第四章「動けぬ獅子目覚めるは月夜の海岸線」
俺を呼ぶ声がする。誰かが俺を呼んでいる。
グラットンは、暗く沈む意識の中で声を聴いていた。聞き覚えの有る声だった。
暗闇に落ちる中で、妙な感覚が四肢に走る。
元々両手両足は義肢の為に痛みなどは感じない筈なのだが、何か違和感が有る。
動かない…?右手を動かそうとしても巧くいかない。
左足、右足、左手、どれも動かない。金縛りにあったみたいに、全く。
「グラットン!」
もう一度強く呼ばれて、グラットンは薄らと目を開けた。月明かりが眩しく差した。
見てみれば、カムイが心配そうな面持ちでグラットンを覗き込んでいる。
いつもは伸びきった髪で見えない目が、少し潤んでいるのが見えた。
「良かった、死んでしまったのかと思って心配したよ。」
「…すまない。」
どうやら、あの大嵐から何とか生き残る事が出来たらしい。
体のあちこちに、包帯代わりの布切れが巻かれている事に気付いた。
カムイもあちこちに布切れを巻いているところ辺り、無傷で済むほど甘くはなかったようだが、命が有るだけでも随分奇跡的である。
「いや、無事でよかったよ。どう?立てる?」
カムイがグラットンに手を差し伸べてきた。その手を掴もうと、手を伸ばそうと…
「…む?」
「どうしたの?」
ぎぎぎぎ、と不快な音が、右腕から鳴った。
少し地面から持ち上がったところで、それ以上右腕が上がらない。
気付いた瞬間、グラットンは舌打ちした。最悪だ。
「…錆びた。」
「何だって!?」
先程虚ろな時に感じた違和感は此れだったのか。
巨人族の機工技術で造られた四肢は、海水に腐食を促され、錆び付いて動かなくなってしまっていたのだ。
幸いな事に神経は通ってない為痛みも何もないが、これでは全く動けない。
「パールレインは…?」
以前、今と同じような状況に陥った事がある。
その時はパールレインの知識と魔法で治療、もとい修理したのだが…
カムイは苦い顔で首を横に振った。
「この辺りに流れ着いたのは、どうやら僕達だけらしい。他の皆の姿は無かったよ…」
一瞬、グラットンの顔が絶望に沈んだ。
自分の体ではない。
他の皆が居ない、ひょっとしたら皆既に、という嫌な予感が脳裏を掠めたからである。
「大丈夫だよ、きっと。みんな生きてる。」
気持ちを察したか、カムイが優しくそう言った。
根拠や保証はどこにもないが、そう思わないことには不安が募るばかりだ。カムイの声を聴いて、多少安心した。
しかし、とりあえずどうするか…ここが何処なのかも分からない。
「カムイ、ここが何処だか分かるか…?」
「いや、全く見覚え無いよ…この海岸の周りは粗方見てまわったけど、特に何も無かったし…」
グラットンも仰向けに倒れたままで首だけ動かして周りを見渡してみたが、船の残骸が散らばっているだけで特に何も見えない。
夜だから遠くまで見通しが利かないが、それでもやはり無人の海岸のようであった。街の灯りが少しでも見えれば少しは安心も出来たのだが。
「とりあえず、これからどうするか、だ。」
少しの沈黙の後、グラットンが切り出した。
仲間の姿が見当たらないとは言え、不安など一切無かった。
根拠も何も無いが、何処かで生きているだろうというと思える。
これからやるべきことは一つだが、体の自由が利かないのが痛い。
「そうだね…とりあえずここにいても始まらないし、村なり街なり、どこか休める場所を探さないといけないね。」
夜は日中忍んでいた異形たちが活発に行動を始める為、歩くのは危険である。
馬車などの移動手段や他の仲間が居れば多少は何とかなるが、逸れてしまっている上にグラットンが動けないこの状況では、さしもの剣豪でも危険を伴うだろう。
しかし、グラットンを治療する為にも、行動は迅速に行うに越したことはない。
グラットンも同意権だ。ああ、と短く答える。
しかし。
「…カムイ、一人で行け。」
カムイの目が驚きで大きく見開かれた。
まさか、そんな事を言われるとは思ってもみなかったのだ。
「どうしてさ、このままここに残っても…」
「俺は動けない。付いて行こうにも自力では歩く事も出来ない。お前の足を引っ張るだけだろう。」
「う〜ん…そうは言ってもね。」
「パールレインが見付かってから、またここに戻ってきてくれないか。お前一人のほうが危険は少な…おい。」
言い終わらないうちに、カムイがよいしょとグラットンの巨躯を抱え上げた。
少しだけふらついたが、踏ん張って耐え切る。
「君をここに置いて行ったとして、そのあと僕が皆から何て言われるか、想像できない?」
軽く頭を働かせれば、確かにすぐに分かる事だ。
言われる、どころか引っ叩かれるかもしれない。
カムイが優しい笑顔を見せた。柔らかい、暖かい笑顔。
「それに、僕だって君をここに置き去りになんか出来ないしね。もし異形が君を見つけたとしたら、君はどうする事も出来ないだろう?」
グラットンの体は、曲がりなりにも巨人族ということもあって随分と重い。
おまけに義肢は鉄の塊な訳で、重量はかなりのもの。
しかしカムイも人外の力を持つ半獣人ライカンスロープだし、何とか抱える事は出来る。
「無理はしないさ。異形と戦う事になったら、それなりに対処は出来るつもりだよ。」
「…済まない。」
何の役にも立てない木偶の棒である自分が歯痒かったが、今はカムイの気持ちに素直に例を言う。
近くに居たのがカムイで良かったと、心の底から思うのだった。
何だか短く纏まっちゃいました;;わざわざ分ける内容でもなかったかなーと後悔しておりますorz