第1章①
墨汁で「自由」と達筆に書かれた半紙がずらりと並ぶ席の後ろ。
字に皺が寄って縮み、何も書かれていない広々とした姿が恋しくなる。誰かの「自由」がみんなの「自由」縛っている。
中休みの時間終了のチャイムが鳴る。
涼しい教室を求めて、帰ってきた生徒はドーマ含めてわずか5人。
個々が好きな席に座る。
4列目のほぼ中心の位置にだらけた長い手足を投げ出すエデン以外。
ぼーっとした顔で宙を睨んでいる。
クラスメートたちが服の襟をもって、パタパタさせる。
廊下側の一列目、最後尾の席には、ドーマがいつものように盗み見した。
担任の教師が教壇を踏む。
「はい、号令」
号令係は出席していない。
「いおり」
担任の教師が学級委員のいおりを指名した。
空きだらけの席。
一個一個に算数のプリントが置かれていく。
ドーマは算数の問題をすらすらと解いた。
廊下から笑い声が響いた。
後方のドアがバタンと開く。
3人の男子生徒がおしゃべりして入ってきた。
先生が教科書をゆっくりめくる。
廊下が笑い声と馴れ合いで騒がしくなる。
ドッジボールを持ったままの一人の男子生徒が現れた。
腕を引くとドッジボールが素早いスピードで放たれる。
窓が激しく揺れた。
落雷のような大きな音が教室にいる生徒たちの肩を跳ねさせた。
男子生徒が目を細くして、くすくすと笑う。
「やばー」
「えぐ」
廊下の外にいる連中が口々に声を上げて笑った。
男子生徒は指をボールに喰い込ませて拾い上げる。
頭を上げると、エデンがいた。
いつの間にか見下ろしている。
困惑の表情が浮かぶ。
「え」
襟が持ち上げられる。
慌てて足が後退し、ランドセル置き場に押し寄せられる。
縁に背骨がぶつかる。男子生徒の顔が歪む。
瞬時に、今度は襟が引き寄せられる。
視界が大きく揺らぎ地面に転ばされる。
ボールが転がる。
エデンが興奮した目つきで男子生徒を見下ろす。
男子生徒の頬から何度も鈍い音が鳴る。
チョークが刻む音。
クラスメートたちは前を向いて板書する。
目をはらして顔半分が醜くなった男子生徒はぐったりしている。
廊下にいる連中がエデンを恐れて脇にどけた。
エデンが姿を消すと、水道水がシンクを激しく叩いた。
「いおり」
教師は顔色を一つ変えない。顎をしゃくった。
ドーマは全問正解した。
黒髪のボブカットから覗く目が嫌そうだった。
いおりは倒れている男子生徒の側に屈む。
「立てる?」
男子生徒の腕を首に引っ掛けて、意識がほぼ飛んでいる男子生徒は屍のようだった。
なんとか立たせて、廊下をでた。
鐘が鳴る。
ほとんどのクラスメートたちが姿をみせた。
エデンのしたことが水紋のように広がる。
いおりは急いで廊下を歩き、音楽室から綺麗なメロディーが漏れている。遅れて入る。
目を疑った。
全員の生徒たちが耳を傾けて集中している。
時間割を間違えた、と焦ったが、その中にエデンが視界に入る。
みんながちゃんと座席表通りに座っていた。
いおりは音楽の教師に事情を説明して了承を得る。
着席して、異様な空気に居心地の悪さを感じた。