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第七章「剣客倒れしは夜の街道」

 グラットンを背負ったままのカムイだったが、夜が明ける前に何とか街道に出ることが出来た。

 土地勘も地図も無いこの状況下で、これは非常に運が良かったと言えるだろう。

 

 しかし、カムイも流石に疲れ果てていた。自分の体重の数倍のものを抱えて歩いてるわけだし、それは仕方の無いことだった。人虎のライカンスロープの力を以ってしても、これはなかなか骨の折れる事である。

 

「カムイ、少し休んだらどうだ。」

 グラットンも、流石にカムイの疲労が気に掛かっていた。元々は置いていけと言っただけあって、負ぶってもらうだけでも気負うことなのに。

「僕なら大丈夫さ、グラットン。見た目はこんなだけど、普通の人間よりも数倍頑丈に出来てるんだからさ。」

「それは分かっている。だが、流石にお前でも、俺を抱えるのは一苦労だろう。」

 実際、カムイは既に肩で息をしているし、汗も滝のようだ。食べ物も飲み物も無いし、無理をすれば、いくら丈夫な体であるといっても保たないだろう。

 彼は一応夜が明ければそのときに休憩するとは言っているが、そこまで保つとは到底思えなかった。カムイの限界が近い事は、戦場で肩を並べてきたグラットンもよく分かっている。

「大丈夫、まだ、いけるよ。心配しないで。」

 とは言うものの、カムイの声は途切れ途切れ。流石に体力の限界なのだろう。

 四肢が万全の状態であれば、この様な事にはならなかったのに。グラットンは自分の不甲斐無さに歯軋りした。

 しかし、このまま歩かせるわけにもいくまい。無理は禁物だ。

「カムイ、いいから休め。お前は……」

「グラットン、僕は君を一刻も早く助けたいし、ほかの皆とも早く合流しなきゃいけない。だから―――」

 

 カムイの声が、急に細くなり、消えた。

 おかしい、とグラットンが気付いた瞬間に、彼は路上に突然放り出された。四肢が使えない為、そのままうつ伏せに倒れる。

「カムイ!?」

 カムイの体が突然右に傾いだ。体を支えるように足を踏ん張ったようだが、そのまま前のめりに倒れる。起き上がろうと地面に手をつき状態を起こした所で、カムイは息を荒くした。

「どうし―――」

 訊こうとして、グラットンは言葉を止めた。

 

 暗くて気付かなかった。

 ぽたり、ぽたりと砂利道に滴る、ぬらりと光る赤黒い液体。それは、カムイの黒衣から染み出している。

 

 血だ。

 

「弱ったな……まだいけると思ったんだけど……」

 か細い声でカムイが洩らした。

「どうして隠していた。」

 グラットンの重さで、船が難破した時に負った傷が開いたのだろう。応急手当はしてあったのだろうが、完全に治癒する前に鉄の巨躯を抱えていたのだろうから無理も無い。

 思った以上に傷は深そうだった。滴る血の量がそれを告げている。

 グラットンが目覚めた時にはカムイは平然としていたが、その様子からここまで深い傷を負っていたとは気付きもしなかった。心配させまいとした彼なりの配慮だろうが。

「君を、心配させちゃいけないと、思った、からね。」

「馬鹿な……」

 ライカンスロープは人よりも遥かに高い自然治癒力を持つ。それを過信したというわけでもないだろうが、カムイは無理をしすぎた。いかに治癒力が高かろうと、ここまでの出血をすれば危険。

「ごめん、グラットン。」

 そう言うと、カムイは起こした上体を再び地に伏した。

 

 まずいな、これじゃ。全身に力が入らない。

 虚ろになる意識で、カムイはそんな事を思っていた。

 

 気負いすぎたか。全然気付かなかった。痛みはグラットンを抱えた時に感じたが、次第に感じなくなった。感覚が麻痺していたんだろう。

 だから、もう少しいけると思ったのに。

 

 彼の師であり親同然の存在であった男。彼の精神と行動理念を元にカムイは動いていた。

 しかし、自分の限界をとっくに超えているのに関わらず無理をした所為でこの様な結果になってしまった。気持ちばかりが前に行っていたことに気付いた時にはもう遅かった。

「カムイ、おい、しっかりしろ!」

 グラットンの声が、ひどく遠い場所に聞こえる。

 混濁する意識。

 体中をはしる寒気、酷い脱力感……いけない、このままじゃ。

 

 

