第3話 邂逅、あるいは会敵
「……ここも手掛かりなし、か」
ひび割れたアスファルトをたどり、傍らの廃墟を覗き込みながら、俺はひたすらに足を進めていく。
こんな惨状になった原因の一端だけでも知れれば、と思っていたが、あいにくと現実はそううまく行かないらしい。朽ち果てた建物に残されていたのは瓦礫と残骸ばかりで、情報の断片はおろか、手がかりの手がかりすら見つけられていないのが現状だった。
「ふぅ」
歩けど歩けど変わらない光景に気疲れして、手近な瓦礫にぺたりと腰を下ろす。
探索を続けていて気付いたのだが、この少女の身体は、繊細さすら感じる華奢な外見に反して、ずいぶんと疲れに強いようだ。
裸足のままでそこそこの距離を歩いてきたにも関わらず、足の筋肉はいっこうに疲労感を覚えないし、歩き続けても息ひとつ乱れる気配がない。以前の俺なら30分も歩き続ければへばっていたことを考えると、身体能力の差は歴然たるものだった。
それからもうひとつ。目を覚ましてから今に至るまで、「喉の渇き」や「空腹感」といったものをまるで感じていないのも気になる点だった。
食糧らしい食糧も見つからない現状においては、余計な制約に縛られず動けるのはとてもありがたくもある。だが、当たり前に感じていたはずの欲求が欠落しているという感覚は、どうにも落ち着かない気分だった。
「……せめて、こんな身体になった原因だけでも知れれば良いんだけどなぁ」
ため息混じりにぼやいてから、再び立ち上がる。
精神的な疲弊が蓄積しているのは感じられるのだが、だからといっていつまでも立ち止まってはいられないのだ。
記憶よりもずいぶん小さくなってしまった手で、ぱしぱしと両頬を叩き、気合いを入れ直す。
目指す方角を大まかに決め、探索を再開しようとした、その時――
なにかが、再び俺の意識を引きつけた。
「……?」
歩き始める直前に感じたそれと近しい感覚が、ぞわりと首筋を撫でる。
息を殺し、耳を澄ませてみれば――今度は確かに、「何かが動く音」が、耳朶を叩くのを感じた。
(人……じゃ、ないんだろうな)
かすかに抱いた希望を、即座に切って捨てる。
この音の正体が人であったなら、「路面を爪で蹴立てるような硬い音」など、聞こえてくるはずもないのだ。
音の出所を探ろうと、周囲を見回す俺の耳に、また同じような音が響いてくる。
先ほどよりも大きく、明瞭に聞こえてきたそれは、俺目掛けて近づいてきているという証拠。
いったいどこから、と振り向くと――「それ」は、ゆっくりと俺の前に姿を現した。
それを一言で表すならば、「四足の異形」だった。
全体的なシルエットはイヌに似ていなくもないが、成人男性の背丈とほぼ同等の巨躯や、異常に肥大化した筋肉で構成されていると思しき隆々とした外観。そして、目があるべき場所に並ぶ無数のいびつな光点は、俺が知るどの動物にも当てはまらない。
「――キシャアアアァァァァ!!!」
頭部らしきものがこちらへ向いたかと思うと、その鼻先がばっくりと割れる。
花弁のように開いた内側から垣間見える不揃いな牙が、それをかろうじて口だと認識させた。
「ま、ずいか……?!」
威嚇行動か、あるいは獲物を見つけた歓喜の咆哮か。どちらにせよ、アレがこちらを認識しているという事実に、俺の第六感がけたたましく警鐘を鳴らしていた。
逃げなければ、という思考に突き動かされるまま、身を翻し、離脱を図る。
走りながらちらりと背後を振り向いてみれば、そこには唸り声と共にこちらめがけて距離を詰めてくる異形の姿。その速度は、少女の細足で逃れられるような生半なものではなかった。
「うわっ!?」
