田中、副業をはじめる。
20秒前、命が途切れる手前まで追い詰められていた俺は今も生き続けていて、逆に命を奪う立場であった筈の松原は今や息絶えている。
「やっぱり…ほら…やっぱりね。」
志島月子は殺し屋としての力を存分に振るった俺を見て喜んでいた。
だが、彼女に駆け寄ってハイタッチをするのはまだ早い。
俺の目の前にはもう1人の敵…松原とは比べ物にならない力を持ち、複数のヤクザを簡単に倒す志島月子すら破った男…水戸がいる。
俺は自分の力がどの程度のものなのか理解していない。
2人、殺した。しかしそのどちらも武芸に秀でていたとは言い難いだろう。
対して水戸はプロ…人を殺すプロだ。はたして俺が勝てるのか。
自分の戦いを振り返って俺が出した結論は……
勝てる!!
俺の戦い方は力任せではなかった。
意識していたわけではなく、反射的に身体が動いていただけなので、あまり誇らしげに言うのもおこがましいが…とにかく、俺の戦いは技術を用いたものだ。
弱点を生み出させたり、隙をついたり。
となれば、化け物のような筋肉をつけた水戸とも充分に戦える。
……そう思ったところで俺はあることに気がつく。
意識がある。思考をしている。
当たり前のように聞こえる…というか絶対的に当たり前の状態なのだが…それがマズイ。
俺の殺しのトリガー…無意識に体を動かして相手の命を奪いにいく一連の所作は、相手の殺意を間近で喰らい、死の淵にたった時にのみ機能する。
松原は初め、俺を殺す気がなく、傷をつけて遊んでいた。当然そこに殺意はない。
故に俺はひたすらに無能な中年を演じるしかなく、傷を負い続けた。
俺が水戸に勝つには、水戸の本物の殺意が必須だ。
…果たして水戸は本気で俺を殺そうとするだろうか。
好戦的な性格が見て取れる彼も、松原と同じように殺すつもりもないままに危害を加えてくるのではないか…。
その場合、俺は成す術なくボコボコにされる。
その途中で死んでしまう可能性もある。
勝つ気満々で「殺す」などと大層な言葉をぶつけたが、今現在殺される確率が高いのは…俺の方なのではないか。
そこに思い至ると、全身の毛穴から汗が吹き出した。忘れていた切り傷の痛みも再燃し、立っているのすら苦しくなる。
一方この時の水戸はといえば、実はこちらも動揺し、恐怖していた。
目の前の男は確かに松原を殺した…それも美しいとさえ思える程の滑らかな手順で。
しかしその男は今…全身から汗を流し、立つのもやっとだという様子。松原にいいように遊ばれていた時のだらしない中年の姿がそこにあった。
今攻撃を仕掛ければ殺せる…今まで数々の殺しを実行した水戸の経験はそう訴えている。
しかし…松原も同じように考えて殺された。
絶対殺せる。ここからの逆転はない。そういった確信を持ち、そして敗れ、死んだ。
……俺もそうなるのではないか。
見るからに弱々しい。
しかし松原を殺した。
矛盾する二つの事実は今まで経験したことのない混乱を生じさせ、水戸は長年仕事を続けてきたプロだからこそ、この味わったことのない異常事態に恐怖した。
両者は共に相手に勝つこと困難であると考えた。
両者は共に相手に恐怖した。
「……お、俺には必殺技が残っているんだぜ。」
静寂を破ったのは俺の発言だった。
内容は当然嘘である。
(ぐ…自分でも恥ずかしくなる見え見えの嘘…。しかし…これで万が一にもビビってくれれば…!そんで奴が退いてくれれば……!)
「な…なにぃ!?」
俺の狙いはまさかの効果抜群。
必殺技発言に対し、水戸が驚きの声を上げた。
(ひ…必殺技だと!?…いや、この男はことごとく異常…必殺技の1つや2つ隠し持っていても不思議ではない…。ま…まずいぞ。松原を殺したあの技術以上のモノを受けて、既に深刻なダメージを負う俺が耐えられるか…否!死ぬ!!)
