3-1 ♂ 俺にナイショでどこいくの? ♀
「みーくん、ごめんっ!」
学校の廊下。休み時間。
「私、その日は予定があって……」
俺は愛音に〝週末のお誘い〟を断られていた。
「そ、そうか」
「ごめんねー、なにかあった?」
「あ、いや……たいしたことじゃ」
と言いながらも、俺はスカートのポケットの中で〝とあるチケット〟を握りしめた。
「デート?」と愛音がきいてきた。
「……ああ」と俺は目を伏せて頷く。「ま、いつも遊んでるっちゃ遊んでるけど」
「ふふ――あらためて誘ってくれるの、うれしいよ」
愛音はそこで俺の手を取って、自分の頬に寄せた。
「な、なんだよ……っ」
「おわびのしるし」と言って愛音は俺の手の甲にキスをしてきた。
「っ! みんなに、見られるぞ……⁉」
「うれしい?」
「う、嬉しくは……ある、けど……」
雲が晴れて、すっかり夏の勢いを増した陽射しが窓から差し込んできた。
俺は日焼けを気にして、柱の影の中にすっと身体を入れる。
その動作に気づいた愛音は、『えらいねー、みーくん』と言って頭を撫でてくれた。『う、うるさいっ』と俺は頬を膨らます。
「あ、私そろそろ行かなくちゃ。つぎ移動教室なんだ」
愛音が時計を見ながら言った。
「じゃあねっ、みーくん――あ」
廊下を歩きだした途中で、彼女は思いついたように振り向いて。
白くて細い指先を自らの唇にあてながら。
「週末に会えないぶん、前日はたっぷりしようねっ?」
と天使みたいに微笑んだ。
♡ ♡ ♡
「うー……どうすっかなー……」
学校も終わり、帰宅して。
俺はパステルカラーのソファに仰向けになりながら、とあるチケットを見つめていた。
内容は――【世界の猫がやってくる! にゃんにゃん♡フェスティバル】。
街のショッピングモールの特設会場で、この週末に行われるイベントだ。
「せっかくSNSで話題になってた【にゃんフェス】が近くにくるんだ。猫好きの俺としては是が非でも行きたかったが……愛音に断られちまった」
俺は寝返りを打ちながら嘆息する。
「男ひとりで行くのもなあ。つっても、他に誘えるやつも……あ」
そこで頭にはもうひとりの幼馴染・灰田龍斗のことが思い浮かんだが。
「いやいやっ! 男ふたりでなんてなおさら――って。そうか、今の俺は〝女〟だったな……いちおうは」
俺はチケットを机の上に置いて腕を組む。
「うー……聞くだけ聞いてみるか」
今の〝女のカラダ〟なら。
龍斗とふたりで行けば、まわりからは男女のデートに見えなくもないはずだ。
まさか男ふたりで〝にゃんにゃん♡(もちろん猫を愛でるだけで、変な意味はない)〟しにきたとは思われまい。
「ま、あくまで見かけ上だがな」
スマホを操作して通話をかける。
すこししてから龍斗が出た。
『ただいま、電話に出ることが――』と龍斗はロボットみたいな声でおどけた。
「現在進行形で出てるだろうが!」と俺は突っ込む。
『あ、ごめん、ほんとは充電が切れちゃう』
「あと電池どれくらいだ?」
『98%』
「ほぼマックスじゃねえか!」
『電池の上に〝雷〟のマークも出てる』
「しかも充電中⁉ 万全な状態だろ!」
ひと通り茶番を繰り広げてから、俺は龍斗の週末の予定を聞いてみた。
(なんだか気恥ずかしかったので【にゃんフェス】の誘いであることは隠した)
しかし。
『――ごめん。ボク、その日はちょうど予定があって』
などと。
愛音と同じように断られてしまったのだった。
「そ、そうか……なんだよ、みんな忙しいな」
『みんな?』
「ああ、いや。なんでもない」
龍斗はそこで思い出したように続けた。
『それと――今夜も、いけなさそう』
「そうか。分かった……って、まじかよ⁉」
今夜、と龍斗は言った。
それは例の夜の公園での〝精気摂取〟の日課のことだ。
「そっちは洒落になんねえって!」
『1日くらい、だいじょうぶでしょ』
「うー……」
俺は胸元のペンダントを見やる。
中には7割くらいの液体が溜まっていた。
「たしかに……今日くらいならどうにかなるか。そのかわり、明日は絶対だからな」
『ん』と龍斗が短く言った。
「へへ、よかった」
『…………』
龍斗はそこで考え込むような間を取った。
「うん? どうしたんだ」
『なんでもない。じゃ』
と言って通話は唐突に切れた。
「あ、おい! ……相変わらずさっぱりしてるな」
スマホを机に置く。
隣には【にゃんフェス】のチケットがある。
一緒に行ってくれそうな頼みの綱だったふたりから断られてしまった。タイミングよく。
「……タイミング、よすぎないか?」
俺は眉をひそめた。
これまで週末は3人で遊ぶために空けていることが多かった。
とはいえ、ここ最近は俺が女になったことで。
