ナナシ
いつの間にか眠りの中に僕はいた。最初は現実なのか夢なのか境界線が曖昧だったけれど、自分の手の甲を抓ってみると痛みはなかった。それ故、夢だと判断したんだ。
夢は無限に続く階段のようで迷いそうになる。自分の選択肢によって世界が変化しているからだ。まるで異次元に飛ばされていくような感覚の中で彷徨う事しか出来なかった。夢と精神は繋がっているという話をよく耳にするが、本当なのかは分からなかった。確信が持てなかったし、夢は所詮夢だと思っていたからだ。
そんな事を考えながら歩いていると海が広がっている空間に辿りついた。そこには闇が広がっている。本来なら恐怖を感じるはずなのに、何故だが愛おしく思っている自分がいて、違和感しか感じれない。
「……ここは一体?」
ふいに呟くと、言葉に反応するように満月が降りてくる。海の中心に向かって照らしだしたのだ。両手で視界を庇いながらも、薄目で状況を確認する。
「え」
さっきまで何もなかったはずなのに、そこには大きな影が浮き彫りになっていく。海の中で眠っていた影が、空中に出てくる感覚と言ってもいい。その影がスッと水面に立つと、僕とその影を中心に闇が広がっていった。先ほどと同じように見えて、全く違う別物の世界がそこにあったのだ。
『……遅かった、遅かった。お前を待つのにこんなに時間をかけた。遅かった、遅かった』
「何コイツ」
『私には名前はない、ない。あるのは影だけ、だけ』
話し方に特徴がありすぎて背中がゾワリとした。ここは夢なのだから怯える必要もないのに、脳裏にはサイレンが鳴り響いている。恐怖よりも危険を身体で感じているのだろうか、何と言ったらいいのか分からない。
ゴクリと唾を飲みこむと、意を決して聞いてみる事にした。会話が成り立つのかさえも分からない、それでもどうしても聞いてみたいと思った。
「君の名前は?」
『ナナシ、ナナシ』
「『ナナシ』と言うんだね。ありがとう僕はユウ。君に質問があるのだけれどいいかな?」
そう聞くとぬるりと上半身を右側に傾け、止まった。長いようで短い時間軸の中でナナシは考えているようだ。どれくらいの時間が経過しているのかは分からないけれど、考え終わったのだろう。今度は高速に上下に動いた。
正直、気持ち悪い。
それでも覚悟を決めたのだから、向き合う必要があるんだ。
「いい、って意味でいいのかな?」
再び上下に高速で動いた。その奥にギロリと光る黒い眼に気付く事もなく、僕達は会話を続ける。