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第二話 呼ばれた名前

 少女は、僕の反応を静かに待っていた。


 答えを急かさない。

 それが、かえって胸をざわつかせる。


 「……名前を、覚えているかって?」


 聞き返すと、彼女は小さく頷いた。


 「うん」


 簡単な問いのはずなのに、

 喉の奥が詰まる。


 名前は、知っている。


 ずっと一緒に生きてきたものだ。

 忘れる理由なんて、ない。


 なのに。


 「……分からない」


 口から出たのは、そんな言葉だった。


 少女は、驚かなかった。


 むしろ、少しだけ安心したように息を吐く。


 「やっぱり」


 「……どういう意味だ?」


 彼女は、石畳に視線を落とす。


 「ここではね、名前は“思い出すもの”じゃない」


 顔を上げ、まっすぐこちらを見る。


 「引き受けるものなの」


 胸の奥が、ひくりと鳴った。


 「引き受ける……?」


 「そう」


 少女は、一歩だけ距離を取った。


 近すぎても、遠すぎてもいけない距離。


 夢の中と、同じだった。


 「あなたは今、境界に立ってる」


 周囲を見回す。


 灰色の空。

 終わりも始まりもない風景。


 「ここでは、まだ“誰”でもない」


 「……戻れば?」


 思わず、そう口にした。


 少女は、首を振る。


 「戻れば、名前は戻る」


 その言い方が、引っかかった。


 「……でも?」


 「戻った名前は、ここには残らない」


 鈴の音が、微かに鳴った。


 ――ちりん。


 胸が、強く締めつけられる。


 「進めば……」


 僕は、続きを待った。


 少女は、静かに言う。


 「名前は、ここで呼ばれる」


 「それは……」


 言葉を探す。


 「元の世界の名前、なのか?」


 少女は、少しだけ困ったように笑った。


 「同じ、かもしれない」


 「違う、かもしれない」


 「でも」


 一拍、置いて。


 「どっちでも、

 戻れなくなるのは同じ」


 空気が、重くなる。


 「……君は」


 ふと、気になって聞いた。


 「君は、名前があるのか?」


 少女は、一瞬だけ目を伏せた。


 そして、はっきりと言う。


 「あるよ」


 胸が鳴る。


 「私は、リュシア」


 その名前を聞いた瞬間。


 景色が、わずかに揺れた。


 色が、少しだけ鮮やかになる。


 「……今、揺れた」


 思わず言うと、リュシアは頷いた。


 「名前が呼ばれると、

 世界は少しだけ、確定する」


 「……じゃあ」


 僕の胸に、嫌な予感が走る。


 「僕の名前も……」


 「呼ばれる」


 即答だった。


 「でも、それは」


 彼女は、真剣な目で続ける。


 「あなたが、選んだあと」


 鈴の音が、今度ははっきり鳴った。


 逃げ道を示すように。


 戻る世界。

 進む世界。


 「ねえ」


 リュシアが、静かに言う。


 「胸が、まだ高鳴ってる?」


 答えは、考えるまでもなかった。


 「……ああ」


 「それはね」


 彼女は、微笑んだ。


 「名前が、あなたを待ってる音」


 胸の奥が、強く、強く鳴る。


 まだ、選んでいない。


 でも、もう分かってしまった。


 この音を無視したら、

 一生、後悔する。


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