第九四話 私の一撃を受けろ!
「それで全力? がっかりさせないでよねえ!」
「スプリッツェ」の剣先を軽妙なステップでかわしながら、ガブリエルが精悍に笑う。
「君の血をまとったその赤い剣、エンジェル・スレイヤーとして活性化してるんでしょ。でも当たらなければ、どうってことないわ」
大天使は跳躍してフリッツから距離をとると、半身の構えをとった。
チェインメイルの上に羽織った白いチュニックがひるがえり、彼女の細くしなやかな足があらわになる。
「手加減なしで行くよ、フリッツ君! 捲土重来、ヴァージン・セラフィック・感情跳躍マグナムぅ!」
ガブリエルは右手をぐっとフリッツの方に伸ばすと、人差し指をびしっと突き付けた。
リョーコであれば、それが指で作った拳銃のポーズだと気づいたかもしれない。
「だから何、その」
ネーミング、と言いかけたフリッツは、ガブリエルの上ずった声に遮られた。
「君のハートを、直撃ぃ!」
轟音とともに放たれた光の弾丸が、フリッツの左胸に吸い込まれる。
「がっ……」
衝撃で後方にはじけ飛んだフリッツは、背中から地面に落ちた。
彼の周囲で土煙が激しく上がる。
「どう、私流の恋のアプローチは。これで君も、私に惚れてくれたかな?」
余裕しゃくしゃくで近づくガブリエル。
ややあって聞こえてきたフリッツのうめき声に、彼女は感嘆の声を上げた。
「へえ、さすがねえ。そういえば、殺さないようにってミストレス様に言われてたんだっけ。だけど、これは男と女の真剣勝負。もう後には引けないわよ」
フリッツが左胸をさすりながら、ようやく立ち上がる。
彼女が、ハートと言ってくれて、助かった。
その言葉で、とっさに左胸の皮膚を「硬化」することができた。
ガブリエルは無造作に近づくと、フリッツの顔を真正面から覗き込んだ。
「君、まだ本気を見せてないよね。私じゃ、役不足ってことなのかしら?」
「……ガブリエルとか言ったね。どうして君は、僕と戦うのさ」
「あなたを手に入れたいからよ」
「何のために?」
「私のミストレス様を、神にするために。そうすれば、あまねく次元に平和が訪れる」
フリッツはうんざりした。
どいつもこいつも自分勝手な平和って奴を、無神経に押し売りしてくる。
「そんなの、嘘だね。神という名の支配者が、また一人誕生するに過ぎない」
挑発して怒りを誘ったつもりのフリッツは、肩透かしを食らった。
ガブリエルが無表情に、こくりとうなずいたからである。
「そうね、そうかもしれない」
つかの間、ガブリエルの瞳が宙をさまよった。
「あなたも会ってみるといいわ。ミストレス様ってね、心がないの。真っ暗な井戸の底に、いつも一人ぼっちで座っている、そんな感じ。そんな我が主が上を見上げると、そこにはわずかに星光る空がある。彼女はただ、そこに昇天することだけを夢見てる」
小さな声が、風になびく彼女の金色の長い髪に乗って、流れては消えていく。
「我が主が神になって、その後どうなるかなんて、だれにもわからない。だけど、願いがかなわずにずっと一人ぼっちなんて、寂しいじゃない。だから、私が彼女の心となって、その願いをかなえる」
ガブリエルは、小さなその手を固く握りしめた。
「理屈じゃないわ。放っておけないのよ。あなたも彼女さんがいたのなら、わかるでしょ?」
わかる。
わかるよ、ガブリエル
この大天使の話していることは、圧倒的に正しい。
問題は、彼女が正しくても、そのミストレスとやらは必ずしも正しくない、ということだ。
ガブリエルは一息つくと、幼くも鋭い顔をきっと上げた。
彼女の発する闘気が、急速に高まる。
「だから、私は君と戦う。ミストレス様を、暗闇の底から連れ出すために!」
ガブリエルにも譲れないものがある。
だが、僕は同情なんてしない。
「それじゃあ、僕も君と戦おう。僕は、自分の家へ帰るために!」
ガブリエルは、心からの笑い声をあげた。
こんなに気分のいい戦いは、久しぶりだ。
勝負がついたら、本当に結婚してあげてもいいかも知れない。
「ぶっ飛べえ! 有終の美、エンプティ・デザイア・衝動礼賛ブロー!」
