3-6 ♂ ココロまで女の子になっちゃったんだよ ♀
「あ、愛音……!」
一夜明けて。学校。
俺は1つ階の違う愛音のクラスを訪ねていた。
緊張から俺の心臓は大きく高鳴っている。
「…………」
愛音がこちらを見た。
椅子に座っていて、周りには数人の女子がいる。
「あ、えと……その、」
ただでさえ他のクラスに来るのは緊張するのだが。
それに加えて、昨日の〝嘘バレ〟の一件もあったあとだ。
どうしたって全身からは血の気が引いた。
舌もうまく回らない。喉元で言葉が詰まってうまく出てこない。
だけど愛音は。
「――おはよ」
なんて。笑顔を作って言ってきたのだった。
「どうかした?」
「……っ」
そのいつもと変わらない様子に、逆に俺は気圧されてしまった。
「あ、いや……そのっ」
煮え切らない俺の態度に、周囲の女子たちも不思議そうに首をかしげる。
その中のひとりが言った。
『あ、つぎ体育だし、そろそろ移動しないと』
それぞれ着替えを持って、教室を出ようとする。
ドアの横でおろおろとしていた俺に、また女子たちが言った。
『みなたちゃんも。つぎ合同でしょ?』『着替えないと遅刻しちゃうよー』
「あ……うん」
横を愛音が通り過ぎるときに。
「……愛音っ」
俺はすこしだけ叫ぶようにして、切り出した。
「――なに?」
「そ、その……話があって。どこかで、ふたりきりで、会えないか……?」
愛音は目をまたたかせて。
不自然なほど自然な笑みで答えた。
「うん。いいよ?」
♡ ♡ ♡
次の体育は4クラス合同で行われた。
校庭でひととおりの準備運動と走力測定(持久走がメインだった)が終わって、後半は自由時間になった。
「ねえ。話ってなに?」と愛音が言った。
場所は校庭の隅にある【体育倉庫】だ。
中には俺たちふたりだけで、電気はつけていない。
窓から差し込んでくる光が、倉庫の中をうすぼんやりと照らしていた。
「あ……その、」
愛音は跳び箱の上に座っていた。服装は俺と同じ体操服姿だ。
マシュマロのような白い太ももの下に手を入れて、足をふらふらと揺らしている。
そんな愛音に対して。
「……す、すまんっ‼」
俺は謝った。
床に敷かれていたマットに頭と手をつけて誠意を見せる。同時に大きな胸が膝の上で潰れて声が出そうになったが、どうにかおさえた。
「なんで――」
しばらく経ったあとに、愛音が口を開いた。
「なんで、あやまるの?」
「え?」俺はすこし拍子抜けした声を出す。「……愛音に、嘘を、ついてたから」
「うそ?」
「愛音に隠れて、毎日、……龍斗に会ってた」
「会ってただけ?」
彼女はまるで尋問のように続ける。
「せ、精気を、もらってた」
「どうやって?」
「……き、キス、で」
「どういうキス?」
「お……おとなの、き、す」
俺は唾を飲み込みながら答える。
「――ふうん」
愛音はまるで南極の地底湖みたいに冷たく重い声を出した。
「それで?」
「え?」
「どうしてそれで、みーくんがあやまるの?」
「……わるいことを、したから、」
「わるいこと? なにがわるいことなの?」愛音が被せるように続ける。「なにか理由があったんでしょう?」
「あ……」
俺はすこし迷ってから、正直に言った。
「実は何回か淫魔化をしたあと、ペンダントに淫力が溜まるペースがどんどん早くなって……それで、愛音のぶんだけじゃ、……足りなく、なっちまったんだ」
「それで?」とふたたび愛音が詰める。
「それで……龍斗にキスを〝日課〟として頼んだ。そのときに、嘘をついた。愛音の許可も、もらってるって」
「へえ」
とまた彼女は冷たく相槌を打った。
「でも――それはしかたないことだったんだよね?」
一瞬。頷きそうになる。
だけど。思いとどまる。否定する。
違う。仕方なくなんかない。
「仕方なくなんか、ないんだ……! 俺が嘘をついたのは、やましいことがあったからだ。俺は愛音と、つ、付き合ってるのに。恋人の関係なのに。もうひとりの幼馴染の龍斗と――キスをするのが、やましく感じたから。だから隠した。それがわるいことだった」
「ふうん――それで?」
愛音が最後通牒のように言った。
「だから、その――ごめんなさいっ‼」
俺はもう一度深く頭を下げた。
「……ふう」
愛音はそこで短く息を吐いた。
それまでの氷を解かすような、微かな温もりがこもった溜息だった。
