二色のミサンガ
「葉月!」
高校の入学式。僕の斜め前の席に黒く、長いサラサラの髪の女の子がいる。僕が気になっている女の子。そう、彼女の名前は分からないが。早彼女は友達に呼ばれている。「同じクラスだね!やったね!」と友達とハイタッチをしている。
『あー、そのサラサラの髪の毛に触れたい』という欲求を抱きながら、僕は荷物を片付ける。
「荒川!」
僕も僕で友達に呼ばれて,片付けをほったらかしにして,そちらへ向かう。
「部活、何にする?やっぱり、お前は野球部だよな?」
「当たり前だろ!」と言いながら、僕は友達の肩を叩く。
そんな会話をしながらも、僕は横目で彼女を見ていた。彼女は長い髪を揺らしながら,ホームルームの支度をしていた。
チャイムが鳴った。
「ホームルームの時間です」
一斉に笑い声が起こった。そこに現れた先生はメガネをかけたおじさんだった。爆笑が一分間止まなかった。
「ゴホン」と、先生が一つ咳払いをする。すると、クラスの雰囲気がガラッと変わった。
皆、新しい高校生活の始まりだが、中学校から同じ面々も多く、馴染むのは早そうだ。
ホームルームは自己紹介をして終わった。僕は剛をつよしと読まず、ゴウと読みますというのを存分にアピールした。彼女は至ってシンプルな自己紹介だった。早野葉月というらしい。
その後,クラス長が決まり,クラスのLINEが作られた。僕は早速、早野葉月を確認した。『早野葉月』と書いてあり,アイコンは猫である。白と茶の雑種だ。飼い猫だろうか?拾い画だろうか? まあそれはあまり関心がなかった。それより、この早野葉月をいつ追加するかに全神経を集中させた。タイミングを間違えれば、ただの変人に思われる。
僕は授業が終わり,野球部の部活が終わると,家に帰り,部屋の鍵を閉め,LINEを開けた。
グループLINEで、早野葉月は上から五番目。どうやって追加しようか?無言追加は流石にまずいから、何か一言言っておいた方が良いかな?とか迷いが頭をぐるぐる回る。
僕は勇気を出して,追加ボタンを押した! よし!
ー同じクラスの荒川剛です。つよしと読まず、ゴウと読みます。ゴウって呼んでください。よろしくお願いします。いきなりすみません。ー
僕は返信を待つ。スマホがブルブルと震えた。
ー早野葉月です。よろしくお願いします。ちょっとびっくりしちゃった。てか、その自己紹介、学校でも聞いたよ!ー
はー、よかったっと、僕はほっと一息つく。
母が、トントンとドアをノックする。どうやら夕飯ができたようだ。今日は珍しく母がいるので、夕飯も母と食べる。
「何をこそこそとしてたの?普段、鍵なんて閉めないくせに」
「いや、あ」
「何よー! もぉ。顔が赤くなってるわよ。もしかして、彼女でもできた?お?高校デビューか?」
「茶化すなよ」
次の日の朝,早野さんの方を向いたけれど,早野さんは僕に無関心という感じだった。いつもの友達と話すって感じ。なんだよー!と思いながらも僕は僕で友達と話す。
体育の時間、僕は早野さんの体操服姿を見つめていた。すらっとしている。背が高く、半ズボンから出た足が細長い。まさに美脚だ。
走り高跳びだった。早野さんが助走をつけて、高く飛び上がる。
「うぉー! すげぇー!」
僕は思わず声が漏れてしまった。
周囲のみんながこちらを向く。
僕は慌てて、そっぽを向いた。
夜,LINEが入る。早野さんからだった。
ー学校では話しかけないでね。変に勘違いされても困るから。
ーそっか。わかった!
僕は、それからも学校では早野さんを目で追うだけの日々が続いた。
ある日,早野さんの友達に声をかけられた。
「荒川くんってさ,葉月のこと好きなの?」
「え?なんで?」
「だってさ、ずーっと見てるじゃん。あはは。噂になってるよ!」
これはまずい! 早野さんにバレるとまずい!いや、もうバレてるかなー?