水戸の毛穴から大量の汗が噴き出る。
(どう切り抜ける…必殺技を使わせたら負け……。そ、そうだ!こちらも相手をビビらせよう!そして奴が退いてくれれば……!)
打開策を打ち出した水戸が口を開く。
「ま…まあ俺にはもっと凄い必殺技が残っているけどな!この前これを使った時は……一度に100人…いや1000人が死んでしまったよ。」
直後に水戸の顔が赤くなる。
(ぐ…自分でも恥ずかしくなる見え見えの嘘!!)
嘘。少しでも冷静さがあれば直ぐに分かる拙い嘘なのだが、相手を大きな脅威として見ているこの時の俺にとって、その嘘は効果を最大限に発揮した。
「な…なに!?1000人!!」
思いもよらぬ規模に絶望する。
(ど…どんな技なんだ…まずいぞ…そんなの…松原を殺した時みたいに覚醒していても絶対に受け切れない…絶対に死ぬ!!)
そう思った俺は嘘を嘘で重ねて見せた。
「まあ…俺の必殺技は1万人は死ぬね。」
「な……に……。い、いや、いやいや、すまない、数字には弱くてね。勘違いしていた。俺の必殺技は1000人を殺すのではなく…そう。10万…いや100…1000万人以上は軽く殺せるね。」
(と…都民全滅規模…だと…。)
互いに相手への恐怖が限界に達している状態。
加えて疲労が積み重なっている。
最早正常な判断力など皆無だった。
唯一まともなのは…最年少、女子高生の志島月子。
(いや…何言ってんだコイツら……。バカすぎるだろ。)
意地の張り合いは志島月子により再び電撃を浴びさせられた水戸の断末魔により終わりを迎えた。
タフな水戸もさすがに限界のようで、電力を帯びたチェーンが志島月子によって緩められると、崩れるようにその場に倒れ込んだ。
「すー。すー。」
寝息を立てている。まだ死なないのかコイツ…。
「…いいのかよ殺さなくて。」
「コイツの雇い主は死んだじゃん!無駄な殺生はダメよ田中さん。」
「は…はい…すみません。」
なんとも締まりのない決着であるが、ともかく、殺しのターゲットであった松原は死に、急に現れた脅威…水戸拓弥も問題でなくなった。
家屋から出ると、数分前に志島月子が倒した面々が引き続き苦痛な呻き声をあげて身悶えしていた。
「いやー。ホント月が綺麗ね!」
まるで彼らが見えていないように無視をする志島月子。
この辺りの図太さは、やはり殺し屋としてのキャリアが生んでいるのだろうか。…いや、単に性格の気もする。
50メートル離れた茂みに戻り、スクールバッグを回収する。
そこで俺はようやく派手な色の奇抜なフェスマスクを脱ぐことが許された。
冷えた空気がとても心地よく感じられた。
「…怪我は大丈夫なのかよ。」
志島月子は壁に打ち付けられた際に頭部から出血しており、一応血は止まっているものの、顔にベッタリと貼り付けられた赤色は非常に痛々しかった。
「ふふっ。これくらいヨユーよヨユー!それよりさ!最終的に…どうよ、今の気分は?」
「あん?」
「だから、プロの殺し屋の仕事を間近で見ての感想!」
「いや…間近で見たというか…俺戦わされてるし。松原殺したのも俺だし…。」
「ま、結果オーライでしょ?私の言い続けていたことが正しかったと証明もされたワケだしさ!」
彼女の言い続けていたこと。
俺に殺し屋の才能があるということ。
俺が否定し続けていたこと。
「……。俺は…まだ正直、自分に才能があるとは断定できない。まだ…怖いんだと思う。これからもずっと…その怖さが完全に消えることはないと思う。」
「…そう。」
「でも……まあ…なんて言うかさ、楽しかったよ。今日は。」
本心だった。
人の命を奪ったことを考えると非常き不謹慎なのだが、俺はこの日初めて自分の力を少しだけ信じて…そして発揮した。結果にも繋がった。
それは…今まで味わったことのない、どうしようもなく愉快な経験だった。身体中痛いけど。
