データーの中の箱庭
経過観察を続ける──
一、元通りにする為に引き金を用意する。自分が何者なのかを彼女は知る必要がある。本当の彼女を取り戻す為に必要なピースの一つでもある。環境を昔に近づけ、五感で錯覚を引き起こす。忘れていても、体で感じる違和感は確実に中途半端の仮面が割れるだろう。
二、埋められたマイクロチップ型の発信機をつける事により行動を監視しながら改造した脳みそは電磁波の中に仕込まれている情報のノイズによりコントロール出来るようになる。これは脳内実験と改造したマイクロチップを連動させる事により、よく深くこちらの思惑通りに動く改造された人間を作る為だ。元々オリジナルがいるのだが、彼の場合は機械的な感情とは対なる破壊衝動を生まれ持った人間であるのだから、それを再現する為には人間を壊すしか方法はないと考える。得に彼女の場合は、だが。
三ある程度自由を感じさせる環境と人間の固定概念に基づいての立場を与えながら、少しずつ投薬していくのが一番だろう。彼女にはトラウマがある。自分が主犯となって起こそうとした15年前の事柄が大きく関わっているだろう。失った二年間の記憶の発端となる人物に繋がる言葉を日常会話に織り交ぜながら、洗脳への道を示していく。
『うわぁ。エグすぎでしょ』
『そうかい? 元のユウに戻す為には自我を崩壊してから埋め込まれた『記憶のデーター』を取り込ますのが最善だと思うけど?』
彼は次の段階へと向かわす為に会食の場を提供した。理由付けは何でもよかったのだろう。自分の中での物語を骨組みのように組み替えて演出しただけだ。それが第三者から見たら残酷に映っているだけ。その残酷さも結局は杞憂でしかない。自分の中で勝手な解釈をして、言葉から流れる情報を鵜呑みにして作り出していた虚像にしか過ぎないのだから。
『忘れたままの方がユウとしては幸せだと思うけどね。あたしだったら耐えられないわ』
『そうかな? 美しいと思うんだけど』
小さな箱庭の中でツミキと話していると時間を忘れてしまいそうになる。そんな自分がまだ生きているのかと思うと幾ら人間として生きていた過去を捨てようとしても、捨てれないのかもしれないと妙に納得してしまう道化師がいた。にこにことデーターの一部として表記されている彼は好青年として演技をしながら、口から零れる言葉達は欲望の塊でしかなかった。そんな空間の中で嫌な顔もせず自分を支えてくれているのがツミキと名乗る少女だ。
元々、現実世界での体の休息をとる為に架空空間を作り、自分の部屋と称しながらそこを寝床にしていた。8割機械化された体でも、人間の匂いは残っている。微かに残る人としての自分の姿を映し出す鏡として、楽しんでいる自分もいたのだ。
いつものように横になりながら風に吹かれている道化師は短い髪を揺らしながら耳を澄ましていた。ガサッと誰かの足音と草の擦れる音が聞こえ、飛び起きるとそこにツミキはいた。黒く長い髪を揺らしながら、ルージュに守られた唇からは色香が溢れてきて、体が熱くなったのを覚えている。この空間には道化師以外の人間のデーターは保存されていないはずなのに、どんなバグが起きたのか、はたまた奇跡が起きたのか、奇妙な出会いを経験したのが始まりだった。ツミキから香るコロンの匂いは昔の自分が愛用していた柑橘系のものと同じ香りに引き寄せられたのかもしれない。脳まで機械化されている道化師は何度も不必要だと決定した『自分にとって都合の悪い記憶』を捨てていたから、残っていないはずなのに、彼女から聞かされた話は昔の自分の人生そのものだと思った。
『お兄さんは大好きだったあの人に似てるんだ。もう会えないと思っていたけどやっと繋がったってあたしの魂がそう言っているの。何処か懐かしさや影があるでしょう? 記憶を失っても何処かで眠っているだけだって気付ける時が来ると思うの。お兄さんもそうだよね?』
ツミキの言葉は道化師に向けて言っているようにしか聞こえない。まるで彼女の大切な人と自分が『同一人物』であるような言い回しで、道化師を試しているようにも見えた。彼はどう答えたら正解なのかを考えていたが、ツミキの笑顔を見ると思考回路を停止した。何故かは分からない。その笑顔を知っているような感覚に戸惑いながらも、翻弄されている姿を表に出さないように『大人』を演じる事を決めていたのだ。ツミキは全てを見透かしているような眼で、二人の間に流れるずれた空間を楽しんでいた。
『ツミキは面白い子だな。私は好きだよ、君みたいな人間は』
『お兄さんって変わっているよね。データーとして生きているあたしに会社の内部資料まで見せてるんだから。バレたらやばいよ?』
自分が中心で動いているように見せて、その裏には黒幕がいるのは事実だ。会社として置き換えて説明しているから、そう捉えるのは仕方ないだろう。本当の事を彼女に伝える事で今の関係性を失う可能性が高いからこそ、7割の真実と3割の嘘で情報を作り替え提示する。本来知られたくない事は100の嘘で固めるよりも真実を混ぜ誤魔化す方が納得しやすいのが人間の特徴でもあるからだ。ツミキは道化師には持ち合わしていない感覚を持っている。だからこそ彼女の目線や価値観も自分の物にしたい目的もあった。データーの中で生きている自分は彼女の性格、行動、思考パターンを取り込む事が出来るのだ。それはツミキにも出来るはずなのだが、バグが原因で産まれた彼女はその手法が使えない。ウィルスを除去すると機能が正常値になるだろうが、それは今のツミキを書き換えてしまう事にもなる。そう考えてしまうとどうも行動に移す事は出来なかった。
『ツミキが言わなければ大丈夫だよ。それに興味があるんだろう?』
そう言うと、道化師の瞳を見つめながら、ゆっくり頷いた。あの時のツミキと自分がいたから、こうやって互いが互いを必要とし合える空間が誕生したとも言える。
『意地悪だね、バレる時はあたしが消える時だもんね。それぐらいは理解してる』
二人しか知らない空間をじっくりと観察するように覗き込んでいる人物がいた。女はフッと笑うと赤い満月の下で酒を飲みながら呟く。
『嘘つきだこと』
クイッと盃に残っていた酒を流し込むと悲しそうな表情でコポコポと流し込む。ゆらりと揺れる波紋はまるで感情がリンクしているように揺れて止まる事はなかった。