ー荒川くん、私たちのこと見過ぎでしょ。気持ち悪いよ!
ーいや、あー。ごめん。
ん?私たち?複数形?
最近、気づいたことなのだが,彼女は足にミサンガをしている。それはいいのだが、なぜか2色。その二色が、1日に何回も入れ替わる。ミサンガって切れるまでずっと同じ色をしておくのではないかと思うが…まーいっか。個人の自由か。
僕は高校生になって、初めて学校の図書室に行った。うちの図書室は県でも有数の図書室で、5階まである。一階、二階が文庫本、三階、四階が自習室になっており、5階が検定本や、専門書が置いてある。僕は、本が好きなわけではないが、たまたま友達の本を返す都合で図書室に来た。
図書室には、早野さんがいた。椅子に座り,何やら真剣に本を読んでいる。いつもはかけてないメガネをかけて。
僕は話しかけるか、話しかけまいか五分くらい迷った。なんせ、学校で話すのは初めてだからだ。それに、彼女は途轍もなく読書に集中している。いつもは友達と一緒にいるのに、今は隣には誰もいない。話しかける絶好のチャンスではあるが、読書中なのに迷惑ではないか?僕は、書架の隙間から早野さんを覗いていた。
あるとき、心に決めて早野さんに話しかけることにした。先程、ちょっと目が合った気がしていたのだ。
早野さんは、先程と同様にメガネをかけて本を読んでいる。
「何、読んでるの?」
僕は小声で話しかけた。
「何って,そんな大した本じゃないよ。なんとなく、これって感じで。見る?って、荒川くん!?」
「今、気づいたの?」
さっき、目があった気がしたのは、やはり気のせいだったのか!
「学校では話しかけないでねって、言ってるじゃん!」
図書室だからなのか、彼女も小声だ。
「ごめん。つい」
「まーいいけど」
「はい、これ 」
「僕は本読まないからなぁ」
「数学にしか興味ないっか」
「なんで知ってるの?」
「さあね!」
彼女は、ニコニコしながら、本を書架に返す。
あんなに熱心に読んでいたのに、どうやら借りる気はないらしい。
「借りないの?」
「うん」
僕たちの様子を同じクラスの男子たちがジロジロ見てる。やばい!と思い、僕は思わず、彼女の手を握って、走って図書室を出た。
その後、教室に戻ると、僕たちのさっきの光景が黒板に落書きされていた。すごい絵が上手い人だと少し感心した。
その日から、僕たちは学校でも少しずつ話すようになっていった。
一緒に下校したり、 たまに下校の電車で彼女が僕に寝そべってきたり、まるで付き合ってるみたいだったけれど、僕は敢えてその関係を問わなかった。
早野さんは美人でもあり、クラス1の人気者だったので、僕らもそれなりの嫌がらせを受けた。僕たちの写真がSNSに晒されたり、黒板に相合傘マークを落書きされたりと。落書きを消すのが大変だった。でも、早野さんは何も気にしていなかった。「放っておけば?」って言っていた。こうなったのも、僕が図書室で話しかけて、早野さんの『学校では話さない』という約束を破ったせいでもあるのだが…。僕も特に気にすることでもないので、堂々としておいてやった。寧ろ、早野さんは僕のものってみんなにわかってもらえた気がして誇らしかった。
「あいつらやっぱり」という声が、どこからともなく聞こえてくる。
「それよりさ、」
彼女が満面の笑みでこちらを向く。
「日曜日、遊びに行かない?」
日曜日が来た。僕たちは何も予定を立てずに,過ごすことになった。
「ランニングしよ」
彼女の一言で僕たちは走ることになった。
彼女はなぜか、ランニングシューズにサングラス、帽子と準備万端だった。
僕はTシャツにスニーカーで走った。
『汗だくになるぞ。この後どうするんだよ』と思ったら,アイスを奢ってくれた。
ランニングに付き合わせたお礼らしい。
「ごめんね。付き合わせちゃって」
「いいよ。ランニング趣味なの?」
「趣味ってわけじゃないけど、姉の影響かな?」
「お姉さんいるの?」
「うん」
それからは、お姉さんの話になった。「お姉ちゃんは、私たちよりなんでもできる」とか、「私たちは、お姉ちゃんに何やっても負ける」、「ランニングはお姉ちゃんが始めたから私も始めた」とかいうたわいもない話をした。僕は一人っ子なので、少し羨ましいと思った。それにしても、私たちってなんで一人称が複数形なのか?
