3-2 ♂ どうしても話さなきゃいけないことがあって ♀
外灯の光に照らされて、俺は公園のベンチに座っていた。
隣には龍斗がいる。夜、日課の時間だ。
「ん――しないの?」
視線を地面に落としている俺に向かって、龍斗がきいてきた。
「きょうのぶん」
「…………」
俺は沈黙で返す。
スカートの上に置いた指先をからめて、また離した。
「――なあ、龍斗」
そのあと夜の空気をひとつ吸って、吐いて。
気になっていたことを。
きいた。
「この前の日曜、どこに出かけてたんだ?」
それは愛音と龍斗が街でふたりで会っていた日のことだ。
「……ん」
龍斗は一瞬困ったように眉を跳ねさせた。
続いて、沈黙。
うしろの草むらでは夏の夜虫がのんきに鳴いている。
「じっちゃんの、知り合いのとこ」
やがて龍斗は言った。
いつもの本当か冗談か分からないようなテンションで。
嘘を、ついた。
「……へえ」
俺はなるべく自然に聞こえるように返す。
「ミナタ?」
続いて鞄を抱えて、ベンチから立ち上がった。
「……帰る」
「ん、日課は?」
「今日はしない」
「でも――」
「しないったらしないっ!」
俺は拳を握りしめて叫んだ。
虫の声が一瞬止んで、また鳴きはじめる。
「じゃ」
俺はいつもの龍斗みたいに会話を唐突に切り上げ、歩き出す。
しばらく進んでから、止まる。振り返る。
もう一度、龍斗の目の前に戻って。
借りていたジャケットを鞄から取り出し。
「……んっ!」
と叩きつけるように渡した。
「あ、そういえば」
龍斗は思い出したよに手を打って服を受け取る。
手が触れ合いそうになったのを、俺はあからさまに避けた。
「……そんだけ。じゃ」
「ん――ミナタ、もしかして、おこってる?」
「怒ってないっ!」
「それ、おこってる人のいいかた」
「うー……」
俺は唇を噛んで、龍斗のことを上目遣いで睨みつけるようにする。
龍斗は特に動じない素振りで、
「なにかあったら言って。親友だとしても、言葉にしなきゃ分からないことも、ある」
言わなきゃ分からない。そんなのは当たりまえだ。
だけど。俺は今、なにも言う気にはなれなかった。
「……なんでも、ない」
今度こそ。
龍斗を振り返ることなく、俺は歩きはじめた。
「――へんなの」
うしろで龍斗がつぶやく声がした。
(うー……へんってなんだよ! こっちの気も、しらないでっ)
俺は頬を膨らませ地面を蹴る足に力を入れる。
木製の靴底がアスファルトを弾いて、かぽかぽと音がなった。
「……あれ?」
帰路の途中、何度か角を曲がったところでふと思った。
「俺、そもそもなんでこんなに、怒ってるんだろ」
冷静になって理由を考えてみる。
「結局あの日、ふたりのことが気になって【にゃんフェス】に行けなかったことか……?」
ふるふると首を振る。そんなわけがない。
いや、確かに行けなかったのは残念すぎて、未だに枕を涙で濡らすことはあるが!
