2-5 ♂ 女の子として悦んでもいいんだよ……? ♀
俺が担架で保健室に運ばれる事件があってから数日が経った。
幸か不幸か、二度目の淫魔化を終えたあと。
ペンダントの淫力が溜まるスピードは以前に比べてゆっくりになった。
理由は【2つ】考えられる。
まず1つ。
それはできれば考えたくないことではあるのだが――
俺の心の〝少女化〟が進んでしまったこと。
今では朝のメイクも着替えもほぼ問題なくこなせるし、風呂やトイレだってひとりでいける。
学校でも、
『みなたちゃん、おはよー』『おはよ~』
「あ、おはよう」
『今日も可愛いね~』
「そ、そんなことないよ――でも、ありがと」
などと。
ふだんの女子との会話も以前ほどは緊張せずこなすことができている。
体育の着替えなども……いまだに壁を向き、なるべく皆の方は見ないようにはしているが、あたりに漂う甘い香りにも慣れてきたし。
一緒に近い距離で写真を撮ったり、身体を触れ合わせるスキンシップにも驚くことは減ってきた。
しかしそんな風に〝女の子としての日常〟を過ごす中でも。
(今は状況に甘んじてはいるが、俺は〝男〟なんだ……! もとのカラダに戻るまでの辛抱なんだっ)
という強い意志だけは持ち続けている。
むしろ、それだけは絶対に忘れてなるものか。
もしも忘れてしまえば――
俺は男として、終わってしまうのだから。
比喩的でもなんでもなく、文字通り。
♡ ♡ ♡
「ねえ、みーくん」
休み時間。
白金坂愛音が俺の教室に顔を出した。
「――いく?」
その短い言葉がいつもの合図だった。
「あ……ああ」
俺は頷いた。
そのまま席を立って、愛音と一緒に教室を出る。
渡り廊下を進んで旧校舎へ。
わざわざ2階まで上って、人気の少ないお手洗いに行く。その女子トイレ(俺は今〝女子〟なのだから当然だ)の入口をくぐり、誰もいないことをたしかめたあと。
一番奥の〝個室〟に――ふたり一緒に入る。
「……ん、あ……」
やがて個室の中で吐息交じりの微かな嬌声があがる。おとなのキッスだ。それは次第にエスカレートしていく。
「ふ……はあ……っ」
愛音が俺の手指を絡めるように握り、背中をドアに押し付ける。がたん、と音が鳴る。
「……だ、だれか、きちゃう」
「ん――だれも、こないよ?」
と言って彼女はまた俺の唇に舌先を押しつけてくる。湿って熱をもった愛音の粘膜を感じる。天井灯の電気はオンにしなかった。代わりにグラウンドに向かって開け放された窓から差し込む西日が、照明のかわりに周囲の空間を明るく染め上げている。生徒たちや蝉の声がうっすら遠くに響く中、個室での淫戯は続いていく。
「……や。あっ」
そう。淫力が溜まるスピードが減った【もうひとつ】の理由は。
愛音との精気摂取――つまりは〝おとなのキッス〟の機会増加にあった。
ふだんからこうして定期的に精気を吸うことで、ペンダントに溜まる淫力を減らし、淫魔発作の予防につながる。
お陰で容量いっぱいに液体が溜まることはなくなり、あれからは一度も淫魔化することなく日々を過ごすことができていた。
しかし、そんな中でも〝気になること〟といえば――
「んっ――みーくん……」
あの女子更衣室での事件。
つまりは、親友である〝龍斗との精気摂取〟があって以来――
愛音の雰囲気がどこか変わったことだろうか。
雰囲気というか。様子というか。俺に対する接し方、というか。
たとえば。
今回のような〝おとなのキス〟をすることに対して、なんだかとても積極的になった気がするし。
表情も、以前の透明感溢れる愛音の笑みにはなかった色気のようなものが加わった気がする。
他にも。
ふたりきりの時だけでなく、登校時や学校の廊下などでもやけに手や腕を絡ませてくるようになったし。
逆に俺が他の女子と触れ合っていると、なにかと理由をつけて間に入って引き離してきたり。
つまるところ。
俺の中の乏しい恋愛知識でまとめるなら。
――俺に対する独占欲。
みたいなものを。
最近の愛音からは感じるようになったのだった。
(ま……おこがましい考えで、気のせいかもしれないがな)
「――はあ、はあ」
そんなこんなで。
本日何回目か分からない精気摂取が終わった。
短いチャイムが聞こえる。授業五分前の合図だ。
「なあ。もう休み時間終わるぞ?」
「うん。でも――もういっかいだけ」
「え……あっ」
言葉通り。愛音がふたたび口を寄せてきた。
このままだと本当に遅刻してしまう、と俺は最初は引き離そうとしたが――
途中で抵抗する力も失くし、俺はふたたび愛音の舌を受け入れた。
自然と目がとろんと霞んでくる。
(――きれい、だな)
思わず目の前の愛音に見惚れてしまう。
天使のような美しさを持つキミが、こんなにも背徳的でふしだらな行為に勤しんでいる。
まるで歪んだ夢でも見ているみたいだ。
歪んだ夢。濁った天国。病的な楽園。