ある日の突然の出来事だった。
ーね、付き合お!
ーえ?
思わぬ一言だった。しかもLINE。「付き合おう?」ではなく、「私と付き合ってくれませんか?」でもなく、「付き合お!」だった。疑問形ではなかった。
もう僕たちが付き合うのが決まっていたかのような。まさに暗黙の了解。僕が今日、彼女の誕生日と合わせて告白しようと思っていたのに、先を越されてしまった。もしかしたら、彼女も自分の誕生日に合わせて、僕に告白する予定だったのかもしれない。
「ごめん。直接が良かった?だって、直接って恥ずかしいもん。てか、私たちもう付き合ってるみたいなもんだったし。LINEでいいかなって…あ、それとも、荒川くんから告白したかった?」
と後で言われた。
僕たちは晴れて、付き合うことになった。付き合ってからは学校でも堂々とアピールをし、次第にその噂は他のクラスにまで浸透していった。
「ねぇ、葉月と荒川くんって、付き合ってるの?」とよく聞かれるようになった。「そうだよ」と僕は堂々と答える。それが心地よく、嬉しかった。その頃には、僕たちへの嫌がらせも次第に減っていた。
夏休みに入り,早野さんとデートをした。
僕たちは花火大会に行った。ある程度、屋台で食べた後、花火を見ながら、早野さんはこんなこと話した。
「ねぇ、なんで荒川くんのこと好きになったと思う?」
「うーん。なんでだろう?」
「野球応援の時,思ったんだ。あんなに炎天下の中で、一生懸命頑張る荒川くん見て,すごい活躍してるなぁって。こんなに頑張る丸坊主に悪い子はいないって思ったよ」
僕は照れて、頭をかいた。その隙に彼女が僕の頬にキスした。すると、花火が上がった。
「荒川くんは?なんでOKしたの?」
僕は一呼吸置いて、正直に話した。
「ちょっと恥ずかしいんだけど、最初に出会った時から、その長いサラサラの黒髪に一目惚れしたんだ。触れてみたいと思った」
彼女は、「ふふ。私たちの髪の毛に恋したの?変わってるね」といいポニーテールのゴムを外し、髪の毛を垂らしてくれた。「触ってみる?」と言われたので、そっと触ってみた。思っていた通り、サラサラだった。なんのシャンプーを使えばそんなサラサラになるんだろう?と不思議に思った。僕も同じシャンプーを使ってみたいと思った。髪の毛から仄かに甘い香りがした。
『 好きになった理由は、髪だけじゃないんだけど…』
★
私が初めて荒川くんに出会ったのは、実は小学生の時だった。塾が同じだった。今と同じ丸坊主で、当時はメガネをかけていた。まさに野球少年って感じだった。
個別指導の塾だった。1対2なのだが、たまに荒川くんと同じブースのときもあったが、話しかけることも話しかけられることもなかった。
野球部なのは小学生の時から知っていた。荒川くんは先生に話していた。
「先生、僕,野球選手になりたいんだ!」
「そっかー!それは頑張らないとだね!」
「うん」
丸坊主の頭を撫でてもらっていた。羨ましいし、ずるいと思った。子供ながらに悔しい思いがし、私も何か特技を探してみたが、何も見当たらなかった。荒川くんはその頃から私にとって,野球選手になりたいヒーローであり、勝手にライバル視もしていた。
模試の時,荒川くんと隣の席になった。
模試の上位の成績が貼り出された。算数の三番目に彼の名前があった。
私は思わず,彼に話しかけていた。
「荒川くん、すごいね。算数、三番だよ!」
「だれ?」
彼はそのまま何食わぬ顔で、模試の成績を持って去っていった。
私は、それからも荒川くんにしつこく話しかけた。不思議がられたけれど。
そう、私は小学生の時から荒川くんを知っていた。彼は、あの頃から何にも変わっていない。荒川くんは実は私の幼馴染であり、その頃から気になる存在でもあった。
★
「きゃー!」
「びっくりした!」
「もしかして、あんたが荒川くん?」
「え?」
