メモ
トクトクと僕のグラスにワインを注いでいく彼は、真っすぐな瞳で冷たい世界を見つめながら傍にいた。情報を掴むためにこの会場に来た。自分がここにいるべき人間か、などと考えてしまうがそんな僕を見透かすように、ミオリが囁いた。
『自分の役割を忘れていないでしょうね? ボーッとしてないでくれない?』
「ははっ、そうだねミオリ」
誤魔化すように彼女を笑顔であしらうと少し機嫌が悪くなっているミオリ。会場には豪華なディナー、そして専属のバーテンダーがいる。僕はその場から離れるように彼女に告げ、席を立つ。チラリと並ぶ主催者達の光景を瞳に焼き付けながら、空いたグラスに視線を落とす。
「何をお飲みですか?」
「僕はカクテルでいいよ、洋ナシの」
『分かりました、そちらのグラスは同じものでよろしいですか?』
「いいよ、ありがとう」
ポニーテールにしているバーテンダーは微笑みながら酒を作っていく。目の前に沢山のボトルがあるのに全て暗記しているのだろう。シャカシャカと振る姿も綺麗で、見とれてしまう。沢山の客達が僕の後ろに並んでいる。最初はいなかったのに、酒を求め色々な立場の人達が列に加わる。チラリと後ろを確認すると夜の蝶もいた。見るからに雰囲気が違う。ドレスは飾りでしかない。しかし女の佇まいには周囲を支配していくような色気と誇らしさが見えた。
『お待たせしました』
「ありがとう」
洋ナシのカクテルに満たされたグラスを二つ持つと、邪魔にならないように席へ戻る。ここに来ている人達は『普通』の人などいない。表では輝きを放ちながら自分の立場を演じて、裏では複数の人脈を作る為にここに来る。
「ここは僕の来るべき場所ではないのかもしれないな」
フッと視線を落とすと、自分の中でフツフツと湧き上がってきそうになる闇の声が浮き彫りになっていく。他の誰にも聞こえない、僕だけの痛みだ。
席に戻るとミオリの姿はなかった。何処に行ったのだろうかと疑問に思ったのだが、彼女は彼女でやるべき事がある。その為に少しずつ行動を始めたのだろう。僕はフッと息を整えると、ミオリの席へカクテルを置き、自分の席へと戻った。
『見ない顔だね、君』
「はぁ」
いかにも陽気なあんちゃんに見える一人の男が僕に声をかけてきた。彼は僕の右横の席に座っている。先ほどまで別の人がいたはずなのに、メンツが変わっているのだ。不思議そうに見ていると、彼はそんな僕の表情が新鮮なのか笑いながら一つのメモを渡してくる。
二つに折られたメモに何が書かれているのか見えない。
『珍しいよね、君みたいな大人しそうな子がここに来るなんて』
「そうですか?」
『俺だけじゃないはずだよ? 君はかなり浮いているからね』
「……」
グラスの横にメモを滑り置くと彼の手が遠のいていく──
『ここに来たのは何かの縁かな? そして俺達と話しているのも、ね』
彼はそう言い切るとアイコンタクトをする。その声に導かれるようにその席に座っている他の五人もメモを僕へと回した。
『読むのはパーティが終わってからね? 大事にしまっておく事』
「はぁ」
いつもの僕なら突き返していただろう。でもこの場所は僕の経験した事のない世界の入り口なのだ。だから自分の行動一つで追い詰められる可能性が高かった。だからこそ彼達の言う通りに名刺入れの中にひっそりと終い込む。
『そろそろ会長が来るよ』
「会長ですか?」
『そうここは一般人との交流会と言う名目で開かれている『食事会』のようなものさ。実際にはその関係者しか来れないんだけどね。来てくれた事を嬉しく思っている会長はこうやって客に酒を注いでくれるのさ。まぁそういう人だから就いていくのも理解出来る』
彼は新しいグラスを僕の目の前に置き、試すように笑った。