数奇なる出逢い
女将服に着替え、部屋の片づけを終えた喜咲が応接間に座る司へお茶を出し、頭を深々と下げる。
「お待たせして誠に申し訳ありません。ようこそ、下宿「篝火」へ。お待ち申し上げておりました。」
「待ってたにしちゃえらく待たされたんだけどね。」
「ふふ、お口は変わりませんね。ああ、いえ、仰る通り大変なご無礼を……、もう随分とお越しになられてなかったもので。穂村さんだけじゃなく、お客様自体が。」
「そりゃ随分な不景気だね。まあ、時代も時代か。なんでもいいんだけどさ俺は、書ければ。」
「当時と代わりの無いお部屋のまま、かと。」
「ありがとう。いいよ、お茶とか飯とか適当にするからさ、当時と手洗いとか何も場所変わってないでしょ。離れの辺りを自由にしていいなら、それで。」
「それはもう、穂村さんのお好きな通りに。」
同席し、気まずそうに俯く美咲。傲慢な態度でソファに座っていた司は、立ち上がると我が物顔で離れへとキャリーバッグを持ち上げ向かっていこうとする。
「穂村さん、荷物は私が、」
「いいよいらないよ、大して重くもないんだからさ。それより早く一人にしてくんない。」
「……かしこまりました。ごゆるりと。」
明らかに重たそうなキャリーバッグをそれでも自身で持ち上げ離れへと向かっていく司。無礼な態度にも全く物怖じした様子の無い喜咲に、美咲が肘鉄を入れる。
「……どういうこと?なんなの、あの人。」
「なんなのって、穂村浩司先生、あんたまさか知らないの?」
「知らないわけないじゃん、ってか私、めちゃくちゃファンだし……!でもうちの下宿に来たことあるなんて知らないし、なんか、あんな……あんな感じの人、なんて……」
美咲は目を閉じ、想像する小説の世界を脳裏へと広げる。繊細な水彩画のような水面に立ち尽くす自分へ、静かな言葉が優しい声で降りてくる。なのにそれは小説の中の言葉とは違い、先ほどの無礼極まり無い態度の男の台詞で、綺麗な世界が一瞬で壊れるようにかき消される。現実に戻ると唇を噛み締め、拳を握り締める美咲。
「穂村さんはね、私がここを継ぐ前にいらしてたお客様だったのよ。」
「おばあちゃんの代?」
「そう。彼のデビュー作が仕上がったのが、あの離れなの。だからあんたがちっちゃい頃なんかは、あの離れに籠ってたのはずっと彼なのよ。ここは下宿と言っても、他に殆どお客様はお越しにならないから、彼の為の離れのようなものなのよ。」
「嘘でしょ……全然知らなかった……」