僕たちは、僕の部屋で二人で寝ていた。今日は僕のお母さんが夜勤でいないし、彼女のお姉さんもバイトで帰ってこないからってことで、こっそりお泊まりをしたのだ。そうしたら今朝、僕より早く起きた早野さんが急に叫び声を上げた。早野さんは起き上がり、何も持たず、そのまま出て行ってしまった。「こまち!こまち!」と叫びながら。
僕は、呆然と立ち尽くした。叫び声にびっくりして、追いかける暇もなかった。彼女の足首は赤のミサンガだった。黄色のミサンガがベッドの下に落ちていた。
僕は走って走って走って走った。
早野さんは公園のベンチに一人で座っていた。ジャージを着ていて、髪の毛を頭の上でお団子に結っていた。
「早野さん」
彼女は振り向かない。
「早野さん」
もう一度呼びかけてみたが、やはり彼女は振り向かなかった。
僕は彼女の目の前でもう一度呼びかけた。
彼女は「何?」といい、僕の手を振り解いた。
「早野さん、どうしたの?」
明らかに様子がおかしい。
彼女が裸足だったので、僕は靴下と靴を渡し、泊まっていた時のリュックも渡した。彼女は「なんであんたが持ってるの?」と言い、それを取ると、一目散に逃げていった。
僕は頭の中がめちゃくちゃだった。
それから僕は暫く、彼女と会うことはなかった。LINEも既読がつかなかった。
僕はその日から、早野葉月を失った生活をした。何も身に入らなかったし、毎日がつまらなかった。あの笑顔とあの感性を持った彼女にもう会えないのか?そう、彼女は無口で大人しい性格ではなかった。よく喋る元気な女の子だった。でも、なぜ彼女はいなくなったのか?
早野葉月は学校にも姿を現さなくなった。
僕はこう思うことにした。彼女はあの日、目覚めた後に記憶喪失にでもなったのだと。
でも、僕には幾つかの不可解な点があった。『葉月が一人称を複数形で呼ぶ理由』、『足についていた赤のミサンガ』、『ベッドの下に落ちていた黄色のミサンガ』、『こまちという彼女が叫んでいた誰かの名前』。これらが彼女の共通した何かなのかも僕には不明だけど、それらが頭の中で反芻していた。
それから彼女を見たのは、数日後だった。
背の高い女の人と歩いていた。おそらくお姉さんなのだろう。
「剛くんー!」
僕は語尾にハートマークをつけられたかのようなテンションで呼ばれた。
自分の姉に僕を紹介していたようだ。
お姉さんが頭をぺこりと下げたので、僕も軽く会釈をした。
まるで、『二重人格だ。』と僕は悟った。でも、その時は僕の口からそれは話してはいけない、触れてはいけないことのような気がした。お姉さんにも。もちろん彼女にも。
「前さぁ,なんかあった?」
「どうして?」
「記憶がないんだよね。剛くんの家にいたまでは記憶あるんだけど。うちのお姉ちゃんもバイトでさ、剛くんのお母さんもいないからって」
「うん」
「お姉ちゃんが、私たちの行動を逐一、メモにするんだよね」
やっぱり。本人は自覚ないのかな?『二重人格』という言葉がまた頭に過る。テレビで見たことあるけど、自分の中にもう一人別の人が出てくるってことだよな。確か。でも、触れてはいけない。触れてはいけない。
「剛くん、どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
本人が自覚がないのに無理に話すわけにはいかないだろう。
彼女と僕は、僕の家に向かった。彼女はなぜか足に黄色のミサンガをつけていた。
僕の家にもある黄色のミサンガ。『黄色のミサンガ』と『赤いミサンガ』。何か意味があるんだろうけれど。
「この黄色のミサンガ,もしかして私の?」
「そうだよ。前に出て行った時,落として行ったよ」
「え?私、出て行ったの?」
「うん。『こまち』とかなんとか言ってた。」
「こまち?なんのことだろう?」
「さあ?それは僕にもわからないよ」
彼女は、確かに『こまち』という誰かの名前を呼んでいた。間違いない。聞き間違えな訳がない。覚えていないのだろうか?
