3-4 ♂ 目 撃 ♀
幼馴染による俺のサプライズ誕生日会は、あたたかな空気の中で続いていった。
気づけば太陽も随分と傾いている。
テーブルの料理はきれいに空になっていた。
「ん――ミナタ、そういえば」
床のクッションに座っていた龍斗が言った。
「つけないの?」
続いて視線をテーブルの端に向ける。
そこにはさっきふたりがプレゼントしてくれたピアスがあった。
「……あー。言おうか迷ったんだが」
俺はグラスを置きながら言った。
「俺――あいてない」
「……?」と龍斗が首をかしげた。
「ピアス。穴、あいてない」
「……!」と龍斗が目を見開いた。「ん、いつもつけてなかった?」
「あれはイヤリングだ」
「…………??」とふたたび龍斗は首をかしげる。
ふう、と俺は溜息をついた。
気持ちは分かる。俺も女になるまでそのふたつの違いは分からなかったからな。
「えへ。私はもちろん知ってたけどねー」愛音がにやにやと言った。
「そういや、ピアスってのは愛音が選んだんだったな。なんでその時に言わなかったんだよ……」
「いいじゃん。せっかくだし、これを機にあけちゃおうよー」
「ひゃあっ⁉」
急に俺の耳を愛音が触ってきた。
飲み物はノンアルコールのはずだが、彼女の頬にはほんのり赤みが差している。
「や、やだよ! い、痛そうだし……それに、俺は男なんだぞっ」
「こんなに可愛い格好してるのにー?」
「うあっ、だから触るなって……!」
愛音が俺の胸元をわさわさと触ってきた。
「今だけだと思ってさ。ピアスにしたら、かわいいデザインのも増えるよー?」
「そ、それでもだなっ」
確かに今の時代、男でもピアスをあけるやつだっているし。
あける場所も耳くらいなら女にとってはふつうかもしれない。だけど。
「そこまでいくと……自分の中で、一線を越えちまうような気がするんだ」
「……ふうん。一線ねえ」
愛音が唇を軽くとがらせた。
龍斗のことを見ると、すこし寂しげな顔を浮かべて視線を床に落としていた。
「うん? どうした、龍斗」
「ごめん、ピアスのこと。きづかなかった」
「あ、謝るなよっ!」と俺は慌てて言う。「つけることはできないかもだけどさ、机の――そうだな、よく目に入るとこに飾っとくし。デザインは龍斗が選んでくれたんだろ? それだけで嬉しいさ」
「……ん」龍斗は伏せていた目を上げて、幽かに口角をあげた。「やっぱり、ミナタはやさしい」
「うー……よせよ、照れくさい」
俺は思わず顔を手の甲で覆った。
「あ、そうだっ!」
そこで愛音が思い出したように手を叩く。
「えへ――実はケーキも買ってあるんだー」
「っ! ケーキ、だと……⁉」
俺は思わず瞳をきらめかせた。
このカラダになってからというものの、甘いものには目がないのだ。
デザートは別腹というが……あれは本当だったんだな。
体重さえ気にしなければ、無限に食べていたいくらいだぜ。
「じゃじゃーん、おまたせー」
愛音が皿にケーキを乗せてやってきた。
苺やベリー類が飾られたホールのショートケーキだ。
上にはろうそくが刺さっている。
「う、……うまそうだな……!」と俺はヨダレを拭う。
「あ、しまったっ」と愛音が声をあげた。「みーくん、ライターとかってないよね……?」
「あー、そういやウチにはないな」
「うーん、ろうそくの火どうしよ……」と愛音は困ったように唸る。
「別になしでもいいんじゃないか?」
「だめだよっ」と愛音が強く言った。「せっかくのみーくんのお誕生日なんだから、しっかりやらないと」
愛音はしばらく考えるようにして、
「しょうがない、コンビニで買ってこようかな」
「あ、俺も一緒に行くぜ?」
「いいのいいの。今日はみーくんが主役なんだから。りゅーとと一緒にくつろいでて?」
「そうだそうだ」と龍斗がはやしたてた。
「お前が言うなっての! ……ったく」
俺は溜息をついてから、愛音を見送る。
「それじゃ、いってきまーす」
「おー、気をつけてな」
玄関の扉が閉まる音が聞こえた。
部屋には俺と龍斗が残される。
「……なんか、しあわせだな」俺はぽつりと言った。
「え?」
「あ、いや。こうやって、愛音と龍斗が祝ってくれて。一緒にいてくれて」
さっきまでしていた他愛のない会話を思い出す。
自然な距離感。あたたかい笑い声。心地よい空気。
――この一時が、ずっと続けばいいのに。
なんてことを思いながら親友たちと過ごす時間。
それを〝しあわせ〟と呼ばすになんとする。
「……俺、お前らと会えてよかった」
――親友だとしても、言葉にしなきゃ分からないこともある。
