灯り続ける炎
軽いノックの後、「失礼します。」と呟きながらかたん、と音を立てて離れの部屋へ入る。返事は勿論のようにないが、突き刺すような視線は遅かったなとでも言いたそうだった。
「お茶、お持ちしました、けど。」
「置いといて。」
「……新作、もう書かれてるんですか。」
「そうだけど?」
穂村浩司は速筆で有名だった。次から次へと作品を生み出すその姿は素晴らしいものだと思っていた。こうして現実でその姿を見るまでは。嫌味たらしい応酬も、何のためにお茶を持ってこさせたかもわからない、とりあえず机にコンとお茶を置くと、部屋を出ようとも思ったが、何かどうしたって気に食わない。どうやったらこの男からあの繊細な恋の物語たちが生まれていくのだろう。いっそ偽物なんじゃないか。無意識に送り続けた視線に、ふと気付いた穂村は顔を上げる。
「俺の書く話の、何が好きなの。」
唐突に。投げ掛けられた疑問に言葉が詰まる。何が好き?全部だった。するりと解けていくような感情を表すような言葉も、どきっとする甘酸っぱいシーンも、綺麗にまとめて体に染み渡るようなクライマックスも。全部、全部が。
「ああ、おまえくらいの年頃の女は恋の話でありゃなんでもいいか。」
呆れたように吐息を零す穂村に、かぁっと頭に血が上る。ほぼ無意識に声を荒げても、何事もないように即座に切り返してくる穂村にまたしても言葉が詰まる。
「そ、そんなんじゃない!……です。」
「じゃあなんだよ。」
「う、」
お茶を渡した体勢のままなので、完全に下からなのに上からのような目線を向けた穂村は、がしがしと頭を書いて手元にある原稿に手を乗せる。ばんばん、と数回それを叩くと、すぅと息を吸い込んだ。
「おまえらが恋だなんだとうつつを抜かしてる間、俺はこれだけに全てを捧げてきたんだ。若くして大成?稀代の才能?そんなんじゃない。打ち込んだものがその結果になってるだけなんだよ。」
一気に言葉にするともうこちらに興味などないかのように背を向けてしまう穂村。なんだか、哀しくなってきた。いつか出会えたら、こんな感想を言おう、このシーンが好きだと言おう、沢山あったのに。こんな急にその機会が訪れても、何も言葉が出てこなかった。だってこんな扱いったらないだろう。
「恋を、バカだとでも思ってるんですか。」
「だったらなんだよ。」
「……そんな人に、あんな作品、書けると思いません。」
「バカかおまえ。現に書いてるじゃねえか。」
「だから、あなたは、"恋だなんだ"なんて思ってない。」
「……おまえがしてきた恋なんざ、恋だなんだで充分だ。」
「どういう意味ですか。私にも分かるように言って。」
一気にこちらも負けずと捲し立てると、ふと穂村が遠い目をする。細めた目、それが秘められた横顔は悔しくも整っていて儚げで、ああこの作品たちを書いた人なんだと思い知らされる。
「知らないだろおまえは、……何年も何年も、灯り続ける炎みたいな気持ちを。そんな奴が、俺に恋を語るな。不愉快なんだよ。茶置いて早く出てけ。」
何も言い返せなくなってしまった私は、すごすごと急須を置いて部屋を出た。
一瞬だった。
灯り続ける炎、を。この人は宿しているのだろうか。だとしたら、私には到底追いつけない感情が、そこにあるんだろうか。何故か悔しいような切ないような気持ちになる。どう感情の決着をつけていいのかわからなくて、部屋に戻っても何をやる気も起きなかった。ただベットに突っ伏して、大きくため息をつく。なんで。どうして。なにが彼をそうさせるのか。なにが彼を突き動かすのか。知りたくなってしまっていた。