暫く、お互い沈黙があった。
「なんか、ごめんね。私,私たちたまにさぁ、赤のミサンガが床に落ちてることがあるんだよね。赤のミサンガなんて買った覚えないのになって思う」
どういうことだろう?早野さん、赤のミサンガをつけていた時もあったぞ?
「それは僕にもわからないな」
「ふーん」
彼女は、赤のミサンガを無意識のうちにつけているということだろうか?この前、部屋を出た時は赤のミサンガだった。いつの間に黄色から、赤のミサンガになったのだろう?それも記憶がないのだろうか?不思議だなぁと思った。
「その黄色のミサンガあげるよ。どうせ落としたものなんでしょ?家にいっぱいミサンガあるから。あ、いらなかったら、捨てても大丈夫」
僕はその日、『二重人格』をネット検索した。
★
「葉月は、二人いるの。早野葉月とアリサの二つの人格が出てる。今の葉月は葉月ではない。アリサになっているの。中学生の時のいじめが原因で主人格の葉月とは別に、交代人格のアリサが出てる」
「…」
「そう僕に話しかけてくれたのは、早野さんの姉,早野真理子だった。
「アリサは中学生のとき、有田節子と仲が良かった。節子はある日,体操服のズボンにに生理の血がついていたことをきっかけにいじめに遭うようになる。そのいじめのボスが服部小町。小町は他の二人と一緒に節子を殴ったり、蹴ったりしていた。アリサは自分もいじめられるのが怖くて,止めることができず、見て見ぬ振りだった。節子はある日,「死ね」と言われ,自ら命を絶った。音楽室の窓から落下した。しかし、本当は死ぬつもりはなかったと、アリサは思った。節子は蹴り落とされていた。小町に殺されたんだって。アリサは小町に復讐をするつもりだ。そのために現れた人格だろう。アリサは中学生でその日から不登校になっている。アリサはもしかしたら、小町を殺すかもしれない」
真理子からの言葉はこうだった。「彼氏ではなく、私の友人として止めて欲しい」と。
僕には、思い当たる節が幾つかあった。
『葉月が一人称を複数形で呼ぶ理由』、『足についた赤のミサンガ』、『ベッドの下に落ちていた黄色のミサンガ』、『こまちという彼女が叫んでいた誰かの名前』
こまちって、いじめのボスの名前だったのか。
「ミサンガつけてるでしょあの子。2色のミサンガよね。あなたも気づいてるでしょうけど。ミサンガの色にはね、意味があってね。黄色は平和,赤は勝負なの」
なるほど……。黄色が葉月、赤がアリサ。
私たちというのは、葉月とアリサ。
「葉月さん,お姉さんの話してました。お姉さんには何をやっても負けると」
真理子は涙を流した。
「あと、なんとなくは気づいてました。黙っててごめんなさい」
僕はお姉さんにハンカチを渡した。「洗って返すね」と言われたけど、「あげます」と言って渡した。
「アリサは、T中学校にいるの」
僕は葉月。いや、アリサを探した。
走って、走って、走った。アリサはT中学校にいた。音楽室の窓の前に2人がいる。恐らく、小町とアリサだろう。アリサは、ジャージ姿に髪の毛を頭の上でお団子に結っている。手には何かを握っているがここからはよく見えない。
僕は音楽室に向かった。
「あんた何?アリサたちは待ち合わせしてるの」