あの公園で龍斗が言っていたことだ。だから俺は。
今日はきちんと、声に出してみた。
(そうだ……俺たちの関係は、崩れることなんてない)
すべて杞憂だったんだ。
はじまりは偶然だったとしても。
そこから十数年という長い時間一緒に過ごしてきた関係性が。
ちょっとやそっとのことくらいで壊れるわけがない。
「ん……なんだよ、龍斗」
頬のあたりがむずがゆく感じて振り向くと、龍斗が俺の方をじっと見つめていた。
彼は言う。
「――ふたりきりになった」
「別に、それくらいよくあることだろうが」
特に男時代なんて、よくウチに遊びに来てたしな。
「この部屋じゃ、ハジメテ」と龍斗はまわりの〝少女部屋〟を見渡して言う。「あ……そうだ」
「うん?」
「――する?」
「……へ」
俺は目をまたたかせる。
「ん――昨日、しなかったし。今日の夜のぶんも、一緒に」
龍斗が言っているのは例の【日課】のことだ。
「あ、ああ……それも、そうだな」
胸元をみるとペンダントの中には9割弱ほどの液体が溜まっている。
「夜にまた会うのも面倒だもんな……そうするか」
「ん」
と言って龍斗は床のクッションから立った。
そのままなめらかな動作で俺がいるソファの隣に座る。
(あ……龍斗の匂いだ)
前にかいだジャケットと同じ香りだ。
べつに。
だからなんということもないんだが。
「うん? ……な、なんだよ」
龍斗は続いて俺の顔をじいっと眺めてきた。
「うー……あ、あんまり、みるなよ……」
なんだか恥ずかしくなって、俺は身体を腕で隠す。
その時に柔らかな胸をふにゃりとつぶして、声が出そうになったのをどうにかおさえた。
「ミナタ――」
龍斗は空虚な宝石みたいな瞳で俺のことを見抜いて言った。
「ほんとに、おんなのこになっちゃったんだね」
その時の龍斗の言葉が。仕草が。声が。吐息が。
「……っ!」
なんだか無性にこそばゆく感じて。
「う、うるせー」
と俺は言い捨てながら、たまらず視線を逸らした。
その先の姿見に映った俺の顔は。
夕焼けの中でも分かるくらいに紅く染まっていた。
「うー……とっととやるぞっ!」
俺は唇を噛みながら言う。
「ふ――わかった」
龍斗は微笑んで前髪をかきあげた。
俺のもとまで龍斗の気配を孕んだ風が届く。
顔からは熱が引かない。
「……なんだか、熱いな」
俺の言葉は無視して、龍斗がゆっくりと近づいてきた。
整った顔だな、と思う。綺麗な目だ、とも思う。
無意識のうちに彼の瞳に見入ってしまう。
「…………」
そしてその瞳の中に映っている自分の姿は。
女の子の姿は。頬を赤らめ目を潤ませる姿は。
「……あれ?」
なんだか〝自分じゃないように〟――
まるで少女漫画の中に出てくるような。
恋する乙女のように。
一瞬。見えた。
「りゅ、龍斗、ちょっと待ってくれ、」
気のせい。だと思うけど。
「俺、なんかへんだ――あ」
龍斗が口を寄せてきた。
俺はそれを受け入れる。
「んっ……」
そして自分に言い聞かせる。
べつになんでもない。
ただの日課だ。
淫魔化をふせぐための。淫力を発散するための。
仕方がないただの日課だ。
そのはずなのに。今日は。
なんだかとても強烈に――
イケナイことをしているような気分になった。
「…………」
心臓が熱く高く鳴っている。その音がやけに大きく聴こえる。
ちくたくと進む時計の針と重なって、まるで俺たちふたりだけが別の世界に飛ばされてしまったような心地になる。
「………………」
外はすっかり夕暮れだ。日の入りも近いだろう。
窓からは熟した果実のような太陽の光が差し込んできた。
そんな赤色に身を染めながら、俺たちは繋がっている。
俺と龍斗は。
女のカラダになった俺と、唯一無二の親友は。繋がっている。
歪に。どこまでも不純に。不健全に。
「……………………」
ところで。
世界というものはよくできている。
嘘を突き通すことはできない。
不誠実な生き方じゃ、そのうちにほころびが出る。
不義理を働けば、いつか天罰がくだる。
そう。
今この瞬間から起きる出来事は。
俺にとって間違いなく――〝天罰〟だった。
「え――?」
ぱさり。
ビニール袋が落ちる音がした。
「……あ」
俺は慌てて唇を離し、部屋の入口を振り向く。
そこには。
気のせいでも。白昼夢でも。蜃気楼でもなく。
どうしたって誤魔化しきれないほど現実的に。
――俺のカノジョである、白金坂愛音が立っていた。
「……っ‼」
たっぷりと地獄みたいな時間が流れた後に。
窓の外で、太陽が落ちた。