嘘ばかりの空蝉
『……また君か』
コレクションの手入れをしながら背中に隠れる影に声をかける。傍から見れば誰もいない空間にしか見えないのだが。
『隠れても俺には分かるよ。カグラさん』
隠れている人物の名前を呼ぶと今まで影だけだった存在が具現化していく。ぬっと現れたカグラは愉快そうに微笑むと彼の頭を撫でた。
『人間の癖に私の居場所が分かるなんて、本当に不思議な子ね』
子供扱いをしているカグラはまるで自分の子供のように彼を抱きしめる。そんなカグラの態度に呆れている彼は深い溜息を吐くと言葉を漏らした。
『今掃除してるんだけど、邪魔』
『あらあら』
『からかいに来たのかな? 俺には君を相手にする時間さえ惜しいんだけど……』
淡々と話す彼の声はいつも単調な音程を保っている。この子にも感情はあるはずなのに違和感を感じているカグラ。最初はその違和感を払拭しようと考えていたのだが、これも彼の個性と言う結論に行き着いてからは心地よく感じるようになったのだ。この世界で彼は自分に与えられた立場や人間性を上手く演じている。他者から見たら笑顔が素敵な優しい人で通っている彼は人間から距離を置き、自分の世界に閉じこもると最初から感情など持ち合わせていないように冷淡で無表情。死者が一人の人間に特別な興味を抱くのは珍しい事ではないが、カグラは特別扱いを基本しない。そんな彼女が興味を抱いた自体が奇跡とも呼べるのかもしれない。
『カグラさん。あゆ姉に黙って此処に来たんだろ? あまり良くないと思うんだけど、そう思うのは俺だけ?』
あゆの名前が出た瞬間満たされていた感情に水を差されたみたいで、年甲斐もなくムッとしてしまう。カグラの事を案じて言っただけなのだが、自分の事は『カグラさん』でもあゆの事は『あゆ姉』と距離感の差を感じてしまう表現をされる度に、ついいじわるをしたくなってしまう。
『あらあら。お姉さんが恋しいのね? 人として生きる選択をしてもあゆは特別な姉だものね』
『あーーー、めんどくせ』
『どうしたの? 庵君』
もう少しこのまま彼を堪能したいが、これ以上すると本当にあゆに連絡をされてしまう。カグラとあゆの支配する世界は違うのだが、あゆの方が先輩にあたる。それも死の世界と生の世界を繋げる『門番』の役割も担っている彼女だからこそ、カグラが勝手にこの世界に来ている事がバレたら、今以上に、立場に格差が開いてしまうだろう。だからこそ『お忍び』で来ているカグラからしたら庵の言葉は彼女を抑制する手段でもあった。
名残惜しいが彼の体を離すと、邪魔にならないように来客用のソファーに移動した。
『これ以上はまたの機会ね。それより、庵君に手伝ってもらいたい事があるのよ』
カグラから解放された庵は流し聞き、自分の作業を再開している。やっとコレクションの手入れが出来るのだ。これ以上、無駄な時間を費やしたくはない様子が見える。
『何?』
『ある男の寝床に私の模造品を置いて欲しいの』
『模造品ねぇ』
『ダメかしら?』
紫色の瞳の奥には炎が揺らめいている。庵は半分こちらの住人で半分は人間だ。彼に与えられている特権として、願えば何処の世界でも行ける事。体を持たないカグラからしたら、自分の空蝉を作ってもらうには彼以外は考えられない。
『あゆ姉にはーーー』
『内緒にしてくれないかしら──』
満面の笑みで答えるカグラを見ていると、どの世界でも『面倒くさい』と思ってしまう。猫を被っているから余計に素の自分でいる時は、関わりたくないのが本音だろう。
『はぁーーー、めんどくせ』
げんなりしている庵の顔は、死体のように生気を失っている。気を抜くと白い肌も土色になってしまう。これはストレスの合図だった。自分の中のメーターが振り切る前に、さっさと片付けたい衝動に駆られている彼は机の上に優しくコレクションを置くと、カグラを睨んだ。
部屋の隙間から時空の裂け目が現れた。そこから出てくるあゆは用意されている人形の中に入ると、まるで生きた人間のように生活をし始めた。
『帰ってくるのは久々ね。こちらとあちらの流れが違うから助かるわ。じゃなきゃ、こんな風に生活する事も出来ないのだから』