その中にあっても、キミの神々しさは変わらない。
天使の美しさは圧倒的だ。
「ん……あっ」
愛音が体重をかけるように上半身を寄せてきた。
今の俺は愛音よりも小柄だ。
愛音の白金色の〝髪の毛〟が俺の顔にかぶさるようになる。
それは西日の反射で神聖な芸術品のように輝いている。
俺は無意識にそれを触る。触って、撫で上げる。『んっ』と愛音が声を漏らす。艶やかな髪の一本一本が、さらさらと俺の指の隙間から零れていく。まるで聖水が流れる純度の高い小川に手を浸しているみたいだ。
「――いいなあ」
「え?」
いつの間にか。
俺の口から感嘆の言葉が漏れていた。
「あ、いやっ……髪の毛、綺麗だなと思って」
女になった今だからこそ分かる。
これほどの状態をキープするのに、どれほどの手間と時間がかけられているのだろう。もちろん愛音の持って生まれた素材が良いという前提もあるが。それ以外にも毎日のケアなど、多くの手間暇がかけられていることがうかがえた。
「えへ、ありがと」と愛音はすこし恥ずかしそうに笑んだ。「今のみーくんに褒められたら、余計にうれしいかも」
今の俺のカラダは女のものだ。
美容などにかけられる苦労が分かるぶん、素直に感心するし、すごいなと思うし。
その一方で――羨ましいとも、思った。
「ずっとお世話になってる美容院でね、特別にトリートメントしてもらってるの。良かったら、みーくんにも紹介するよ?」
「ほ、ほんとかっ?」
俺はぱっと目をきらめかせた。
「たのむ。自分だけのケアだと、まだ手慣れない部分もあって、悩んでたんだ」
そこで愛音は。
すこしだけ寂しそうな。
だけど同時に抑えがたい悦びを噛み締めるような笑みを浮かべて。
言った。
「うん――もちろんだよ」
「へへ、やったぜ。さんきゅー……あ」
そこで俺も。気づいた。
――俺は今、なにを言った? なにを思った? なにを喜んだ?
愛音の天使のように輝く髪を羨ましいと思い。
自分の髪もそうありたいと思った。美容院の紹介を喜んだ。
自分の、女子としての不慣れさを煩わしいと悔やんだ。
――俺は。男。なのに。――
「……う、あ」
そんな自分の思考に気づいて。
自分が女子であることを自然に受け入れ、女子としての喜びを感じていることに気づいてしまって。
「う、ああああぁぁぁ……!」
俺のつんと大きな瞳から、大粒の涙が零れていった。
「俺っ、どうしよう……? どんどん、頭の中、女の子になって――うっ、あっ……!」
涙はぽろぽろと溢れ、止まることはない。
「ひぐっ……男のときには、考えもしなかったことを、考えるようになって……思いもしなかったことで、喜んじゃう自分がいるんだ……っ」
俺は嗚咽交じりの声で続ける。
「甘いものも、好きになっちまったし。良い香りがしたり、きらきらした雑貨をみると心がときめくし……かわいいものを見て、かわいいなって思うし……うぐっ……こんなふうに、涙脆く、なってるし……ううっ」
「……みーくん」
「俺、ほんとうに――元のカラダに、戻れるのかな……っ」
細かく震えながら不安をこぼす俺のことを。
「これから俺、どうなっちまうんだろう……こわい。こわいんだ……」
「みーくん――大丈夫だよ」
愛音は優しく、抱きしめてくれた。
「この先にどんなことがあっても。私はみーくんの、味方だよ」
「あい、ね……?」
「だから安心して泣いていいよ? 女の子として。笑っていいよ。喜んでいいよ。これから先、どんな運命がみーくんに待ち受けてても――私が絶対に、守ってあげるから」
きゅう。愛音が手に力を込めてきた。
優しくて。暖かくて。柔らかくて良い香りがして――
そんな彼女に抱きしめられて、俺の昂っていた気持ちもおさまっていった。
「……はは」と俺の口から笑みがこぼれる。
「どうしたの?」
「あ、いや……『守ってやる』って言ってくれて、俺、嬉しかった。だけど――その台詞、できれば俺が〝男〟のときに、愛音に言いたかったな、って」
「た、たしかに――えへ。先越しちゃった」と愛音も笑った。
がちゃり。カギを外して個室の扉を開ける。
出るときに愛音が俺のことを引き寄せた。
お互いに額を軽くぶつけて。至近距離で微笑みあって。
名残を惜しむようにして、一度だけ互いの唇を触れ合わせた。
しょっぱい。自分の流した涙の味だ。
「うう……たくさん、泣いちまった」
「ふふ――かわいかったよ、みーくん」
愛音は西日の中で悪戯っぽく言った。
「また泣きたくなったら、いつでも私に言ってね。でも……私以外の胸で泣くのは、きんしだよ?」
「……ん」と俺は真っ赤になった目を伏せて頷いた。
きん。こん。かん。こん。
休み時間の終了を知らせる鐘の音が響く中で。
授業の遅刻を焦るよりも先に。
――あ、教室に戻る前に、メイクなおさなくちゃ。
などと。この頃には。
そんな考えが自然と俺の頭をよぎるようになっていたのだった。