞳に吸い込まれそうで。何だか泣けてくるような、そんな気分に陥りそうで。ふと、瞳が綺麗だと気付く。今まで見てきた誰の瞳より――ガラス玉のようなミチルの瞳のように――深い煌きを宿していた。

 スリ、スリ。下唇がずっと擦られ続けて、感覚が麻痺しだす寸前、その手は止まったしまった。離れていく指を惜しいと思うのは気のせいか。

「ああ、赤くなってる。危なく切れてしまうところだった」

「ぁ……」

 そんな惜しむような声なんて出しちゃだめよ私! しっかりしなさい、まったくこのヴィッチーは!! 戸惑う私をよそに、イーサンは何事もなかったかのように手を離した。

「視診を始めるぞ」

 イーサンに背を向けた格好でガウンを脱がされる。今更でだけど、パンティー以外の下着を脱がされている事に気付いた。そりゃそうね。傷口縫うにも消毒するにも邪魔だもの。

 他人にこの背中を見せるのは初めてかも。最も、私が意識混濁しているときに既に見られていそうだけどね。

「既知だが、センスのいいタトゥーだ。それなりにそそる」

「そりゃどうも」

 全然そんなつもりで入れたわけじゃないけどね。私の背中には、左側に肩から尻にかけて薔薇の刺青(タトゥー)が入っていた。薔薇は、私のシンボルマークだ。愛用の銃をはじめ、手袋や弾にまで刻んである。因みに背中の薔薇(タトゥー)は人を殺した数だけ入れている。だから、これからも増え続ける予定だ。

「尻にまで入ってるってのがいいな。俺はお前の尻が大変好みだ」

 何を言い出すかと思えば、この変態は。まったく呆れて溜息も出ないわ。適当に応じましょう。

「ああそう。この前は大胆に鷲づかんでくれてどうも」

 放った皮肉は華麗にスルーされ、イーサンは傷口の様子を観察している。今、彼は医者なのだろう。ふと、背後の気配が止まった気がした。

「――傷になってしまったな」

 ボソッと、そういう呟きが聞こえた。刺し痕のことだろうか? もともと、タトゥーなんかを入れちゃっている背中だ。そんなことは別に気にしていなかったから、ちょっと驚いた。背中を見せる格好になっているから、表情こそは見えないけれど、その声はちょっとだけ沈んでいる風にも聞こえる。本人も気にしていないようなことで悩んでいるのが、何だか滑稽で。

「その場所、薔薇で隠せると思わない?」

 つい、慰めのような言葉をかけてしまった。それがいけなかったのかもしれない。ふと、背後の男が纏うオーラが黒いものに変化した気がした。あの時と同じ、殺気だ。

「お前は、一体どこまで自分のことを……!」

 気がつくと、首を絞められていた。背後からのそれは、正面からするよりも圧が低いはずなのに、頚骨をたやすく折ってしまいそうなほどだ。

「ぐ……っ。ゃ……め……!」

 苦しい。苦しいのに何故か甘美。遂に気が狂ったかしら。私はこのまま殺されることを期待しているのだろうか? それならそうで、だから何よ。どうせ拾われた命だ。いつ尽きてもおかしくは無かったのかもしれない。そう思って、身を委ねるように力を抜いた。瞬間、男の手が、戸惑うように震える。

「君は、既に、諦めて、いる、のか?」

 戸惑うように問いかけられて、開放された。そのまま首にあった手が頬を包み込み、無理やり男のほうを向かされる。彼は酷く、泣きそうな目をしていた。どうしてアンタが泣きそうなのよ? そう言おうと開いた口を、塞がれる。

「!?……んっ」

 キス、されていた。深いそれじゃない。ただ私の呼吸を止めるように、男のそれが塞いだだけだ。だけど驚く間もなく、すぐに開放された。

「忘れろ」

 一方的にそう言われる。イーサンは何事もなかったかのように触診に移った。一体何だったというのだろう。寂しかったのかしら。今の私には、それがわかるはずもなく。心当たりはないが自分の発言が彼にあんな顔をさせてしまったのならと、仕方なしに言いなりになっていた。

 


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