この人形はあゆのように現世とあの世を見回る者にとっては都合のいいものだ。自分の弟にあたる庵が制作した作品の一つでもある。元々は死体を使っているのだが、どんな手法でここまで作り替えたのか分からないくらいきめ細かい。まるで生きている人間のようにしか見えないのだから不思議なものだ。自分があちらにいる間は自分の模造品を置く事で生きた人間のように生活をしているように組み込まれている。これは錬金術に近いものだと思うが、それを知るのは庵ただ一人。あの子にもあの子の立場があるのだから、必要以上に踏み込まないようには心がけている。
プルルルルル。
プルルルルルル。
スマホから着信音が流れ出すとあゆは濡れた髪をタオルに巻きながら通話に出る。
『もしもーし』
あゆはまるで人間のように日常を取り繕っている。普通に仕事をし、友人と呼べる偽りの関係を紡ぎ、自分の正体を隠した上で、道化師を追い込む方法を考えていたのだ。自分の力を使えば簡単に消す事は出来るが、カグラに気付かれては困る。彼女は道化師が人として生きていた時を知り、ひょんな事で二人は縁を持ってしまった。だからこそ、その間に踏み込む事は自分もその縁を紡いでしまう可能性が高い。自分の役割は死ぬ定めの人間の魂を狩り、死の世界へ導く事。だからこそその立場でいる限りは出来ない。門番には門番のルールがある。それを破れば、あゆは本当の意味での『化け物』になってしまう。あゆがその橋を渡らないようにする為に生きた人間の血肉が必要だった。あゆの存在を隠す為の空蝉。弟の庵はあゆの性格を知っているので余計に、彼女を止める事はしない。すればする程『ぬかるみ』に嵌る。そう判断したからこそ彼女の匂いを消す為にバリアとして渡したのだった。
『久しぶり、元気にしてた?』
電話相手は女性のようだ。あゆは男性に対しては敬語を使う癖がある。それは、元々器の原となった『清田美津』の防衛本能も関係しているようだ。彼女の死を見届けた庵の気持ちを考えると、言葉をかけれない。だが、その『特別な人』の肉体を自分にとプレゼントしてくれた事に、深い意味が隠れているのは確かな事実。
あゆはスピーカーにすると、スマホを置いてミネラルウォーターを渇いた喉に染み込ませていく。まるで自分の体となった器が血を欲するかのように。
『鮎川さん急に電話してごめんなさい。今、大丈夫かしら』
『うん、大丈夫よ~。しかしユウリがかけてくるなんて。何かあった?』
『前に言ってたよね。篠崎さんと仲良くなりたいって』
篠崎、その名前が出るとあゆは口調とは正反対の表情に変わった。あれだけ近づこうとしても距離を取っていた彼女の方から提案が出てくるとは考えていなかったからだ。ユウリは道化師がコマにしている女と繋がっている人物。それを知った上で友人関係を築き、ここまで持ってくる事が出来た。正直、ユウリを利用する気で近づいたのだが、今は友人として親しくしている。諦めていた節があったからこそ、今になって動き出そうとしている物事に驚きを隠せないのが本音でもあった。
自分は人間ではない。
だからこそ、この『ユウリ』と言う女を特別視しそうになっていた自分を恥じた。
この世界に入ると美津の記憶が入り込んでくる『副作用』が出てくる。まるで自分が元から生きた人間として生きている錯覚に陥りそうになるくらい、リアリティに溢れていて、もう一人の自分が産まれてしまうのではないかと思ってしまう程だ。
『篠崎さん……ね』
あゆは含みを持った言葉で溜める。
『私と鮎川さんが歩いていたの見てたんだって。篠崎さんって人嫌いで有名だから、中々紹介出来なかったんだあ。鮎川さんに興味抱いているみたいでさ、色々聞かれてるの』
『何だか恥ずかしいなぁ……』
そんな事、思ってもいないのに、平気で嘘が出てくる。ユウリはそう理由付けをしているけど、本当の理由は他にある事は分かっている。決して口に出してはいけない悪魔の囁き、飲み込まれた人間の闇そのものが、そこには隠れているのだ。
『彼女が今度の日曜に会いたいって言ってたよ。篠崎さんの連絡先RIMで送るから。後はお二人で決めてくださーい』
『あら。ユウリは来ないの?』
『行きたいんだけどねー。その日、彼氏とデートなんだー。また遊ぼうよ』
『オーケー。連絡してくれてありがとう』
さっぱりした口調で会話を繋いでいたあゆは、電話を切ると険しい表情で呟きながら空になったペットボトルを壁目掛けて投げ飛ばした。
『人って嘘ばかりなのね。汚い世界』