俺の心がすさんでしまったのは、きっと、
「龍斗と愛音のふたりが、遊んでたこと……?」
そしてそれを。
「俺に、隠したこと、か」
3人のうち2人だけで遊ぶことはこれまでにもあった。
それだけなら、こんなにもやり切れない気分になることはない。
「隠したってことは……なにか〝やましいこと〟があるってことだよな」
ふたたび想像を巡らせてみる。
俺に黙って、秘密裏に2人だけで会う必要性。
「……ふたりは、本当は付き合ってる、とか……?」
ふるふるふるふる、と。
さっき以上に首を強く振った。
後ろで結んでいた髪が揺れて、ワンショルダーで片方だけ露出していた肩を撫でる。
「そんなわけ、ない、よな……?」
たしかにあの2人だって同じ幼馴染で仲は良いが。
それ以上に、俺と愛音は〝恋人どうし〟の関係だ。
ちょうどこの春に愛音から告白をされて。
自分でも信じられないまま付き合うことになり。
そのことを龍斗に伝えたら、祝福の言葉をもらえた。
「でも、女からしたら――あ、いや! 今は、俺も実際に女のカラダなんだが。そのことは関係なしに、世間的に俺と龍斗だったら――きっとふつうは、龍斗が選ばれるんだろうな」
俺はあくまでも一般庶民の男子高校生で。
龍斗はカースト上位の王子様なのだ。
「それでいえば、愛音だって」
もはやカーストとかいう枠組みすら突き破り、時代が時代なら国をも傾かせかねないほどの美少女だ。
「本来……カップルとしてふさわしいのは、あいつらふたりなんだろうな」
別に今に始まった悩みじゃない。
これは俺がずっと考えていたことだった。
たまたま、住んでいた家が近くて。
たまたま、幼馴染だったからって。
俺という存在を、あのふたりと繋ぎとめているのは。
どこまでも〝偶然〟なんていう。
何かの些細なキッカケですぐに壊れかねない、薄氷の理由なんじゃないかって。
「俺があのふたりといるのは――本当は、ふさわしくないんじゃないかって」
思ってた。ずっと。
考えないようにしてた。けど。
――今はどうしたって、考えてしまう。
そして。それ以上に。
「……やましいことを隠してるのは、俺だって同じ、か」
〝龍斗との日課〟のことは、未だ愛音には話していない。
カノジョである愛音には秘密で――俺は毎日、龍斗と精気摂取をしている。
「些細なことで壊れかねないんなら……それはきっと、今かもしれないな」
いつからこうなってしまったのだろう?
胸元で首飾りが揺れる。
考えれば考えるほど、俺の思考はそこに行きつく。
――俺が、女のカラダになったばっかりに。
淫魔化の呪いをふせぐために、俺はカノジョに嘘をつくことになって。
もしかしたら愛音も、そのことを薄々感じていて。
愛音とのキスの時に、俺が以前ほどは興奮しなくなってしまったことに気づいて。
――龍斗という存在に、居場所を求めたのかもしれない。
かもしれない。そう。これはどこまでいっても仮定の話だ。
事実とは異なる可能性だってあるが――今の俺には、絶対に『ありえないことだ』と否定はできなかった。
「うー……一体、どうすればいいんだ……?」
空を見上げる。月は雲に隠れて見えない。
ぶあつい黒い雲は、そのまま地上に落ちてきそうなほど近くに見える。
「……あ」
スマホが震えた。
鞄から取り出して通知を見る。
愛音だった。
『ねえ、みーくん。明日、みーくんち行ってもいい?』
なんだかひとりになりたい気分だった。
今はだれとも、会いたくはない。
『明日はすまん……ちょっと、遠慮しとく』
そう返すとすぐに既読がついたが――
返事は10分ほど経ってからきた。
俺が家の玄関のドアをあけたのと同時だった。
すこし身構えて、愛音のメッセージを確認する。
『――どうしても、みーくんに話さなきゃいけないことがあって』
その文面を見て。
なぜだかどうしようもなく涙が滲んできた。
「……っ!」
些細なキッカケ。
もともとふさわしくない、薄氷のつながり。
これで俺たちの関係は――終わってしまうかもしれない。
そんな予感が俺の頭の中によぎった。
「うー……!」
鼻をすする。目の端を指先で拭う。喉の奥が震えだす。
『わかった』と散々迷った末に俺は返した。『明日、部屋にいるようにする』
『うん――龍斗とふたりでいくね』
愛音からそんな返事があって、メッセージのやり取りは終わった。
最後の文面には返事はせず既読だけつけた。
俺はそのまま、ソファのクッションに身をうずめる。
「うっ……ぐう……!」
くすんだ色の様々な想いが全身を染め上げていく中。
――やっぱり、このカラダは涙脆いな。
なんてことを、俺は思った。