「ねえ、みーくん。頭あげて?」
おそるおそる上半身を起こすと、目の前に愛音がいた。
そしてそのまま――俺の身体を抱きしめてくる。
「……っ⁉ あ、愛音っ⁉」
「みーくん――」
「お、おいっ! さっきまで走ってたから、汗が……」
「うん? あせ?」
と言いながら愛音は、俺の首筋に鼻先をあてて息を吸いこんだ。
「ふあっ⁉」とその感触にたまらず声が出る。
「ふんふん、良いにおいだよ。……みーくんの、におい」
「や、やめろって……!」
しかし彼女は俺のことを離そうとしない。
むしろ抱きしめる腕に、きゅうと力をこめてきた。
「みーくん――正直に話してくれてありがとう」
「……え?」
「昨日はね? 私もすこしびっくりしちゃって。そのまま飛び出しちゃったこと、後悔してたんだ。せっかくの、みーくんのお誕生日会だったのにね」
「あ、愛音が後悔することなんてないっ! ……悪いのは、ぜんぶ俺だ」
俺は目を伏せながら唇を噛む。
「ねえ。ひとつだけ聞いてもいい?」
「もちろん」今の俺は断れる立場にない。
「みーくん――どうして、私だけじゃだめなの?」
その刹那、空気が止まった。
「……っ⁉」
ゆっくりと身体を離すと。
目の前の愛音は――
瞳に涙を、浮かべていた。
「愛、音……?」
「ねえ、みーくん」
彼女は潤んだ瞳のままで言った。
「どうして私だけじゃ足りないの? いっぱい、いけないこと、したのに。私はずっとその間――どきどき、してたのに」
彼女の声は震えている。
「私、きづいてたよ? みーくんが私に、どきどきしにくくなってること」
「なっ」
「分かるよ、それくらい。だって私、みーくんの彼女なんだよ?」
愛音はそこですんと鼻をすすりあげた。
「みーくんのことがだいすきな――恋人、なんだよ?」
耳元でささやくように言われて。
俺の身体はびくんと跳ねた。
「わ、分かってる! 分かってるからこそ――」
「ううん。みーくんは分かってないよ」
愛音は堂々と首を振る。
「今のみーくんはね? カラダと一緒に――ココロも〝おんなのこ〟に、なってるんだよ」
「……え?」
愛音にそう言われ、胸のどこかがきしむような音がした。
「うん。そうだよ。みーくんはもう、自分でも気づかないうちに――とっくに頭の中まで女の子になっちゃったんだよ」
「そ、そんなわけないだろっ!」
俺は語気を強める。
「俺は男だっ! 頭の中が女に? 違う、むしろそうならないように――」
「ちがわないよ」
しかし愛音は。はっきりと。徹底的に。
俺の発言を否定してきた。
「正直に、なろう?」
そして彼女は続けて。
「みーくんの心はもう――立派に〝女の子〟なんだよ」
彼女は続けて。
「うん」「そうだよ」「そうに決まってる」
彼女は。
続けた。
「だってそうじゃないと――おかしい、でしょ?」
その最後の言葉を吐いたとき。
「……え?」
愛音の表情からは、それまで浮かんでいた哀しみの涙はすっかり消えていて。
代わりにこれまで見たことがないような――
どこか狂信的な歪んだ色が、浮かんでいた。
「そう」「おかしいよ」「みーくんが〝男の子〟のままだったら」
愛音は変わらぬその表情のまま。
ぶつぶつと、まるで自分に言い聞かせるように続ける。
「――彼女の私にどきどきしないなんて、ありえないもん」
決まってる。ありえない。おかしい。
そういった『断定』の言葉が愛音の口からはこぼれてくる。
俺の知っている、柔らかな物腰の彼女には似つかわしくない強い語気をもつ言葉たちだ。
「ねえ、みーくん。そうだよね? そうなんだよね? もう女の子になっちゃったんだよね?」
迫力に気圧されるように、俺は後ろに引いた。
「あい、ね……?」
目の前に居るのは本当に愛音なのだろうか?
思わずそう感じてしまうほど、今の彼女は異様な雰囲気をまとっている。
「そ、そうじゃないっ! ちがうっ……俺は今でももちろん、愛音のことが好きで……心は、男のままだっ‼」
窓の外で太陽が位置を変えた。
逆光になって、今の愛音の表情が読み取れなくなる。
その不気味なくらいに対照的な光と影の中で。
「――ほんとう?」
愛音は。
まるで世界の果てでしか鳴らないピアノの黒鍵のような声で。
「それじゃ――本当にみーくんが女の子じゃないかどうか」
言った。
「私と――ためしてみよっか?」