嫌な気配を感じてとっさに身をよじると、一瞬前まで走っていたところを、背後から伸びてきた影が攫っていく。
視界の端に見えた不揃いな牙から漂う悪臭は、この事態が現実のものであるということを、嫌というほど実感させてくれた。
「冗談キツイっての……!!」
理不尽極まりない事態に思わず毒づきながらも、決して走ることはやめない。
だが、再び背を撫でる悪寒に飛び退ると、今度は肩口ギリギリを細長い鉤爪が切り裂いていく。振り向けば、彼我の距離は先ほどよりもはるかに縮んでいた。
「マズ……ぅわっ!?」
マズい、と呟きかけたところで、突然視界がひっくり返る。
「何かに足を引っ掛けた」ということを理解したのは、俺の身体がアスファルトの上を無様に転がっているのを認識した後だった。
「ぐっ……!」
急いで立ち上がろうとした俺の頭上から落ちてくる、大きな影。
仰向けの体勢になって振り返った――その矢先、強烈な衝撃が俺の身体を地面へ叩きつける。
全身にのしかかる強烈な荷重といやな生温かさが、「異形に踏みつけられている」ということを否応なく理解させられた。
目の前で、無数の光点が爛々と輝いている。
次いで開かれる、おおよそ生き物のそれとは思えない花弁のような口。てらてらと光る不揃いな牙からは、吐き気のするような腐臭が再び鼻を突いた。
「~~~ッ!!」
このままではいけない。
そう叫ぶ本能に突き動かされるまま、がむしゃらに力を籠め、異形の前足を押し返す。
とはいえ、今の自分は非力な少女で、相手は人の身の丈以上の体躯を持つ化け物。
どれだけ力を籠めようと、組み敷かれたこの状況を覆すことはできない――
はず、だった。
「ッ……う、おぉ……ッ?!」
両腕を振るわせながら、俺の口は素っ頓狂な声をこぼす。
理由は単純。
上半身をまるまる押さえつけるほどに大きな異形の前足が、人形のように華奢な両腕によって、押し返されていたのだ。
圧倒的な大きさと質量で俺を押さえつけていたはずの異形の前足が、ゆっくりと浮いていく。
異形側も、まさか押し返されるとは思っていなかったのだろう。一瞬の間を置いたのち、再び俺を踏み潰さんとさらに体重がかけられた。
しかし、凄まじい荷重に反して、異形の前足はどんどんと持ち上げられていき、ついには身をよじれるほどの余裕が生まれる。ごろりと身体を転がし、拘束から逃れた俺の横で、標的を逃した前足が、派手にコンクリートへ叩きつけられた。
「な、んで……?」
我が身のしでかした行いが、頭の中に疑問符を躍らせる。
呆然と自分の腕へ視線を向けるが、少し力を入れれば簡単に折れてしまいそうな細腕に変化は見られない。自分自身の身体だというのに、その力の出どころが全くわからないというのは、どうにも不気味な感覚だった。
「シャアアァァァッ!!!」
「っ! しま――」
直後、耳をつんざく異形の咆哮で、ハッと我に帰る。
すくい上げるように飛来した異形の前足は、転がったままの俺の脇腹を直撃。一泊遅れてやってくる浮遊感と鋭い痛みののち、ドガシャ!! という破壊音と衝撃が伝わってきた。
「う、がっ……?!」
脳天まで揺さぶられるほどの衝撃が、全身の力を奪っていく。
思うように動かない身体が、瓦礫の上でずるりと崩れ落ちる。
明滅する視界の中には、地を揺らす足音と共に近づいてくる、四足の異形の姿。
間近に迫る命の危機を避ける手段は――ない。
(死――――)
ぞわりと背を撫でた、冷たい感覚。
心をかき乱すおぞましい感覚に、俺の喉がひとりでに悲鳴をあげる――
――その直前。
「えぇーーーーーいッ!!!」
不思議なほどに響く澄んだ声と共に。
「何か」が、俺の目の前へと降ってきた。




