4-2 ♂ 病めるときも一緒でシアワセ ♀
「ねえ。本当にこれで良かったんだよね……?」
白金坂愛音が確かめるように言った。
「ん――だいじょうぶ」
灰田龍斗が静かな声色で答える。
「これでぜんぶ――もとどおりになる」
櫻井みなたがトイレの個室に籠ったあと。
残されたふたりは部屋のソファに並んで腰かけていた。
「……きっと、だいじょうぶ」
龍斗は今度は自分にも言い聞かせるように、喉を鳴らしてつぶやいた。
隣では愛音が廊下へと繋がる扉を不安げに見つめている。
ソファに置かれた雪原のように白い手は、微かに震えていた。
(……あ)
龍斗はその様子を見て、思わず手を握ってあげたい衝動にかられる。
でも――その気持ちをぐっと押しとどめる。
愛音は。幼馴染の愛音は。自分の大好きな愛音は。
もうひとりの幼馴染で親友――〝ミナタの彼女〟なのだから。
自分でこうなる結末を受け入れた以上は。
そんなことはしてはいけない、と龍斗は思う。
したくてもしてはいけない、と彼は思う。
恋愛とはそういうものなのだから。
だれかが幸せになったぶん、だれかが世界の終わりに等しい絶望を味わないといけないのだから。
「りゅーと、どうしたの?」
「ん、なんでもな――」
その瞬間。突として。
窓の外に稲光が走った。
「きゃっ⁉」と愛音が頭を抱える。
続いてずどおおん、と激しい轟音が鳴り響いた。
「うそ、かみなり……?」愛音が信じられないように言った。「さっきまで、なんでもない天気だったのに」
ふたりは窓側に近寄って空を見た。
星はひとつも見えない。黒色の絵具をそのまま押し出したような暗雲が空を覆い尽くしていた。
続いてもうひとつ、空に閃光が走る。
「やっ……‼」愛音がふたたび叫んだ。
同時に部屋の中が一瞬で暗くなった。
すべての電気が消える。
「ん――停電」と龍斗が言った。
暗闇に目が慣れていなかったこともあり、急に深海の奥底に放り出されたかのような感覚になる。光と同時にすべての音が失われたようにも感じた。
ごろごろと雷鳴は鳴りやまない。
建物を大地ごと揺り動かすような地鳴りも続いている。
「あ……みーくん」愛音が気づいたように言った。「みーくん、大丈夫っ?」
返事はない。
「――ミナタ?」
龍斗もすこし大きな声で聴く。
やはり返事は、ない。
「きゃっ」
ふたたび落雷。
なにが起きているのだろうか。分からない。
けれどなにか異常で――重大なことが起きていることだけはふたりにも理解できた。
「……ねえ。どうしよう、私、こわい」
愛音の声は震えている。
大地を揺り動かすような轟音は未だ残響として部屋をゆすっている。
稲光が何度も走る窓を眺めていたら――ふと。
何の脈絡もないように。
電気がついた。
つづいて家電たちが『ぴー』とどこか間の抜けた起動音をたてて動き始める。
「――あ」
そして部屋の端、廊下への入口には。
「……みーくん」
みなたが。立っていた。
ふつうに。平然と。ふたりのことを見つめている。
「た……ただいま」とみなたが言った。
「お、おかえり」愛音がおずおずと言った。
「かみなり――だいじょうぶだった?」と龍斗がきいた。
「ああ、だいじょうぶで、無事だ。なにも変わらない」
「……あれ?」
愛音が気づいたように言った。
「みーくん、その恰好――」
「え? ああ」
みなたは壁際の姿見に目をやった。
そこに映っているのは――前とひとつも変わらない。
【制服姿の黒髪少女】の姿だった。
「やっぱり……戻って、ないよな?」
みなたはどこか困惑したような声で言った。
愛音と龍斗が顔を見合わす。
「あ――鍵は?」と龍斗がきいた。
「そ、それが……」とみなたは説明をはじめる。「ペンダントに向かって差し込んだのはいいんだが、光と一緒に吸い込まれるみたいになって――そのまま消えた」
「きえて?」
「消えて、それだけだ」
「それで、おしまい?」
こくり。みなたは頷いた。
「おしまい。なにもなかった」
「……うそ、そんなこと、」龍斗が戸惑うように眉をひそめる。
「あ――学生証は⁉」と愛音が言った。
