smile of ice
自分が生きる為に不必要な記憶は捨てる。それしか自分を守る方法を知らなかった。人が壊れる瞬間は美しくもあり、新しい人格の誕生に繋がる瞬間でもある。匂いに汚されたユウを見つめながら、タバコを吸いながら考えていた。本当はこの子にも人間として生きる権利はある。だが──彼女の奥底にこびり付いている誰かの存在が彼女をここまで堕としたのは明確だった。ハルは自分の与えられた役目を全うする為にユウを預かっている。この子にそれほどの価値があるのかは、今の段階では分からないが、抱えているものは想像以上に深い痛みを伴うものだと言う事は納得するしかなかった。
『……思い出したくないものを引き出すには疑似体験をさせるしかないからな。お前には悪いが。耐えれればお前の居場所を与えてやる、しかし耐えられず崩壊するのならばお前はそれまでの存在だ。地獄の中で藻掻けばいい』
苦しそうな表情で眠っているユウはハルの言葉に反応するようにピクリと体を動かした。ショックを与えたのだ負荷から逃れる事は難しい。彼女の姿を見ていると、自分の母親と重なっていく。そこには愛情と言う名の憎悪が彼の心を支配している。
──コンコン
ふっと引き戻してくれたのはカオルの存在だった。ドアをノックする音には気づいていたが、動く事を躊躇っていた。この歪んだ空気感をもっと感じていたいと願っていたからだ。過去に戻る事は許されない。何故なら、それが弱さや足かせとなり、自分自身を飲み込んでしまうから、そんなしょうもない感情に揺られる訳にはいかない。
『ハル、大丈夫か。顔色が悪い』
『……たいした事はない。それよりどうした。何か用があるんじゃないのか?』
寝てないせいもある。そう言い聞かせると、いつもの自分を繕っていく。今はハルが中心となって成り立っているのだが、此処では裏切りなんて当たり前だ。信頼はしているが信用はしていない。それを表に出しすぎても、歪な形となり保たれているバランスさえも崩しかねない。
好きとか嫌いとかどうでもいい。そんな感情は必要ない。
ただメリットがあるか、デメリットが増えるかに着目し、そこ多額の金の匂いさえしていれば何の問題もないのだから──
『……篠崎に接触した女の事ですが』
ピクリと眉が動く、それはまるで誰にも知られる事のない黒い感情が出た瞬間だった。ピリピリとした空気がカオルを縛り付けていく。ゆっくりとハルの表情を確認すると、微笑みに満ちている姿が目に入る。
柔らかに包まれながら、その奥底に隠れる感情は色を失い、ただ氷のように固まっていた。