道化師
『まだ起きないの?』
ミオリは気だるそうに男に問いかける。
『クスリが効いているのだろう。当分起きる事はない。何かがない限りはな……』
『何があるって言うの? ここにはあんたと私と監視役のサズキしかいない』
館で話をしている二人がいる。ユウが監禁されている場所と比べると天と地だ。カランコロンとグラスの中の氷が舞う中で冷たい空気が溢れている。そんな空間に慣れていないミオリはため息を吐くと口を開く。
『ユウが使えるかどうか見物ね。あたしは期待なんてしてないけど。あんたは違うでしょ?』
認めたくない、自分よりも選ばれたユウの存在が。否定したい気持ちがあるのに、声に出す事が出来ない。男の下で間違った発言をすれば、窮地に立つのは自分なのだから、とミオリは勘づいている。最初は反論していたが、全て正論で返されると面倒なのだろう。
口では勝てない、行動でも全て逆転されてしまうが……
この男がユウに執着を向け続ける限り『弱さ』が出てくるはず、その瞬間を待っているのだ。
「いい実験台だからな。洗脳するには欲しい人材だ」
『性格悪すぎ』
「君みたいに真正面で何も考えず行動する『愚か者』に言われる筋合いはないがな」
ここでヒステリックになっては自分の価値を落とす行為になる。冷静さと悪態を少しずつ混ぜて関わらないと喰われてしまうのだから。
あの時のように──
檻にあたしはいた。獣以下の生活の中で自分の役割を与えられた時、初めて『自由』になれたのだ。五歳のあたしは真っ黒になったワンピースのまま男の前に立つ。
『君がミオリか、初めまして僕は──』
──道化師。
道化師は呟く。自分の感情の起伏がないと、その代わりに場を荒らすあたしが必要だって。小さな声だったけど、あたしの小さな耳にそう言い切ると新しい服を手渡され、初めてミオリとして生きる事になったの。
あたしはどんな時でも一番だった。負ける事なんて、疎まれる事なんてない。そう信じ切っていたあたしもただのガキで出来損ない。
『あたしは自分に忠実になる『人間』が欲しい、買って』
『……』
『道化師!! あたしの言う事なんでも叶えてくれるよね?』
キラキラした現実を見ていない夢見がちな瞳を見ると、道化師は無表情な顔で言った。
『勘違いするなガキが。お前は俺の言う事を聞くしか生きる道はない』
そうやってあたしの心臓を掴んできた。ゴリッと肉と機械が擦れる音が体内の中で鳴り響く。まるで機械で作られた心臓みたいだった。
『お前はただの『機械』だ。人間として生きたいのなら口の利き方に気をつけろ』
『ヒッ……』
『お前を壊す事なんていつでも出来る。自分の立場を理解しようとしない存在は必要ない』
あの時があったからミオリとして生きる事が出来ている。昔のような我儘も言えない、本音も隠さないと消されるのは当然。だからこそ、彼の機嫌を損なわない程度の口調と行動で演技をする。
だからこそ、道化師が魅了されているユウが気にいらない。自分と同じ所に堕ちてくれたら『友達』になっていたかもしれないのに、ユウは違った。
体の造りも心もあたしとは違う『人間』
『あたし達の計画を邪魔する奴がいるとしても、そいつを吸収するだけでしょう?』
『そんな甘ぬるいものではないがな』
カランと飲み物が消えたグラスの中で溶けながら音を出して悲鳴をあげていく。後は溶けて蒸発して消えるだけ。そんなものにあたし達は興味がないの。
『最高じゃあん?』
あたしの言葉を見逃した道化師はユウの下へと向かう。その背中を見送りながら、笑い続けるあたしが『人間』としてのミオリが存在している。