 グラットンはその膂力を以ってして、体を仰向けにした。重い腕が胸板に圧し掛かってくる。

 カムイに呼びかけても反応は無い。荒かった呼吸は次第に浅くなっている。このまま放っておけば、確実に力尽きるだろう。

 無茶をし過ぎだ。

 しかし、彼の行動理念を知るグラットンには、カムイを叱責する事は出来ない。

 グラットンは、大きく息を吸い込んだ。今出来る事は一つしかない。望みは薄いが、やらずに終わるわけにはいかない。

「誰か、誰か近くに居ないか!」

 夜の静寂に響き渡る叫び。悲痛な響きさえ感じる叫びだった。

「仲間が死にそうなのだ!俺ではどうすることも出来ない!誰か、助けてくれ!」

 胸に圧し掛かり、肺を圧迫している鉄屑が、とても忌々しい物に思える。しかし、もう一度深く息を吸い込んで。

「誰でもいい、頼む、助けてくれ!」

 今まで「助けてくれ」なんて言葉を吐いた事は無かった。強くあろうとする彼にとっては、今まで無縁の言葉だったから。

「このままでは長くはもたない!誰か近くに居るのなら、頼む!」

 静寂を切り裂く咆哮。風すら凪いだ。

 

 この夜の街道に、誰かが居る可能性は低い。いや、無に等しい。夜は異形達の時間なのだから。舗装された街道であっても、奴らは徘徊し人を襲う。

 無論、今グラットンがやっている行為も危険極まりない。しかし、やらねばならないのだ。

 

「誰か、助けてくれ、頼む……!」

 

 

 グラットンが叫んでいる。

 助けを呼んでいる。

 駄目だ、まだ。気を失うわけにはいかない。

 

 次第にまどろんでいく意識の中で、カムイはそう思った。今意識を失ったら危険だという事は彼自身自覚しているが、眠気に似た感覚が全てを凌駕している。

 ……駄目だ。まだ、駄目だ。

 痺れて感覚の無い手を握り締めた。少しでも、この死の睡魔に抵抗せんとして。

 あの強いグラットンが、助けを呼んでいる。だから、僕も頑張らないと。

 

 ―――死んで、たまるか。

 

 

「誰か、頼む、助けに来てくれ!」

 もう何度叫んだだろう。喉が潰れそうだ。鉄塊が肺を押し潰す所為で、呼吸の度に痛みを伴う。しかし、仲間を救うためには叫ぶ事しか出来ないのだ。喉が破れようが肺が破裂しようが、助けが来るまで叫ぶしかない。

 傷を負った獅子の咆哮。それは悲痛を越えて哀愁すら感じる。

 もう一度。痛みを我慢しながらすぅっと息を吸い込む。彼が祈る神は無いが、何かにすがる思いだった。

「仲間が死にそうなのだ!誰か―――!!」

 次の言葉を叫ぼうとした所で、ざり、と砂利を踏む音が聞こえ、グラットンは声を止めた。

 異形か、助けか。

 首を回して音の方を見る。

「お前か、先ほどから騒いでいる奴は。遠くからでもよく聞こえたぞ。それほど異形を呼び寄せたいのか。」

 先が尖った黒いブーツを確認した時、そこから静かな声が下りてきた。まるで夜の闇そのものと思えるような、静かな男声。

「大変ですわ。早く助けなければ……」

 続いて、透き通るようなソプラノ。驚いたような声色だったが、風のようにしなやかに耳に届いた。目をやってみれば、黒いブーツの後ろに隠れるように、白のブーツがある。

 この夜深くに男女の二人組が歩いているとは奇妙なものだが、更に首を回してその姿を確認する限りでは、普通の人間の様だった。

 片方は黒いローブを着込んだ魔道詩風の男、もう片方は白のローブを着た女性。両方ともフードを目深に被っており、顔を見ることは出来なかった。

「姫、こいつらは異形の仲間やも知れません。このまま放っておくのが賢明かと。」

「しかし、普通の人間かもしれません。見る限りでは、私たちに危害を加える者の様には見えませんわ。」

「俺は、お前達に危害を加えるつもりは毛頭無い。」

 姫と呼ばれた女性と黒いローブの男性のやりとりに、グラットンが口を挟む。一刻の猶予もままならないのだ。

「初対面に対してお前呼ばわりか。随分な物言いじゃないか。」

「済まないな、喋るのはあまり得意じゃない。」

 冷たい言葉をぶつけてきた男性に、グラットンは彼が知る言葉を以ってして返した。男はフンと鼻を鳴らすと、グラットンとカムイの様相を交互に見やる。

「……助けましょう。」

 白いローブの女性が、見かねて男性の方を掴んだ。

 男はしばらく黙っていたが、仕方が無い、と一つ洩らして溜め息をつく。

「姫の仰せのままに。」

 やれやれ、といった語気を含みながら、男は女性に深く頭を垂れた。

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