2-6 ♂ 大人のキッスの先にあるもの ♀
すぐに週末になった。
時間は夜。
外にはほとんど真円に近い月が浮かんでいる。
俺はフリルがついたサテン生地の布団の中へと潜り込んだ。
最初の頃はドキドキして落ち着かなかった、ベッドに染み付いた女の子の香りにも、今では随分と慣れてしまった。
ベッドの隣には愛音がいる。
今日はうちで【お泊り会】の日だ。愛音はあれから定期的に俺の部屋に遊びに来ている。
『その方が、いっぱいキス、できるでしょ?』と愛音はもじもじとしながら提案してくれた。
そして実際に。
「ん」「――あっ」
今夜もこうして、俺たちは布団の中で互いの唇を重ね合わせているのだった。
「……ふう」
ひととおり求めあったあとで、ベッドに横になり。
余韻に浸るように俺の頭を撫でていた愛音が言った。
「ねえ、みーくん」
「ん……どした」俺の声にはまだ熱っぽさが残っている。
「ペンダントに捧げる〝精気〟って、人の【体液】の中に含まれてるんだよね?」
「あ、ああ」龍斗が言っていた言葉を思いだして頷いた。「そう、らしいな」
「だったら、さ。その――」
愛音はそこで身体をよじって、すこし言い淀むようにした。
「わ、私。みーくんとなら。この先も――いいよ?」
「……え?」
この先も、と愛音は言った。
この先もなにもない。
〝おとなのキッス〟の先に残されているのは――
「っ⁉」
もはやアレしか、ない。
そんなもの。
「だっ、だっ、だっ……!」
「だ――?」
俺はごくりと息を飲み込んでから続ける。
「だ……め……っ‼」
「だめ、なの――?」
愛音が悲しそうな声を出した。
大きな瞳は月の光を反射させて潤んでいる。
――私、みーくんとなら〝この先〟もいいよ……?
そんな言葉が愛音の口から出てきた。
きっと想像以上に勇気のいることだっただろう。
「ねえ……だめ?」と愛音が繰り返した。
俺は。その想いに応えるように。
声をどうにか絞り出す。
「だ、だめじゃ……ない……‼」
ぴくん。
愛音の身体が震えた。
「……ほんと?」と彼女は期待めかせて眉を上げる。
「ああ。本当だ」
当たり前だ。
好きな人と結ばれることを、望まない人なんていない。だけど。
「だけど……もうすこし、さきに、したいんだ」
「先?」
俺は頷いて、続ける。
「愛音のこと、俺、大切に思ってるんだ。思ってるからこそ――ここから〝さき〟は。俺が男に戻ったときまで、取っておきたくて」
「……みーくん」
愛音は透明な泉のように澄んだ目を細めて、微笑んだ。
「ふふ――やっぱり、みーくんは真面目だなあ」
「すまん……あ、謝るのも、変、か」
「うん。へんだよ」愛音は手を口元にあてる。「でも、そういうところ……私、すきだよ」
続いて愛音は俺のカラダをきゅうと抱きしめて。
瞼の上に優しく口づけをしてくれた。
「おやすみ。みーくん」
「あ、ああ――おやすみ、愛音」
ほどなくして隣から、すううと微かな寝息が聞こえてきた。
呼吸に合わせて愛音の形のよい胸が上下する。
その女の子を象徴する膨らみは――今では俺のカラダにもついている。
目線を下げるとすぐにそれは飛び込んでくる。
ふと思い立って、その2つの膨らみを下から掌で持ち上げてみる。重い。重くて、柔らかい。柔らかくて――熱い。
心臓の鼓動がどくどくと掌に伝わってくる。手を動かしてみる。触られた感覚がある。『……んっ』と俺の口から矯声が漏れる。
どうしようもなく。どうしようもなく。
「俺は今――女、なんだよな」
それでもいつか。それでもいつか。
「男の身体に、戻ったら……」
その時は愛音のことを――
俺の隣で眠りにつく、天使のような、俺には分不相応にも思える、幼馴染で、自慢のカノジョと。今度こそ。
結ばれたい、と。
そんなことを思った。
「ふう……俺も、そろそろ寝るか。睡眠不足はお肌の敵だからな」
などと皮肉に呟いてみたところで、ふと――
例のペンダントが、目に入った。
その中は〝9割以上〟が液体で満たされている。
「……なっ⁉」
俺は目を見開く。おかしい。溜まりすぎだ。
すこし前までは半分ほどしかなかったはずなのに。
いつからだ? いつから、こんなに――
「っ‼」
そこでふと気づく。現在のこの状況は、非常に、まずい。
だって俺は、一日のうちで考えられる最大頻度で愛音と交わり続けているのだ。
それでも。
増えるペースが減る分を上回ってしまうということは――
「愛音の精気だけじゃ……足りないってことか……?」
俺はハッとしてから首を振る。
そんなことは考えたくなかった。だけど。
――魂が興奮する相手。つまりは〝ドキドキする相手〟とのキスだったら、精気摂取の効率が、良い。
そのことが事実だとしたら。
「ま、まさか……」
――俺が、愛音に対して、ドキドキしにくく、なっている……?