みなたは『あ』と口を広げてから、鞄の中の財布からカードを取り出す。
しかし。
「……変わってない。女のままだ」
そこにはやはり【櫻井みなた】とひらがなの名前と、女のままのみなたの写真が添えられていた。
「そもそも、この少女趣味の部屋だってそのままだ」とみなたが周囲を見渡しながら言った。「なにひとつ、変わってない」
「…………」
ふたりは口を開こうとするが、なにもでてこない。
みなたの瞳には涙のようなものが溜まっていた。
「……ミナタ。ごめん。どうしよ、ボク、てっきり」
やがて龍斗が気まずそうに視線を動かしながら言った。
「あの鍵さえあれば、もとに戻れると思ってた。ほかに有力な手掛かりは――今のところ、ない」
「……そう、なのか」
みなたは落ち込んだ声で言う。
「ご――ごめん、ミナタ」
「りゅ、龍斗は謝らなくていいっ……!」
ふたりが気まずそうに目を伏せていると。
「ふふ――あは。あははは」
愛音がそこで。
空気が切れたように笑いはじめた。
「……あ、愛音?」
「もー。みーくん――もどってないじゃん」
愛音はわざとらしく頬を膨らませながら言う。
「あんなに〝これでもとどおりだ〟とか格好つけて言ってたのに」
あーおかしー、と愛音は目尻に指先をあてた。
そんな愛音の作ったような笑顔をきっかけにして。
「ん――たしかに」
「……はは、もどって、ないな」
残りのふたりも空気を緩ませた。
「うー……せっかく戻れるって思ったのに……!」
みなたはわざと音が響くように、龍斗の肩をぽんと叩いた。
「期待させやがってっ――うあっ⁉ きゅ、急になにするんだよ、愛音!」
「ほら、一応、ね? 確認しておこうかなって」
愛音は片方の目をつぶりながら、みなたの胸を掴んだ。
「うーん、やっぱりホンモノみたいだねー」
「や、やめろ! さ、さわるなぁぁっ!」
「うんうん。かわらずおっきくて感度のいい健康的なお胸さんだねー。あ、りゅーとも試してみる?」
「た、――ためさ、ない」と龍斗はそれまでの悲痛な表情を崩して、頬を赤く染めた。
「試さなくていい! ……んあっ」
「あははー。声もかわいいままだー」
気付けば雷鳴は聞こえなくなっていた。
あたたかさが満ちた、親密な空気が部屋の中に流れる。
けれど3人は、それが〝無理〟をして作られたものだと気づいている。
それでも。
3人はそのことは口に出さずに。
昔みたいな笑い声を響かせながら。
今のこの瞬間を過ごしていった。
♡ ♡ ♡
電気を消して。
3人は天蓋つきのベッドの上で横になった。
いつかの秘密基地の縁側みたいに。
みなたが真ん中になって、川の字に並んだ。
「なんだか、疲れたな」とみなた。
「ふふ――〝なんだか〟じゃなくて〝すっごく〟ね」と愛音。
「ん。もうすこしで、朝」と龍斗。
しかし窓から見える外はまだ暗い。
あれだけ世界を騒がしていた暗雲はすっかり晴れて、今は嘘みたいに綺麗に晴れた星空が広がっていた。
その中央には半分の月が、まるでそれまでの垢が落ちたみたいに澄んだ色を放ち輝いていた。
「やめるときもー、すこやかなるときもー」と愛音がふと言った。
「あ――それ、なつかしい」と龍斗が言った。
「おぼえてる?」
「もちろん」
「昔を思い出すよね」
「ん」
「あのときは私たちいろいろ、こどもだったね」
「――ん」
「やめるときもー」
「……すこやかなるときも」
「ずっとずっと、仲良しでいっしょなことを――誓いますか」
愛音のその言葉は。
真ん中で寝転がるみなたに向けられていた。
みなたは一瞬何かを考えるようにしたあと。
「ああ――ずっと、いっしょだ」
と言って。
両隣のふたりの手を、昔と同じように。
きゅうと握ってやった。
「色々あったけど。これからもあるかもしれないけど。……オ、オレはっ! お前らとこうしていられて。3人と一緒で――すごく、しあわせだ」
そんなみなたの歯の浮くような台詞は。
ひと夏の青春みたいに瞬く星々が浮かぶ夜空に。
吸い込まれるようにして消えていった。
めでたしめでたし……!?(このあともつづきます!)