「ふふ…それじゃあ、田中さん。」
志島月子はコホンとわざとらしく咳き込むと、改まった態度で切り出した。
「殺し屋になりませんか?」
剣山会組長宅。
組長は頭が割れて死に絶え、その側には寝息を立てるタンクトップのボロボロ筋肉男。
部屋の外に広がる廊下や家屋の入り口にははチェーンで体を砕かれた男たちが横たわり呻き声をあげている。
そんな狂った場所ですごした後で、狂った光景を目にし続けた後で、俺は狂った返答をした。
「ああ。なるよ。俺…はじめるよ。殺し屋。」
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翌日、俺は会社に遅刻した。
昨晩は帰宅すると既に深夜3時過ぎ。
そこから直ぐに寝るには、その日体験した出来事はあまりにも壮絶だった。
結局俺が寝たのは起床時間の僅か30分前であり、そんな短時間の睡眠でキッチリと時間通りに起きれるワケがない。
身体中についた切り傷の痛みもあり歩くペースもゆったりとしてしまうため、通勤にかける時間もいつもの2倍という有様。
「無能が遅刻するんじゃねぇよ!!」
長谷川課長のいつもの罵倒は、いつもより不快に思わなくなっていた。
「まったく…あーあー!可愛かった派遣の子も1日で辞めちまうし…今日はイライラするなぁ!」
他の社員の前で自らの機嫌を語るのは課長の悪い癖の一つだ。
課長の言う派遣の子…つまり志島は会社に入り込む目的を終えたためもうこの場には現れない。
そう、目的。俺を殺し屋にするという目的は達成されたのだ。
「いや!!殺し屋になるって言ったよね!何で今までの会社に出社してんのよ!!」
お昼。近くの牛丼屋で昼食をとるため会社から出たところに志島が飛び出してきた。
「え?いや…今日平日だよ。そりゃ出勤するだろ。」
「いや!違う、違うって!あなた殺し屋になるんだからさ!いいんだよ向いてない仕事なんか辞めて!」
志島はそう言いながらか紙袋を渡してきた。
中を覗くと…札束が入っていた。
「え?何この金。」
「500万。松原を殺したことで発生した報酬。依頼を受けたのは私だから私に振り込まれたけど…殺したのはあなただから。これはあなたのお金。」
「えー…いやいや、結局俺が松原を殺せたのも志島の助けがあったからだし…これは受け取れないよ。」
「あっ!マジ?じゃあ私のね!!」
態度を一変させた志島が俺から紙袋を奪い去る。
手元から急に大金が消えた俺も……そりゃあ態度を変えざるを得ない。
「お前は建前の遠慮ってヤツを知らねーのかよ!返せ!その金は俺のだ!!」
「はぁー?手放したんだからもう私のですー!」
「……ひゃっ…100万でいい!」
「イヤ〜。」
「こ…この…家賃だって親に払ってもらえる立場のクセに…。」
「ふっふ。まあ田中さんならスグにもっと大金を稼げるわよ。殺しの仕事でね。だからほら、今の仕事はさっさと辞めて殺し屋に専念するのよ!」
「いや…いやいや、あのなぁ。殺し屋なんて危険な仕事…いつ大怪我するか分かんないよ?」
俺は歩き出しながら話し、志島は後を追ってきた。
「何が言いたいのよ。」
「殺し屋に専念して怪我してさ、もう誰かを殺すなんてことができませんって状態になったらだよ、この年齢だと再就職なんてできねーのよ。」
俺は歩みを止めて振り返る。
「だから俺は…副業で殺し屋をやります!」
「……。どっち付かずの根暗な性格は治りやがらなかったのね!!」
「慎重だと言ってもらいてぇな!!」
こうして俺の殺し屋としての人生が始まった。
この時はまだ、知る由もなかった。
数々の奇妙な暗殺術を使う殺し屋たちのことも、彼らと密接に関わる闇の世界の住人たちのことも、それらを支配する裏社会の権力者たちのことも。
そして…俺を襲うことになる真の恐怖のことも。
第1章はここまでです。
第2章に続きます。