「止めに来たんだ」
ーおう、アリサ。(アリサの本人の妄想だからアリサ呼び)お前もここから飛び降りて、節子に会いに行けよー
「なっ!」
ーほーらほーら
小町が手を叩く。手招きしている。
アリサがナイフを振り上げた。
「やめろ!」
僕はアリサに飛びかかった。
「何するのよ!」
アリサが小町を呼び出していた。
僕はアリサの手の中のナイフを取り上げた。
小町がしゃがみ込んだ。「ごめん、ごめん」と泣いていた。
ー飛び降りてというのは、アリサの妄想だった。
真理子が急いで駆けつけた。小町の背中をさすった。
「小町ちゃん、葉月はあなたが節子ちゃんを殺したと思ってるの。葉月は、今はアリサになってるの」
小町は息切れをしていて、お姉さんが話しても理解していないようだった。
「剛くん、アリサをお願い!」
「はい!」
「何?」
「ちょっと来て!」
僕は嫌がる彼女の手をしっかりと握った。
僕は彼女と一緒に、近くのカフェに入った。
「あんた、また?今度は何?」
「話があるんだ」
それから僕は話したお姉さんから聞いたことを。アリサの誤解を解くために。
「小町は節子を殺していない。確かにいじめたけれど,殺してはいない。節子は、音楽室から自分で落ちたんだ。」
「なんで。なんで節子が…」
アリサの目には涙が浮かんでいた。
「でも、節子は実際に殺されるかもしれなかったんだ。いじめっ子側に若菜って子がいただろう?
そいつが小町に節子を突き飛ばすように命じたんだ。でも小町は突き飛ばさなかった。それで節子は死ぬはずもなかったのだけれど、節子は自分が突き飛ばされることを知っていた。どうせ突き飛ばされるのならと追い詰められた節子が自分で飛び降りたんだ。その後,パニックになった若菜が『小町が節子を突き飛ばした』ってみんなに言い触らしたんだ。
そう思い込んで。それでみんなが小町が突き飛ばしたと勘違いしたままになった。
でも、本当は節子自身が飛び降りたんだ。警察も自殺と解釈している」
「そんな…」
アリサの目の前にあるコーヒーがひっくり返った。アリサが怒りと失望のあまり,コップを叩いたのだった。
僕には真実が何なのかもわからない。
二人の彼女についてもわからない。
ただ、僕は今の彼女が交代人格であることを彼女に伝えることはやめた。彼女を傷つけるかもしれないと思ったからだ。
アリサから取り上げたナイフが鞄の中にあった。
「ありがとう」
「ああ、うん」
僕は、早野葉月に恋をした。アリサではない。だから、僕は名乗らなかった。正直、どこまでアリサが理解しているのかはわからない。
僕は電話してお姉さんを呼んだ。
その後、僕たちは先程のカフェに入った。
「アリサは?」
「小町ちゃんといるわ。二年越しに誤解が解けたようね」
僕は胸を撫で下ろした。
「剛くん、ありがとう。誤解を解いてくれて。あの子ずっと、小町ちゃんのこと恨んで生きてきたから。私が言っても理解してくれなかったのよ」
「よかったです」
「あなたが葉月の恋人、そして、私の友達としてアリサと話してくれたからよ」
僕が『荒川』ってことはアリサも気づいてはいたが…『お姉さんの友達』ってことになってるのか?
