田中、キレさせる。
瀬々は俺に歩み寄るとピタリと停止した。
「……月子はお前のどこが気に入ったんだァ?見るからにザコのおっさんじゃねぇかよ。」
「……。」
俺は明らかに自分より一回りは若いであろう男に完全に萎縮してしまっていた。
金髪に柄シャツという彼と、スーツを着る私とが向かい合うこの状況は俯瞰して見れば親父狩りだ。
まずは誤解を解こう。
俺はホワイトハウスに入りたいなんて思っていないし…目の前の彼より強いなんてのは志島が勝手に言っているだけだ。
「あのですね…があっ!!」
言いかけたところで腹部に衝撃が走る。
どうやら殴られたらしい。
しかし奇妙なのは…彼の拳が全く見えなかった。
痛みに耐えきれず思わず膝をつく。
志島は額に手を当てながら遅すぎる忠告をした。
「あちゃー。瀬々さんはね、兎に角全部が『速い』から。そこんとこ気を付けてね。」
何をどう気を付けろと言うのか。
「ぐあっ!!」
今度の衝撃は側頭部。
俺は体を浮かせて吹き飛ばされる。
瀬々の体は細身…腕力ならばヤクザ屋敷で戦った水戸の方が遥かに高いだろう。
しかし攻撃力は『力』と『速度』に依存する。
瀬々の持つ速度は充分すぎる程に脅威に達していた。
「あ…うぁ…。」
俺は血を流しながら何とか体を起こした。
頭部への衝撃は脳震盪を誘発させていた。
目眩がする…。焦点が定まらない。
「ふむ…想像通りだな。志島…ほんとうに何故この男を連れて来た。」
「………。」
漆間と我赫はつまらなそうな顔でソファに座り、瀬々による一方的な暴力を観察していた。
「…なぁ、オッサン!人殺したことあんのかァ?」
コンクリートの壁にもたれかかり息を切らす俺に瀬々が問いかける。
「…一応……2人…。」
「ふぅん。それで殺し屋になれるって調子に乗ったかァ!……ぶっ殺すぞ!!」
瀬々の拳が俺の顔を打ったのに気付いたのは、衝撃に吹き飛ばされて倒れた後だった。
「…ナメるなよ。殺し屋になりてぇなら勝手になれよ。だけどな…チームに入りたいってんなら話は別だ…。」
…俺は言ってないんだけどな。
「俺たちは互いの情報を共有する。戦い方も…弱点も!それはチームワークも生むが…リスクも生む!誰かが捕まって拷問を受け…情報を吐きでもすれば全員の命が危ねぇ!
そこに割って入ろうとするなら…力が必要だ。」
意見は非常に正しいと思える。
「甘いんだよ!!月子の力を見たろう!俺の力を見たろう!お前のような何の能力もねぇ奴はここには要らねぇんだ!!」
確かに…俺の態度は甘かったのしれない。
この男は強いのかもしれない。
俺など一瞬で殺せるのかもしれない。
その場合……俺には何の能力もないという結論は正しいのかもしれない。
正しい…正しいが…ムカついた。
自分の中の殺し屋としての才能を否定する文脈を素直な受け入れられない、気の小さい男のプライドの話だ。
「……甘いのは…お前もだろ。」
「あァ!?」
「ク…クク…何が…殺し屋だよ。」
「何が言いたい!」
「お前…怒った振りして…殺すだなんだと脅してきたが…お前からは殺意のカケラも感じられないぜ。」
「あ?テメェ殺して欲しいのか?」
「ク…だから…それが甘いって。殺していいか尋ねる殺し屋がどこにいるんだよ!!」
瞬間……瀬々は立つのもやっとだという中年サラリーマンに向かい全力で駆け出した。
……殺すために。
漆間聡一は眼鏡のフレームに手を当てながら思っていた。
我赫雛は前髪を弄りながら思っていた。
瀬々が相手を殺すと。
瀬々自身も殺せると確信していた。
散々瀬々を煽り、今正に攻撃を受けるかという本人ですら、自身が殺されることを強く意識した。
しかしこの中で1人…全く逆の考えを持っている者がいた。
志島月子は知っている。
どれだけ殴られようが…窮地に立たされようが…この男には関係ない。
この男が殺し屋になるのは…最後の最後…命が刈り取られる寸前だと知っている。
「ア?」
瀬々の口から漏れた疑問符の原因は、自身の最速の拳を止められたからに他ならない。
それはあり得ない話だった。
今まで殆ど止められたことのない…繰り出せば一撃必殺の自身の最速最強の拳撃を…あろうことか何の能力も無いサラリーマンが止めて見せた。
いや…違う。彼は考えを改めなければならない。理解しなければならない。
目の前の男が天性の殺し屋であるということを。
男は汗一つかかず、正面から瀬々を見据えて一言だけ口にした。
「殺す。」
続きます。