表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
呼ばれた名前で、生きていく  作者: ぷにゅん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/35

第二十八話 呼ばれなかったのに、覚えられていた

 町は、何事もなかったように動いていた。


 昼の騒ぎは、

 もう話題にもなっていない。


 倒れた箱も、

 割れた瓶も、

 通りからは消えていた。


 「……早いな」


 僕がそう言うと、

 リュシアは小さく頷いた。


 「町は、

 日常を戻すのが上手」



 それでも。


 歩いていると、

 視線を感じることがあった。


 じっと見るわけじゃない。

 噂話をするでもない。


 ただ、

 一瞬、思い出すような目。


 「……見られてる?」


 小さく聞くと、

 リュシアは首を振る。


 「見てる、じゃない」


 「思い出してる」


 胸の奥が、

 静かに鳴った。



 店先を通り過ぎたとき、

 声をかけられた。


 「……あの」


 振り返ると、

 年配の男性が立っていた。


 顔は、

 さっきまで知らなかったはずなのに、

 どこか安心した表情をしている。



 「昼の」


 言葉を探すように、

 一拍。


 「通りの片づけ、

 手伝ってくれた人だよね」


 名は呼ばれない。


 それでも、

 はっきりと“僕”を指している。


 「……はい」


 短く答える。



 「ありがとう」


 それだけ。


 深くもない。

 軽すぎもしない。


 ただ、

 自然な礼だった。


 胸の奥で、

 鈴が鳴る。


 ――ちりん。


 記録の音。



 少し先で、

 別の人が視線を向けてきた。


 子どもだった。


 じっと見て、

 小さく手を振る。


 理由は分からない。


 でも、

 覚えている。



 「……名を呼ばれてないのに」


 僕は、

 歩きながら言う。


 「覚えられてる」


 リュシアは、

 穏やかに答える。


 「名より先に、

 行動が残った」


 その言葉が、

 胸にしみる。



 「……それって」


 問いは、

 自分に向いていた。


 「もう、

 元の場所には

 戻れないってこと?」


 リュシアは、

 すぐには答えなかった。


 そして、

 静かに言う。


 「戻れる」


 「でも」


 一拍。


 「忘れられる側には、

 戻れない」


 胸が、

 ゆっくりと締めつけられる。



 通りの向こうで、

 ミレイがこちらに気づいた。


 何も言わず、

 軽く会釈する。


 名前も、

 言葉もない。


 それでも、

 確かな認識があった。



 「……不思議だな」


 思わず、

 呟く。


 「名がないほうが、

 軽いと思ってた」


 リュシアは、

 小さく首を振る。


 「軽いのは、

 役割」


 「残るのは、

 選択」


 その違いが、

 はっきり分かる。



 町は、

 何も変わっていない。


 でも。


 人の中に、

 小さな痕跡が増えている。


 呼ばれなかったのに、

 覚えられている。


 名がないのに、

 関係が生まれている。



 胸の奥で、

 鈴が鳴った。


 ――ちりん。


 それは、

 まだ名を告げる音じゃない。


 名が生まれる前段階を、

 確かに示す音だった。



 「……ねえ」


 僕は、

 前を見たまま言う。


 「このまま進んだら」


 一拍。


 「名を持たないままじゃ、

 いられなくなる?」


 リュシアは、

 少しだけ微笑んだ。


 「そうなる日が、

 来る」


 「でも」


 視線を外さない。


 「それは、

 今日じゃない」



 町の中で、

 夕方の気配が広がる。


 今日も、

 名は呼ばれなかった。


 それでも。


 覚えられたという事実だけが、

 確かに残っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