「あの、アリサさんは、僕のこと、そして、お姉さんのことは分かるんですか?」
「うーん…」
お姉さんが眉間に皺を寄せた。
「私のことは知ってはいるんだろうけど、アリサの時はほとんど話さないわ。たまに、家に帰って来ないこともあるし。でも、今はもう大丈夫。共有のメモアプリに家の住所とか、葉月の時の日記も書いてあるから。あなたのことは知ってるとは思う。でも、恋人ではないから、私の友達としてってことにしたのよ」
だから、僕の名前も知ってたのか。
「剛くん、よく聞いて。葉月とは別れてほしい」
「なんでですか?」
「……」
「二人の彼女のこと?」
「うん。葉月はアリサの時間が長くなっているの。あなたのことはわかるけど、恋愛感情はないと思う。うう。
わかるのよ。あなたがどれだけ葉月を愛しているかは。でも、もう葉月には戻れないかもしれない。あなたを悲しませることになる。ごめんなさい。」
「それでも僕は葉月さんを愛します」
「今まで、あ、ありがとう」
「お姉さんはこれからどうするんですか?」
「さあ、どうしましょうかね」
お姉さんがまた、眉間に皺を寄せた。
「一つ面白いエピソード言っておくわ。葉月は虫が大っ嫌いだけど、アリサはカブトムシが好きなの。ふふ。変わってるでしょ?アリサになったときは、カブトムシを家で飼ってるのをよく見てるんだけど、葉月に戻った途端、悲鳴を上げるのよ」
家に帰った。僕は黄色のミサンガを握りしめて泣いた。葉月に戻ってきて欲しかった。
お母さんが部屋に入ってきた。
「お母さん」
僕はお母さんと抱き合った。
母はシングルマザーで普段から仕事で家を空けることが多く、普段はあまり話さない。母と抱き合ったのは何年振りだろうか?
「真理子さんから聞いたわよ」
「葉月ちゃんね、小学生の時に塾であんたと会ったことあるんだって。それが初めての出会いなんだって。まさに、運命だね!」
「え?」
涙が頬を溢れ落ちた。
早野葉月は僕にとって、初めての彼女だった。君は無口で大人しい子なんかじゃない。力強くて、優しい。そして元気で明るい女の子だ。
ーこんなに頑張る丸坊主に悪い子はいないと思ったよー
葉月の言葉が蘇る。
そういえば名前で呼んだことなかったな。
もう遅いや。
僕はベランダに出た。
ちょうど僕の頭上に月が見える。月は僕の悲しみなんてお構いなしに輝いてる。
僕は月を見ながら、まだ飲んではいけないお母さんのお酒を一口飲んだのだった。隣に母が来た。母は僕の肩に頭を乗せた。
「いつも寂しい思いをさせてごめんね」
僕は首を横に振った。酒の味はしなかった。
アリサは一人で公園にいた。ブランコを漕いでいた。おそらく、これが最後の別れだろうと、僕は隣で一緒にブランコを漕いだ。葉月、いや、アリサは「またあんた?よくついてくるわね」とだけ言った。
ー葉月、君は無口で大人しい性格だと思ったけど、違った。君はよく話す人だった。君は笑うとえくぼが出るし、笑うたびにその長いポニーテールが揺れていたよね。君は僕にとって初めての彼女でした。僕のお母さんから聞いたよ。小学校のとき、同じ塾だったって。全然気づかなかった。そういえばって思い出したけど、その時はわからなかった。あの頃は野球一筋だったからね。葉月との出会いは小学校から始まってた。もうこれは運命だよ。『数学にしか興味ない』 って言ってた意味がようやくわかったよ。僕は髪以外にも君の好きなところあるよ。よく笑うところ、人に優しいところ、隙を見せた時に甘えてくるところ。などなど。僕は君が葉月だろうが、アリサだろうが、君を好きであることは変わらないよ。いつまでも大好きだよ。ありがとう!葉月!アリサ!ー
僕は既読のつかないLINEに送信した。
葉月はアリサの方の人格の時間が長くなり,僕のことがよくわかっていないようだ。ミサンガの色は相変わらず赤のままだ。
「君は葉月ではないの?」
「ん?」
「アリサたち、二人いるの知ってるよ」
「え?」
それが、僕たちが交わした最後の言葉だった。