龍斗が首飾りの呪いについて調べる機会が増え。
愛音はうちで〝お泊り会〟をすることになって。
すこし時間の使い方が変わったとはいえ――
「なんか、気になるな」
俺は首をかしげる。だが当然、現時点で答えが出ることではない。
きっと気のせいだろう。
「あ……そういえば」
俺はふと思い出して、クローゼットの中を開けた。
「あったあった。龍斗に返し忘れてたな」
龍斗を最初に公園に呼び出した夜。
借りてそのままになっていたジャケットだ。
「うーん……とはいえ、学校でも返しづらいしな」
今の俺はあくまで女生徒だ。
もし学校で『これ……借りてた上着、返すねっ?』などと男子に向けてやっている現場を見られてしまったら、間違いなく〝男女の営み〟を疑われてしまう。
それに何より、愛音に見つかるのもなんとなく気まずかった。
「ひとまず忘れないように、目立つところにでもかけておくか」
服を両手で広げる。麻生地の薄手のジャケットだ。
その時に――ふと、なんとなしに。
「…………」
俺はそのジャケットに――顔を、うずめた。
自分でもなぜそんなことをしたのかは分からない。
「……ん」
龍斗の匂いがする。
それは男だった時には気にならなかった――あるいはなんとも思わなかったはずの香りだ。でも。
(良い匂い、だな――)
「……っ⁉」
すぐにハッとして顔をあげる。
「な、なにやってんだ、俺……!」
親友の服に顔をうずめて、一体どうしたっていうんだ?
それに、今。
「首飾りが、光らなかったか?」
うっすらと。ぼんやりと。
ペンダントの宝石が光って。
中のピンク色の液体が、微かに増えなかっただろうか?
――淫力は、魂が興奮すると、溜まる――
それが事実だとすれば、俺は。
「龍斗の、匂いに……?」
そこまで考えてぶんぶんと首を振った。
「そ、そんなことがあってたまるかっ!」
あいつは俺の親友だ。親友で――〝男〟だ。
龍斗と愛音にタイミングよく断られたこと以上に気のせいに決まってる。
「うー……!」
慌ててハンガーを取ってジャケットの袖に通す。
壁にかけようと斜めにしたところで――ひらりと。
内側のポケットから、なにかが落ちた。
「うん? なんだこれ、写真か?」
俺は手で拾って、裏返す。
裏返して――首をひねる
「……え?」
龍斗の服から落ちた写真には――
愛音の姿が、写っていた。
目をこする。つぶる。もう一度見る。
間違いない。そこには愛音ひとりだけが映って、こちらに微笑みを向けている。
「……気のせい、じゃないか」
なんだか俺の胸の中に、言いようもない不安が渦巻いていった。
♡ ♡ ♡
「変装までして、何やってるんだ、俺……!」
次の週末。
ふたりに『予定があるから』と断られた当日。
俺は帽子を深く被りサングラスをして、街に繰り出していた。
「……見失わないようにしないとな」
視線の先には龍斗がいる。
10mほど後方からバレないようにして、俺は尾行をしていた。
(あくまで念のためだ。ふたり同時に都合よく断られたから〝もしかして〟を確かめるだけで――きっと杞憂に終わるさ)
「それに……俺にはメインの予定だってある」
ポケットには例の【にゃんフェス】のチケットが入っている。
散々迷った末に、俺はひとりでも行くことにしたのだった。
この変装はいわば一石二鳥だ。
「とっととふたりの無実を確認して、可愛い猫たちと〝にゃんにゃん〟したいぜ」
とはいえ。
俺は猫に嫌われる体質のため、遠くから眺めることしかできないかもしれないが……それでも癒しには充分だ。
「――痛っ」
とかなにやら考えていたら、おでこを看板にぶつけてしまった。
何やってるんだ、俺。
「……うう」そこで俺は冷静になった。「本当に、なにやってるんだ、俺」
自分の今取っている行動が無性に情けなく感じてきた。
親友ふたりのことを勝手に疑って、こそこそあとをつけて――
「うー……やーめたっ!」
ふたりのことを信じられないで、なにが親友だ。
「にゃんフェスだけ寄って、帰るか」
俺はポケットからチケットを取り出して、その場を去ろうとした。
ところで。
「――あ」
ちょうど龍斗が、駅前の銅像の前にいるダレカに向かって手をあげた。
どうやら待ち合わせ相手らしい。
帰ろうと思った直後だったけれど。
どうせここまで来たし、と俺はその先を視線で追った。
そして――目撃、してしまう。
「あ、愛音……?」
気のせいじゃなかった。
龍斗は愛音と待ち合わせをしていた。
俺にナイショで。俺に隠して。
俺との予定を断って。
――ふたりきりで、会っていた。
「……どう、して?」
そのままふたりは。
とても仲睦まじげに。
――街の人混みの中へと、消えていった。
「――っ!」
俺の手の中から、チケットがはらりと落ちた。