第十話 禁じられた問い
境界は、答えを急がない。
それは優しさじゃない。
ただ、必要がないだけだ。
「……未定義、前例なし」
僕は、観測点の残光を見ながら呟いた。
「ずいぶん、都合のいい言葉だな」
リュシアは、何も言わなかった。
否定もしない。
⸻
しばらく歩いてから、
僕は足を止めた。
「……なあ」
リュシアが振り返る。
「観測者が、
観測をやめたら――」
一度飲み込んだ問いを、
もう一度、言葉にする。
「それは、
“世界が嫌う選択”なんだよな?」
リュシアは、ゆっくり頷いた。
「うん」
「境界が、
一番壊れやすくなる」
胸の奥が、
ひくりと鳴った。
⸻
「……どうしてだ?」
問いは、
彼女に向けたものじゃない。
世界に向けたものだった。
観測点は、
すぐには反応しない。
その沈黙が、
逆に不気味だった。
「……観測って」
言葉を選ぶ。
「世界にとって、
そんなに大事か?」
空気が、
わずかに軋んだ。
――均衡の維持。
――選択の蓄積。
意味が、
淡々と流れ込む。
「……記録のため?」
――結果の再現性。
「……検証のため?」
――進行の安定。
どれも、
人の顔が見えない。
⸻
「……それだけか?」
思わず、声が低くなる。
「誰かが壊れるのも、
留まって消えるのも」
「全部、
“安定”のためか?」
空気が、
一瞬だけ凍った。
鈴の音が、鳴らない。
その無音が、
はっきりとした拒絶だった。
⸻
「……やめろ」
リュシアが、
小さく言う。
珍しく、
感情の混じった声だった。
「それ以上は」
「……禁忌?」
彼女は、
はっきりと頷いた。
「問い続けると、
世界は“あなたを観測できなくなる”」
胸が、強く鳴る。
「……それは」
「排除じゃない」
「隔離」
その言葉が、
冷たく刺さった。
⸻
「……でも」
僕は、
観測点の方を見る。
「さっき言っただろ」
「拒否は、可能だって」
意味が、
一瞬だけ揺れる。
「観測を、
引き受けないことと」
息を吸う。
「観測を、
疑うことは」
「同じなのか?」
沈黙。
今までで、
一番長い。
リュシアの表情が、
僅かに強張る。
⸻
――未定義。
意味が、
はっきりと返ってきた。
それは、
初めての種類の応答だった。
「……前例、なし」
僕は、
小さく笑った。
「そっちも、
分からないんだな」
境界の空気が、
ざわつく。
それは、
怒りではない。
戸惑いに近い。
⸻
「……ねえ」
リュシアが、
静かに言う。
「あなたは」
少しだけ、
言葉を選んでから続ける。
「観測者に、
なりたい?」
胸の奥で、
鈴が鳴った。
――ちりん。
それは、
答えを求める音じゃない。
「……まだ」
正直に、答える。
「でも」
観測点を見る。
「このまま、
何も疑わずにいるのは」
一拍、置いて。
「……違う気がする」
リュシアは、
何も言わなかった。
ただ、
少しだけ距離を取る。
それが、
彼女なりの答えだった。
⸻
境界は、
確かに揺れている。
観測者の条件は、
破られていない。
だが、
問いは投げられた。
世界は、
それを記録できない。
それでも――
無かったことには、
もう、できない。




