3-5 ♂ 崩れていく三角関係 ♀
見られた。
愛音に。龍斗との日課を。
「みー、くん……?」
帰宅した愛音はコンビニの袋を床に落とし、それを拾うことなく立ち尽くしている。
表情は――無表情だ。瞳だけを見開くようにしている。
「あ……愛音、……そ、そのっ」
何かを言わなきゃいけない。しかし適切な言葉が出てこない。
冷や汗が全身から染み出してくる。背筋が氷のように冷たい。
「ん――あーちゃん」
しかし一方で龍斗は。
この極限的な空気の中でも。
「おかえり」
ごくふつうに。なんてことないように。いつもの調子で。
「はやかったね。ライター、買えた?」
などと。
言うのだった。
「…………」
もちろん。
愛音は。答えない。
(り、りゅう、と……!)
まずい。
はやく止めなければならない。
だって龍斗は。
「あ――見られちゃったね」
癖毛の頭をかきながら、すこし照れたようにしつつも。
とくだんそれが問題ないかのような素振りを見せる龍斗は。
「あーちゃんの許可があるとはいえ、見られるのは、はずかしいかも」
俺たちの日課が――
愛音の【承諾済み】であると信じているのだから。
「……きょか?」
愛音が口を開いた。硬い雪のようにつめたい音だった。
龍斗は頷いて、「ん――ふたりからのお願いだから。ちゃんと、毎日、してる」
「………………」
愛音は。やっぱり。
答えない。
「ん――どうしたの?」
龍斗はどこまでも無自覚的に首をかしげる。
(まずい。これ以上は――)
心臓の鼓動が止まらない。
消えてしまいたい。今すぐここから。
(う、あ……!)
しかし。
何か言おうとした俺のことを遮るように。
「――ねえ。私、」
愛音は。
告発した。
「許可なんて――してないよ?」
彼女は身体を震わせて、そう一言だけ言い残すと。
一瞬唇を噛み締めて。拳をきゅうと握るようにして。振り返り。
「……っ!」
外へと勢いよく、駆け出した。
「愛音っ‼」
俺の喉からようやくまともな声が出た。
がちゃん。玄関の扉の閉まる音がする。
「どういう、こと――?」
龍斗もそこですべてを察したのか。
目を丸くして眉をあげ、驚いたような――それでいて深く哀しそうな表情を浮かべている。
「龍斗、すまんっ……俺、俺……っ!」
ぐるぐると思考は落ち着かない。
それでも行動を起こさないといけない気がした。
「あ、あとでぜんぶ、話すっ!」
まずは愛音だ。
慌てて玄関で靴を履いて、彼女のあとを追いかける。
うしろで龍斗がなにかをつぶやいたような気がしたが、ドアが閉まる音で聞き取れなかった。
♡ ♡ ♡
「愛音……っ‼」
周囲はすっかり日が落ちていた。
夜鳥や虫の声は聞こえない。ひどく静寂な夜だ。
その中に俺の駆けていく足音と、乾いた心臓の音だけが響いている。
「いやだ。このままじゃ……俺たち……!」
――壊れて、しまう。
原因はすべて俺にある。
俺のささいな嘘をキッカケにして。
十数年来の3人の関係が崩れてしまう。そんな予感があった。
「違うっ! ささいなんかじゃ、ない……」
女のカラダになったせいだとか。
仕方がないとか。
そんなのは言い訳にすぎない。
俺がついたひとつの嘘は。重ねた嘘は。
ちょっとやそっとのことでは動じない関係性を崩すには――充分すぎた。
「……はあっ……はあっ」
息だけが切れていく。
駆けていく足が重い。地面がねばねばと絡みついてくるようだ。
「あ、愛音っ……う、あっ……」
随分と街を駆けずり回ったが。
彼女の姿はどこにも見当たらない。
「愛音ーーーーーーっ!」
俺の叫び声が、星の見えない夜空に虚しく響いた。
♡ ♡ ♡
結局、愛音に会うことはできなかった。
とぼとぼとした足取りで家へと帰ってくる。
「ただ、いま」
つぶやくように言ってみたが、返事が返ってくることはなかった。
「……あれ?」
部屋にはだれもいない。真っ暗だ。パチン。壁際のスイッチを叩いて電気をつける。
食器や飾りつけなどはそのままになっていた。
「りゅう、と……?」
胸騒ぎがする。そうだ。
今回のことで嘘をついたのは。傷つけたのは。
愛音だけじゃない。
龍斗に対してもだ。
――愛音からの許可はもらってる。むしろ『お願いしたい』って――
そう言って嘘をついて、俺は龍斗に〝精気摂取〟の日課を頼んだ。
『あーちゃんからのお願いだったら、いいよ』
と彼は言った。
不器用で――心優しい彼は承諾してくれた。
あくまで〝恋人同士〟という俺と愛音の関係を、最大限に慮った上で、日課に付き合ってくれていた。
そんな龍斗のことを、俺は裏切ったんだ。
「ううっ……ぐっ……」
身体が震える。
頭の中が真っ白になる。
これからどうしたらいいのか分からない。
「ひ、ひとまず、あやまらないと……っ」
震える手でスマホを取り出す。
通話ボタンをタップ。出ない。
メッセージを送る。既読はつかない。
「うっ……あ……」
火のついていない蝋燭が刺さったケーキが、テーブル上にぽつんと取り残されている。
その中央にあるチョコレート・プレートには、どこまでも純粋で無垢な祝福のメッセージが描かれていた。
【ハーピーバースデー みなた ――親友より】
♡ ♡ ♡
『すまん』
応答なし。
『俺が悪かった』
応答なし。
『本当にごめん』
応答なし。
『電話、出てくれないか』
『ごめんなさい』『話したい』
『なあ』『悪かった』『俺のせいだ』
『頼む』『すこしだけでいい』『直接謝らせてくれ』
応答なし。応答なし。応答なし。
『ごめん――』
愛音からも。
龍斗からも。
『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』
その夜、返信が来ることはなかった。
『……ごめん、なさい』
それでも俺が高校生である以上。
あいつらと同級生である以上。
どうしようもなく。
学校はやってくる。
――翌日、俺は教室で愛音と顔を合わせた。