思わず愛音の方を見やる。
彼女の純粋無垢な寝顔を見つめる。俺のカノジョを見つめる。
「そ、そんなわけない……!」
と俺はとっさに思う。
思うけれど――はっきりと否定はできなかった。
たとえば愛音とキスをするときに。
舌を絡ませながらも、綺麗な髪のことなど他のことを考える余裕がでてきたり。
女どうしだけど、淫魔化を防ぐためだから仕方ないと。
そんなことを。
考えたことは。
なかったか?
「う……あ……」
そもそも。
本当に愛音に対して興奮をしていたのなら。
女のカラダでだって――彼女と〝キスの先〟にいくことを、先延ばしにすることなく躊躇わなかったのではないだろうか?
「うー……っ!」
俺は下唇を噛みしめて頭を抱えた。
否定したい。だけどはっきりとできないことが悔しくて。
だんだんと涙が滲んできた。
「……淫魔化の、せいだ」
俺は震える声で呟いた。
「そのせいで、――心が、女の子に近付いてるせいで、こんなこと……!」
嗚咽を漏らしながら、リボンのついたパジャマの袖口で目尻を拭う。
いやだ。
愛音は俺のカノジョだ。幼馴染で。両想いという奇跡の末に結ばれた大好きな恋人だ。
そんな愛音への想いまで、掠れさせてたまるか――
「う、ぐ……っ」
けれど現実はなにも変わらない。
胸元のペンダントには無情に淫力が溜まっていく。
このペースでいけば……きっと明日には溜まり切ってしまうだろう。
そうなれば、俺は、また――
「い、いやだっ! これ以上、俺の心を、奪われてたまるか……!」
ぎゅうと胸のあたりを掴む。
ふくよかな胸部がぐにゃりと潰れる。その感覚に違和感は、もはや昔ほどは残っていない。
どうにかしなきゃいけない、と俺は思う。
このままじゃいけない。どうにか――
「……あ」
ふとそこで。
棚の上に飾られた写真が目に入った。
中には俺と、愛音と――
もうひとりの幼馴染・灰田龍斗が映っている。
「……っ」
目に入った瞬間、あの時の記憶が蘇った。
女子更衣室で、愛音の許可のもとでした特別な行為。
自分は女のカラダだったとはいえ――男の親友という、どこまでも禁断的な相手との唇の重なり。精気の接種。
しかしその結果。
俺の淫力はすべて発散され――無事に淫魔化状態は解除されたのだった。
「……龍斗」
もう、なりふりは構っていられない。これ以上俺が消えてたまるか。
俺は愛音が深く眠りについていることを確かめてから、ごてごてと飾りのついたケースに入ったスマホを手に取って、ネイルのほどこされた指先を動かし龍斗にメッセージを送った。
『――なあ。今から、会えないか?』
返事は、すぐに来た。