第十六話 境界の外縁
待合室を抜けた瞬間、
空気の重さが変わった。
息が、少しだけ深くなる。
「……近い」
何が、とは言わなかった。
それでも、意味は通じた。
リュシアが、
ゆっくりと頷く。
「世界に」
⸻
境界は、相変わらず境界だった。
石畳も、空も、
はっきりとした輪郭を持たない。
それなのに、
どこか現実に似ている。
音が、増えていた。
遠くの足音。
風が何かに触れる気配。
「……人の生活音、
みたいだな」
リュシアは、
少しだけ眉を寄せる。
「似てる、だけ」
「ここは、
世界の外縁」
胸の奥が、
静かに鳴る。
⸻
道のようなものが、
前に伸びていた。
待合室の線よりも、
はっきりしている。
「……踏み出したら」
僕は、
足元を見る。
「何が変わる?」
リュシアは、
すぐには答えなかった。
代わりに、
周囲を見渡す。
「影響が、
戻ってくる」
「……影響?」
「選択の、
反動」
言葉が、
胸に残る。
⸻
外縁の先で、
何かが揺れた。
人影のようで、
そうでもない。
「……あれは?」
「まだ、形になってない」
リュシアの声は、
少しだけ低い。
「選ばれなかった可能性が、
世界に触れ始めると」
「こうして、
影になる」
胸が、
ゆっくりと冷える。
⸻
鈴の音が、
小さく鳴った。
――ちりん。
それは、
警告ではない。
「……聞こえるな」
僕が言うと、
リュシアは頷いた。
「境界が、
あなたを“内側”として
扱い始めてる」
「……内側?」
「世界に、
影響を与える側」
その言葉は、
軽くなかった。
⸻
足元の感触が、
少しだけ確かになる。
石畳が、
石畳らしくなる。
「……触れる、
ってこういうことか」
リュシアは、
こちらを見て言う。
「触れたものは、
戻らない」
「影も?」
「影も」
その答えに、
胸が静かに締まる。
⸻
外縁を歩くにつれ、
境界は薄くなっていく。
世界が、
すぐ向こうにある。
「……ここまで来て」
思わず、
言葉が漏れる。
「怖くない?」
リュシアは、
少し考えてから答えた。
「怖いよ」
正直な声だった。
「でも」
視線を、
前に戻す。
「戻らなかった理由が、
ここにある気がする」
胸の奥で、
鈴が鳴る。
――ちりん。
それは、
進行を告げる音。
⸻
外縁の向こうで、
影が、確かに形を持ち始めた。
まだ遠い。
でも、逃げない。
境界は、
もう問いを投げない。
代わりに――
結果を、
静かに返し始めている。




