第2話 変わり果てたモノ
「……いや、いやいやいや」
ガラス越しに突き付けられた衝撃の事実を前に、俺は思わず、かぶりを振って拒絶する。
しかし、喉の奥から絞り出された声は、耳馴染んだ俺のそれとは程遠いもの。
慌てて喉元に手を当てるが、細い喉からは本来あるべき喉仏の感触が帰ってこない。指先から伝わってくる強烈な違和感はまるで、俺に音もなく現実を突きつけてきているかのようだった。
ふらふらとガラスの前から後ずさった俺は、そこで改めて、自分の身体へ意識を向ける。
視線を下ろせば、そこにあるのはやはり、自分とはかけ離れた姿になった自分の姿。
持ち上げた腕は折れそうなほどにか細く、入院着のような薄い着衣の裾からは、まるで陶器のように滑らかな地肌が覗いている。
次いで、首を曲げて足元を見ようとした俺の視界は、服の布を押し上げる膨らみに途中で阻害されて、思わず俺は目をそらしてしまった。
「なんで……? 俺、ホントに女になってる……??」
呆然と呟くが、俺の耳に響いてくるのはやはり、少女のように透き通った声だけだ。
ちらりと、割れたガラス窓を見やる。
半透明の鏡面に映る姿は一見すると幻のようだが、そこに映る少女――否、少女となった自分が、自分と同じしぐさで視線を返してくるその様は、まるで現実を直視しろと言わんばかりの存在感を放っていた。
ガラス越しに映る俺の姿はいまや、「社会人生活でくたびれ切った、没個性で冴えない風体の二十代男性」という本来のものとはまるで似ても似つかない。
あどけなさを強く残した可愛らしい顔立ちに、丸みを帯びた華奢な体躯。所作に合わせてさらさらと流れる白に近い金色の髪の隙間からは、作り物めいた鮮やかな真紅の瞳が、ガラス越しにこちらを見つめ返している。
日常ではまず見かけないような色合いを含んだ容貌も手伝って、今の俺はまるで「精巧な人形」のような佇まいを見せていた。
「何がどうなってるんだよ……」
理解の範疇を超えた出来事を受け止めきれず、俺はその場でへなへなとへたり込む。
……その座り込み方が、女の子がぺたんと座り込むそれに変わっているということには、気づかないふりをしておいた。
現代日本に生きていた普通の男だったはずの俺が、気がつくと廃墟に1人取り残されていて、しかもその姿は女の子に変わっている。
そして、そんな状況に至る原因となったであろう過去の出来事は、綺麗さっぱり記憶の本棚から抜け落ちているときた。
これが夢でもドッキリでもないのなら――あるいは、この廃墟の外を見てみれば、何か手がかりでも得られるだろうか?
「……行ってみる、か?」
部屋の隅で半開きになっていた扉を見やってから、俺はのそりと立ち上がる。
こんな古ぼけた廃墟で1人考え続けていても、どうせ答えなんて掴めやしないだろう。なら、わずかでも何かを得られる可能性に賭けてみるのも、悪い選択ではないはずだ。
「……とりあえず、なんでもいいから服が欲しいなぁ」
立ち上がった拍子に、薄手の入院着がわずかばかりはだけてしまう。
緩んだ服の合わせから覗く光景を努めて意識しないようにしつつ、俺は慎重な足取りで、廃墟の一室を後にした。
*
ぺたぺたという足音だけがこだまする中を、俺はひたすら進み続ける。
扉の先に続いていた通路には、いくつか枝分かれしている場所もあった。だが、転進した先はどこも瓦礫や倒壊した機材で塞がっていて、通路は事実上の一本道と化していた。
「どこなんだろうな、ここ」
道すがら、そんな独り言が口をついて出る。
探索を始めた当初は、「どこかの廃病院なのだろうか」と考えていた。
だが、打ち放しのコンクリートや、明らかに医療とは無関係そうな機械が散乱している光景は、贔屓目に見ても病棟とは言い難い。どちらかといえば、「秘密の研究施設」とでも形容する方がしっくりきそうだった。
「……お」
顎に手を当てて考えながら歩いていた俺の視界が、新たな扉の姿を捉える。
飾り気もへったくれもない、金属製の一枚扉。だが、外れかかった扉と戸枠の隙間から差し込む微かな光は、そこが外界へ繋がっていることを示していた。
「……せめて人里の近くであってください、と」
そんなお祈りを呟きながら、扉へ手をかける。
いかにも開きづらそうな扉は、その外見に反して重さを感じさせることはなく、あっさりと引き開けることができた。
差し込んでくる光に目を細めつつ、そろそろとした足取りで外へ歩み出ると――
そこにあったのは、視界一面に広がる「文明の残骸」の姿だった。
色を失って朽ち果てた無数の建造物が、俺を取り囲み、睥睨している。
遠く伸びたアスファルトには大小無数の亀裂が走っており、その上を撫でて吹き抜けていくのは、妙に乾いてざらついた気持ちの悪い風。
見上げた空は重苦しい鈍色にくすんでおり、そこに浮かんでいる太陽の輝きは、記憶の中の光景よりもひどく弱々しいものだった。
「なんだ……これ……」
思わず、息を呑む。
目の前に広がっていたのは、まるでヒトという生き物の存在が忘れ去られてしまったかのような光景。
そして、呆然としたまま周りを見渡してみれば、視界の端に映りこんでくる「日本語の綴られた看板」や「日本語で書き記されたボロボロのチラシ」。
それが意味するところを――この世界が「滅んでしまった自分の世界」だということを薄らと察した俺は、とうとう二の句を継ぐこともできなくなってしまった。
なぜ俺は、こんなところに立っているのか。
なぜ、俺の目の前にはこんなおぞましい光景が広がっているのか。
なぜ。なぜ。なぜ?
千々に乱れた思考の中に溺れてしまう寸前、体に走った衝撃が、すんでのところで俺の意識を引き戻す。
はっと周りを見渡せば、どうやら俺は混乱のあまり、足元がおぼつかなくなってその場にしりもちをついてしまっていたようだった。
「…………行くしかない、よな」
幾分か冷静さを取り戻すことはできたが、目の前に広がる光景がその姿を変えることはない。
とはいえ、ここに留まっていたところで事態は進展しないだろう。何があったのかを掴むためには、自分自身が動かなければいけないのだ。
重たい心持ちのまま、のそりと立ち上がろうとして――ふと、何かに意識が引っ張られる。
「……?」
周囲を見回しても、そこにあるのは灰色に死んだ街並みだけ。
動くものなどなにもないはずなのに――なぜか、その一瞬が酷く心をざわつかせた。
「……どっちにしろ、じっとしてはいられないか」
一抹の不安を胸にくすぶらせながら、俺はたどたどしい足取りで、滅んだ世界へと足を進めていった。




