第二十四話 名を呼び返す練習
町の夕方は、
音がやわらかくなる。
仕事を終えた人たちが、
足を止め、言葉を交わす。
名を呼び合う声が、
空気に溶けていく。
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「……不思議だな」
僕は、
通りを歩きながら呟いた。
「名を持ってないのに」
足を止める。
「名を呼ぶことは、
できる」
リュシアは、
少しだけ歩調を落とした。
「うん」
「名は、
所有じゃないから」
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店先で、
エリオが声を上げているのが見えた。
荷を運ぶ誰かに、
短く指示を出し、
それがすぐ伝わっている。
「……エリオ」
名前を、
口に出してみる。
胸が、
わずかに揺れた。
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「……今」
僕は、
リュシアを見る。
「ちゃんと、
呼べてた?」
彼女は、
小さく頷いた。
「呼んだ」
「それだけで?」
「それだけで」
その答えが、
胸に残る。
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通りの反対側で、
ミレイが客と話していた。
笑っている。
名前を呼ばれて、
返している。
「……ミレイ」
今度は、
声に出さず、
心の中で呼ぶ。
それでも、
何かが伝わる気がした。
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「……呼ぶって」
言葉を探す。
「相手を、
ここにいるって
認めることなんだな」
リュシアは、
即座に否定しない。
「うん」
「それと同時に」
一拍。
「自分も、
ここにいると
認めること」
胸の奥が、
少しだけ熱くなる。
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町の外れで、
子どもたちが遊んでいた。
転び、
泣き、
すぐに呼ばれる。
「だいじょうぶ?」
名が、
優しく使われる。
「……名って」
僕は、
小さく息を吸う。
「守るためにも、
使えるんだな」
リュシアは、
静かに頷いた。
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「……ねえ」
僕は、
歩きながら聞く。
「名を呼ぶ練習って」
「こういうこと?」
リュシアは、
少し考えてから答えた。
「そう」
「相手を
道具にしない」
「関係を
急がない」
「でも」
視線を前に向ける。
「逃げもしない」
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夕暮れが、
町を包む。
灯りが、
一つ、また一つと点る。
僕は、
名のある世界を歩きながら、
名を持たないまま、
名を呼び続けている。
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胸の奥で、
鈴が鳴った。
――ちりん。
それは、
完成にはほど遠い。
でも。
確かに、
練習になっている音だった。
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今日も、
名は決まらなかった。
それでも。
名を呼び返す準備だけは、
確実に整ってきている。