繰り出されたガブリエルの灼熱した拳が、フリッツの前髪を焼く。
焦げた匂いを感じながら、フリッツは「スプリッツェ」を逆手に持つと、伏せるように地面すれすれに飛び込んだ。
そのまま体をひねると、真上にガブリエルの驚愕した顔が見える。
飛び退ろうとした彼女より一瞬早く、フリッツの鋭い一閃がガブリエルの左すねを薙いだ。
体勢を立て直そうとしたガブリエルが、派手に転倒する。
踏ん張れない。
そこで初めて彼女は、左足の膝から下が失われていることに気づいた。
「くうっ。パージするしかないか」
ガブリエルの大腿に一条の筋が入ると、彼女の左足がどさり、と地面に落ちた。
フリッツの血液の浸食を受けた細い少女の足が、白い煙を上げながら崩壊を始める。
ガブリエルはしりもちをついたままで、フリッツをにらみつけた。
「こういうの、屈辱的ね。ひょっとして君、女の子に見上げられるのが好きなタイプ?」
どっちかというと、リョーコさんに見下されて怒られる方が、好きかもしれない。
とか言ったらあのお姉さん、また調子に乗っちゃうんだろうな。
フリッツは、「スプリッツェ」の切っ先をガブリエルに向けた。
「どうする、まだやるのかい?」
ガブリエルの瞳は、その力を全く失っていない。
むしろ、斬られる前よりヒートアップしているように見える。
「女の子に恥かかせて、このまま帰れると思ってるの? 私はね、異世界のこともずいぶんと勉強したわ。そして様々な研究の結果、戦いには必勝のパターンがあるとわかったの」
「本当? この状況で?」
「ふふん。死中に活あり、よ」
ガブリエルは天空の一点を指さすと、声高に叫んだ。
「召喚の声に応えよ。我が忠実なる盟友、コズミック・バード!」
きええ、という甲高い声とともに、はるか遠くの空に、点のような金色の光が浮かんだ。
二人の方へとぐんぐん迫るにつれて、またたく間にその輪郭がはっきりしてくる。
黄金に輝く、鳥だ。
かなり大きい。
「見よ、究・極・天使合体!」
「が、合体⁉」
黄金の鳥はガブリエルの背中をそのかぎづめでがしっとつかむと、そのまま彼女の背中に張り付いて一体化した。
光る翼を大きくはためかせてガブリエルは宙に浮かぶと、眼下のフリッツを見下ろす。
大見得を切った彼女は、太陽を背にして、高らかに名乗りを上げた。
「完成、ファイナルガブリエル・タイプゴッドぉ!」
フリッツは困惑しきっていた。
ガブリエルは一体、異世界の何を学んだというのだろうか。
何に、影響されまくっているのだろうか。
「……君、天使だよね? 悪魔と同じで、自力で翼を出せるんじゃあ」
「出せる。出せるけれど、合体しないと意味ないの」
無粋な、とガブリエルは一笑に付す。
「ふふっ。驚いてるねえ、フリッツ君。そしてこの最終形態から繰り出される必殺の一撃が、今から君を原子に還元する!」
フリッツは驚いてなどいなかった。
ただただ、呆れるばかりである。
「ちょっと、何言って」
「顕現、ヘヴンズ・ヒロイニック・ブレード!」
ガブリエルの少女にしては豊かな胸の中央が光ると、その中から剣のつかが出現した。
彼女は両手でそれをつかむと、ずずずと引き出す。
リョーコの「破瑠那」よりはるかに長い、両手持ちの巨大な斬馬刀だ。
ガブリエルは大剣を大きく頭上で一回転させると、剣先をフリッツに向ける。
晴天にもかかわらず、彼女の背後に雷鳴がとどろいた。
「その目に刻め、究極奥義! ハイリスクハイリターン・すらぁっしゅぅー!」
二人が戦いを繰り広げていた谷底全体が、球状の爆光に包まれる。
それは急速に膨張すると、周囲の岩場を飲み込み蒸散させていった。
「うーん、逃がしたかな」
ぶすぶすと沸き立つ溶岩の上に立ちながら、ガブリエルが苦虫をかみつぶしたような顔でつぶやいた。
「この技って周囲が全く見えなくなるから、当たったかどうかわからないんだよねー」
腕を組んで少し考えていたが、やがて、うんと一つうなずく。
「まあいいか。次よ、次。切り替えていこう」
ガブリエルは金色の翼をはためかせながら、意気揚々と飛び去っていった。