信じたフリをした
全てを自分のものにしたいと男は願った。最初はただの好奇心だったのかもしれない、しかし見れば見る程深みにハマっていったんだ。男の理想の世界には二人の女が生きている。曖昧な存在の女と呪縛として残った女の二人。
知らない世界を知ったのはあの事故に巻き込まれてからだった。男の母はいつしか死に対して憧れを持つようになった。その背中を見つめながら成長していた。自分の持っていた希望も全てあの女に吸い取られていった。
だからこそ、あの時──
女の嘘を信じた振りをして乗り込んだのだ。
『今日は調子がいいの。ねぇナギト、私とドライブに行きましょうよ』
『……うん』
『ふふふ。ナギトは母さんの言う事を聞いてくれるいい子ね』
ナギトは気づいていた。今度は自分の番だと。何度も同じ事を繰り返す母親に同情を抱いていたのだろう。自分が彼女の願いを一緒に叶えてあげたい、ただ純粋に考えていたんだ。
『綺麗な空ね、あたしもあの空の一部になれたら、どんなに幸せかしら』
ハンドルを握りながらチラリと空を見た。彼女には見えているもう一つの世界に気付く事なく、吸い寄せられるようにアクセルを踏み込んだ。
『ナギト、母さんとお空に行きましょう』
笑顔で嬉しそうに笑う彼女は幸せに満ちている。やっと自分の居場所を見つけたように子供のような瞳をして、店に突っ込んだ。幸いシートベルトをしていた母親は軽傷。そしてあえて外されていたナギトは意識不明。
『面白いわね、ナギト。凄く楽しいね、ナギト。でもあたしはまだ生きているみたい。ねナギト、お前は生きてる? ねナギト、シンデちょうだい?』
店の店主が出てきた。幸いナギト達の車が突っ込んだのはショーケースで巻き込まれた人はいなかった。
痛みなんてなかった。自己防衛を無意識のうちにしていたようだ。意識が堕ちたのはフロントガラスに自分の顔が当たる直前だった。
痛みなんてない、苦しみなんてない、なんだか安心しているナギトがいる。彼をゆさゆさと起こす影法師が無表情で見下ろしている。ぽんぽんと頭を叩くと『ん……』と声を漏らした。それを確認するとナギトの意識が戻る前に消えていく。
『二つの道がある──選べばよい』
その言葉に導かれるように夢をみた。静かな空間の中で眠っている自分がいる。
『僕はここにいるのに、どうして眠っているの?』
夢と現実の境目はゆらいでいる、植物人間の自分の体を見つめながら、彼岸花が笑っている。
『お前のいる場所ではないよ、ナギト』
聞き覚えのある声がナギトの耳に入る。クルリと振り向くと懐かしい人がいた。
『さあ、行こうか』
「うん」
差し伸べられた手を取るとさっきまでなかったはずの階段が現れた。僕の体と魂には白い糸がついていて、どんどん伸びていく。