小夜の過去~回想編
小夜の住んでいる所は殆ど雪が降らない。それでもその冬は違った。まるで小夜の心に寄り添うように、しっとりとゆっくりと舞い降りている。もうどうでもいい、自分なんて『生きている価値』もない。五歳の彼女は自分の存在、産まれた事が原因である人の命が散ってしまった。自分を責める彼女を見て、近所の人間はこう言う。
『小夜ちゃんが悪い訳やない。環境が悪かったんや、あんたのせいじゃない。親を選べれんのや、子供は。だから──』
苦しみを背負ったらいかん、人の命を背負うなんて子供の心が耐えきれない。すれ違う人達が後ろ指を指しながら嘲る、見下す。
『あの子の母親は狂っとる、いいかあんな子と付き合っちゃいけない』
何度も何度も繰り返し。聞き飽きた言葉。最初はどうして自分が、と。何もしていない自分がここまで言われなくてはいけないのかと人を恨んだ、自分を憎んだ。そこに愛情なんてものはない。そんなまがい物を信じる事なんて諦めた、捨て去った。
ギュッと震える小夜を守るように抱きしめながら、何時間も叩かれ、蹴られ。祖父は悲しく微笑みながらその痛みに耐えていた。あの女に気付かれないように小声で囁きかけて、彼女の絶望を悲しみを憎しみを消そうと必死だった。
『小夜、あの女を憎んではいけない。なりたくてなった訳ではないのだよ。私は長生きをした、いつ死ぬ事になっても後悔はない。でもな、お前はこれからの人間や。生きて欲しい。だから私は守るんや、人を憎むな、自分を恨むな、皆が皆、お前が見て来たような人ばかりではない』
ああ、なんてことだろう──
涙なんてとうに枯れたはずなのに、光を失った瞳からは最後の大粒の涙が零れていく。
またもみ消した。奴らは簡単に。
小夜は祖父の死因を聞いて怒りに満ちていく。老衰と医師は診断書を書いたが、そんな訳ないだろう。直接的な事があったからこそ、打ちどころが悪く亡くなった、彼女の見て来た世界ではそう結論を出していたのだ。
昔聞いた事があった。祖父は父を守る為にある事件をもみ消す事にしたと。それは『暴行事件』だった。当時高校生の兄『スグル』が竹刀を使い複数人を病院送りにした。そこでも金と権力はばらまかれた。それを何もなかったように、また電話が鳴る。
『スグル、また金の話か。お前学校はどうしたんや。ちゃんと行っているんやろうな?』
『それならいい……今回はなんぼ必要なんや?』
『20万やと? お前何に使うんや……』
毎月決まってかかってくる電話。痺れを切らした小夜はメモ帖に『折り返し電話すると言え』と言葉を走らせた。彼女の笑顔を見た父はゾッと鳥肌が立っていく。これは小夜の癖の一つでもあるから、それを知っている父からしたら、言う事を聞かないといけないと感じた。
ガチャンと電話を切ると『小夜、聞いていたんか』と呟いた。
『聞いていたよ、てか前から知ってた。父さんも甘いんやない? 何故兄さんを『勘当』したのか忘れたの?』
『それは……』
『ばあちゃんから全部聞いたよ。あいつの起こした事件がきっかけで父さんの立場が水の泡になりかけたんやろ。じーちゃんは兄を切り捨て父さんと私を選んだんや。あいつの前では跡取りやから期待していると言ってたみたいやけどな。私には違う事を言っていたよ?』
何も知らないと思ってた子供が全てを知っている。まだ九つに満たない子は変に大人びて見える。この家を操っているのは小夜本人だ。何故なら祖父が跡取りとして指名していた子供だったから。
『兄はどうしょうもない。私達を利用するだけ利用して逃げる。結局は金だけの人間。だからさ『トコトン貸したらいい』どうせその金は何処に流れる? 父さんも想像している通り、スグルが下手うたんと思うか? 実の父親を裏切った奴やのに』
『……小夜』
悲しそうに揺らる瞳を無視して言い切る。
『父さんが貸せる『限度額』まで貸すんや。回収は私が『大人』になったらしたげるよ。私に出来ない事はない、そうやろ?』
楽しそうに微笑む自分の娘を見て、恐ろしいと感じていたのと、それと同時に祖父が重なって見えた。自分を助けてくれたのは小夜の祖父であり、自分の父親なのだ。そして全てを奪おうと、破壊したのは自分の息子でもある。
『お前は本当に『優秀』な『出来た』娘だ』




